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ヴィーガンを広めるセミナーに行きたい
今朝テレビを付けたら、ヴィーガンが飲食店で「肉食は暴力だ」と講義して追い出されたという報道がやっていました。
何年か前、ヴィーガンの人に話を聞く機会があったので、いろいろと勉強した事があります。今回の記事を書くために改めて細かく調べることはしないので、間違っていることもあるかもしれませんが、僕がヴィーガンたちをどう思っているかを書いてみようと思います。
まず、当時のヴォクが調べたのはヴィーガンってどういう人たちだろうかというところ。世の中ではすでにヴィーガンという単語が出回っている頃でしたが、ヴォクはなんにも知らなかったのです。
調べてみると食べるものから、身につけるものから、まあ細かく分かれていまして、いろんな呼び方があったのです。あまりにも細かくてだんだん面倒になってきたので、最終的に以下のように簡単にカテゴライズしました。
ノーマル……肉も魚も野菜も食べるし、毛皮や羽毛布団も使用する。何も規制がない。
ベジタリアン……肉や魚は食べない。毛皮や羽毛布団は使用する。
ヴィーガン……肉や魚、根菜などそれ単体で命が途絶えるものは食べない。毛皮や羽毛布団も使用しない。動物由来のものはオールNG
まだまだ細分化されていたのですが、僕の認識ではこんな感じになりました。印象としては、とにかくザ・ヴィーガンと呼ばれる人は「命」に対してとことんストイックで、あらゆる殺生に抵抗感がある。と。だから、リンゴなど、それをむしってとっても幹は死なない、命を根源から絶たないものだけを食べている、というところになるほど感がありました。
でも、話を聞いた人は、あんまりそういうところまで考えていないくて、僕調べによるところでは、ヴィーガンというより、ベジタリアンに近い人でした。単純に動物の命を人間の都合で奪っては行けない! 気色悪い! やめるべきだ! みたいな。力強く説明するその人の腰には革っぽいベルトが巻かれていたので、突っ込んでいいものか迷ったものです。
でもまあ、それもたくさんあるヴィーガンのひとつなのかな、と当時は思っていたのですが、そのあとくらいから海外のモデルや女優がヴィーガンであることに影響されたヴィーガンさんたちがSNS上でヴィーガンレシピや殺生についてディスっているのを見て、きな臭いものを感じました。
ひょっとして、この人たちも、前に話を聞いた人も、実はあんまりわかってなくて言っているのではないか。と。ファッションヴィーガンなのではないかと。僕が認識しているヴィーガンたるものは、相当の覚悟をもって、生き方そのものを大きく規制して人生をかけて取り組むべきもの。です。
僕がもう少し知っているところでわかりやすく言うと、ヨガがあります。全国各地で行われているヨガ教室というものはたいていがヨガ風エクササイズであり、ヨガを知っている人からすると、「木のポーズでダイエットだあ? なめんじゃねえ」ってことらしいのですが、そういうことに近いのではないかと思うのです。ヨガにはエグいほどの歴史がある哲学です。別に僕がヨガに詳しいわけではないのですが、スピリチュアルっぽいヒーリングミュージックがかかる部屋の中でヨガマットを敷いて体をのけぞらせることが本質のはずがない、ということくらいはわかります。ていうか、ヨガ風エクササイズをしている人たちもその認識はある、ん、です、よね?
要するに、本質を知らないで「なんかオシャレそう。最近流行ってるよね」くらいの感覚でやっている人たちも混ざってしまっていて、勘違いしたまんま変なプライドだけついちゃって手に負えなくなる。そういう人たちがお店の中で騒いでいたのかはわかりませんが、変なのも混ざっているから全体のイメージが悪くなるのではないかと思うわけです。
話をヴィーガンに戻します。さっきコレを書きながらちらっと調べてしまったのですが、どうやら僕がヴィーガンだと思っていたのは、厳密にはなんちゃらフルータリアンといって、ヴィーガンよりもさらに規制の厳しい人たちの思想らしいです。こういうふうに、ノーマル以外のひとたちは細かくて仕方ないので、本記事では「ヴィーガン=究極に殺生しない人たち」で通すことにします。
僕が言いたいことは、本当のヴィーガン以外は「全員ただの好き嫌いの激しい人だろう」ということです。なぜなら思想がないから。矛盾しちゃうから。
よく議論されることですが、ベジタリアンさんたちの考えは動物がカワイソウだから肉や魚を食べない。というのがあります。でも、植物は食べるし、羽毛布団にくるまれて眠るわけです。それって、命あるものを食べてるし、動物の羽をむしっているわけで矛盾しています。そういう人たちは、いろいろ主張するときにそういうところ突っ込まれたらなんて返しているのでしょうか。「いや、それはそれだ!」と癇癪で乗り切るのでしょうか。説得力なくない? 大丈夫? 整合性取れてる?
てことになり、そういうのないんだったら、それって単にあなた(たち)が嫌いで食べたり身につけていないものを他人に強制しているだけなんじゃない? ということ。
そしてヴィーガンさんたちに対して聞いてみたいことは、どこまでを「命」として見ているかということ。人間として生きる以上、何も殺さず、何の犠牲も出さずに生活することは物理的に不可能であると考えます。
病気にかかり、薬を処方されたとします。その薬が出回るためには、何度も動物実験を経ており、その過程でたくさんの生き物の命を奪っています。薬、飲めなくないですか?
普段歩いているアスファルトをつくるときには、沢山の土をでかい重機で掘り返しています。土の中の生き物の命は根こそぎ奪われています。舗装された道、歩けなくないですか?
家の中にも、空中にも、微生物はいて、顕微鏡で見ると彼らが生きていることを認識できます。そういうのは大丈夫ですか?
どこまではOKで、どこまではNGだってルールが多分あるんでしょうけど、それを決めたのも、人間なんですよね。人間の生命活動を続けることが前提なんですよね。てことは、矛盾しませんか?
とかとか。考えれば考えるほど、疑問がいっぱいで面倒くさいと思ってしまうのです。人生つまんなくなるくらい生きにくくなりませんかと思うわけです。これを見たその筋の人がいたら、本気でいろいろ教えてほしいと思います。結果的に僕の生活はなんにも変わらないかもしれませんが、僕は納得がしたいのです。腑に落ちたいのです。
だから、セミナーとかやってくれないですかね。
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