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スピード感、嫌い

結果からお話をすると、この日本において、社会人は等しく、速い人のスピードについていかざるを得ない構造になっています。

毎日、陽の当たる縁側でのんびりお茶を飲みながら、刺し身にのせるたんぽぽを選別している人も、開店から閉店まで、一人もお客さんがこなくて競馬新聞を読みふけっている古本屋の店番も。

分単位のスケジュールの中で「あの電車に乗り遅れたら次の商談に遅れちゃう!」と駅のホームをヒールを鳴らして走るOLや、「ソリューション! ソリューション!」と声高に叫ぶ、六本木のITベンチャー企業社長と同じルールの社会で生きなければならないのです。

最近、Youtubeでもビジネス系のチャンネルが増えました。ビジネス書、自己啓発本は相変わらずアホほど刷られています。その情報発信者のほぼ全員が「スピード」が云々という話をしています。簡単にいうと、「早く成長する」「時代についていく」「即行動こそが成功の鍵」などなど。

みなさん、なんとなくわかりますよね。まあ、そうだろうな、くらいには思うかもしれませんよね。しかし、僕を含めてみなさんの生活はおそらく変わっていないでしょう。

そんなあなたたちに、僕は最高の逃げ道を提案したいと思います。

スピード感なんてクソだ、と。

さて、ここでカンのいい人だったらすぐにこう思うはずです。「いや、お前は誰やねん」と。

そうなんです、僕は何者でもないんです。成功していないし、失敗もしていない。特別メディアに取り上げられる実績もない。

でも、それは当然のことなのです。

考えてみてください。有名な人が発する「自分はこうして成功した」なんてのを実践して成功していたら、みなさん成功して有名な人、になれるわけです。でも、今現在、僕も含めてみなさんが成功して有名になっていないということは、そういう人たちの本を読んだところで、身になっていないということではないのでしょうか。

僕が有名になっていないのは、そういうことを一切実践していないから当然です。でも、実践したのに成功せず有名にもなれず、今ここでこの文章を読んでいるあなたがいる。それはつまり、そういうことなんです。

盲目的に有名人の「名著()」の言葉に翻弄されて、使いどころのない意識高いっぽいカタカナ語ばっかり覚えて、クソ面白くもない経済雑誌や新聞に目を通してプライドばっかり高くなって、しまいには意識高いっぽい人たちのサークルに参加して意識高いっぽい話に花を咲かせて、意識高いっぽい人生を送る、凡人として。

僕の言葉こそが、あなたにとって一番いいものだ、というつもりはありません。僕の目的は、そういう勘違いしてつまんない人生を送ってしまう人を一人でも普通の感覚に戻してあげることなのです。

だいたいご理解いただけたでしょうか。では、そろそろ本題に入ります。

スピード感がどうの、ってそもそもそんなに大事なの?って考えたことありませんか。僕はそればっかり考えていました。

5Gのことを早く理解して、なんなの? それを見越したビジネスを、あなたは始めるの? 始めないですよね? だとすれば、誰かより早くそのことを知るメリットは、ゼロとは言いませんがそんなに多くないはずです。

一番乗りで知った人から遅れること2年。あなたはついに「5Gってそういうことなんだ!」と理解しました。それについて、2年前から知っていた人に「おっくれてるぅー」「損してるよ」などと言われました。そんな時がきたたら、イメージしてみましょう。5Gのことを彼が知っていて、あなたが知らなかった2年間。あなたは一度も笑わなかったのでしょうか。損してるかも……と思いながら日々を過ごしていたでしょうか。5Gの電波は皆同じように2年前から降り注いでいて、あなたを馬鹿にしている彼との違いは、彼はなぜYoutubeがちょっと早くなっている理由を知っている、くらいのものです。それになんの意味があるのでしょう。

べつに5Gに限ったことではありません。なんでもそうです。早く知らないと損をする。自分は●年前から知っていた。と言われても「はあそうですか」という感覚しかないんじゃないでしょうか。

ちょっと深いところに片足を突っ込んでお話します。

こうなってくると多分、最終的には搾取する人生とされる人生、みたいな話になっていくんです。

僕はこれについても、みなさんの代わりに考えてみました。

結果、別に搾取される人生であっても何も問題はない。です。ただし、これには条件があって、それは、自分が搾取されていると感じないこと。

気分を害する人もいるかもしれませんが、現実問題、搾取し続ける人、され続ける人、というのがいて、多分これからもそれは変わりませんし、少数の搾取する人と多数の搾取される人、の構造も変わらないでしょう。だけど大切なのは、自分が搾取されていると自覚しながら生きるのか、気にしないで楽しく生きるのか、という点にあります。

もっというと。

生きている間、どれだけ搾取されていて(お金的に)制限が多い人生だったとしても、その人がそういうことも含めて死ぬ間際に「ああいい人生だった」と心から思っていたのだとしたら、その人は、きっと誰よりも幸せな人、なのです。

逆に、生きている間に、さっきの人から死ぬほどお金を搾取して私腹を肥やしたとしても、死ぬ間際に「クソつまんない人生だった」と不満タラタラだったとしたら、その人は幸せな人生ではないはずです。

これはちょっと極論ですけどね。

とまあ、何が言いたいかというと、搾取している、されているという考えはお捨てなさい、ということです。人よりも損をするかもしれないから、スピードを意識して生きるんだ! ということはごくごく一部の人以外にとっては本末転倒なことで、そんなものに何の価値もありません。

別に大丈夫ですよ。大なり小なり、ほぼすべての人はごく一部の人達に搾取をされているのです。今この瞬間も。死ぬほど勉強して、そうした社会の不条理に近づけば近づくほど、きっとそういう理不尽なことを許せない気持ちが高まっていくでしょう。

そういう人は政治家になって、世直しをしたい、と思うか搾取する側になんとかして回って「自分は損しなかった、よかったよかった」と自己満足感を得るのです。ただその代償として「死ぬほど勉強する時間、真理に近づいてイライラする時間」というとんでもなく莫大な時間を消費しなければならなくなります。

だから結局の所「どうやら、自分は誰かになにかを搾取されているっぽいけど、毎日不自由なく生きているし、趣味も楽しんでいるし、家族もいるし、まあいいか」くらいの気持ちで一生を終えるほうが「絶対に」いいのです。

あ、一つ言っておきますが、ノー勉でいいと言っているわけではありません。最先端のことは知らなくてもいいけど、ある程度一般常識の範疇では世の中のことを知っていないといけません。考え方たとしては大衆と同じ速度感で物事を知っておく、ということでしょうか。

烏合の衆、とくくられることに抵抗感がある人もいると思いますが、それは別に最悪なことではありません。最悪なのは全く勉強しないで、下の意味で社会から外れること。もしくは中途半端に先を目指し、知ることで人生がつまんなくなってしまうこと。です。

このあたり、バランス難しいですかね。

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