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元恋人によるリベンジはなぜ発生するのか

この内容は気分のいいものではありません。早いうちに退室してください。










常識の愛と現実の愛のギャップ

 私たちは、人間同士の愛を考える時、相手に対する無差別無償の愛、見返りを求めない愛を想起します。ところが、実際はそんな愛、ほとんどと言っていいほどありません。
 
 たいてい、男は女を愛しているわけではありません。また、女もそうです。二人は、あくまでも自分を愛しているのです。

 
例えば男にフォーカスを当ててみます。二人の関係がいい間は、その女といると、とても仲良く、気分よく、本当に顔も輝いていて、非常に素直に、快活になります。そして、その女を取られそうだと思うと、激しく嫉妬したり、攻撃的な態度になったり、不快感を爆発させたりします。 

 周りの人たちも、ひょっとしたらとてもほほえましく、『羨ましいな。』とか、『この男の子はこの人を本気で好きなんだな。』と思ってしまうものなのです。それは女の側からしても一緒でしょう。

 女自身も、自分のことを好きでいてくれるその男に悪い気は起きません。そして、女の人は嫉妬がとても好きですから、嫉妬をするその男のことをなおのことかわいく思えてくるものなのです。自分の魅力や、自分が相手に与える愛の力に、どこか気持ちのよさを味わっていることもあるでしょう。

 ところが、女も男も、それぞれお互いがお互いを、私たちが頭の中で考えるような、美しい愛をもって好きになっているのではないのです。

 あくまでも、自分(男・女)への愛を、その存在(女・男)を通して満たしていたにしか過ぎないのです。
 
 
ですから、女からすればその男によって自分への愛を満たせなくなれば、もうその男はいらなくなります。

 一方で、男はそれにもかかわらずその女と変わらぬ関係を続けたいと思っていることがあります。こうしたとき、リベンジ行為が行われやすいのです。

リベンジとは何か

 日本語では『復讐』と訳されます。復讐とは、自分を攻撃してきた相手に対して、自分が逆に攻撃しかえしてやることです。では、そもそも攻撃とは何でしょうか?

攻撃とは何か

 攻撃とは、『自分自身に属する変動するものに対して、増加、を欲する物事に対しては減少するように行動し、減少を欲する物事に対しては増加するように行為する、もしくは安定を欲する物事に対し、変動を加える。』と言った意味です。
 
  例えば、私には体があります。私は家を持っています。そして食料が冷蔵庫や台所にあります。お金を持っています。

 ある時、強盗が押し入り、私の体にナイフを刺した後、金品を奪って逃走し、ついでに食べ物もいくつか奪っていきました。

 この時、私自身の体が傷つけられたのですから、生命を維持するのに必要な手段を減少させられたことになります。ゲームでいえば、ヒットポイントが下がったわけですね。食べ物やお金を取られると、余計に生命を維持しにくくなります。医者にもかかれませんし、栄養も補給できません。

 私は自己保存欲求を持っているので、命を維持する手段は多ければ多いほどいいのです。しかし、強盗によってそれは著しく減少させられてしまいました。これは強盗による攻撃なのです。

愛を与えなくなるのも一つの攻撃

 かつては愛し合った恋人も、やがて関係がうまくいかなくなり、別れてしまう。というのはよくあることです。しかし、一方がまだ気持ちを満たし続けていたいのに、他方の気持ちが変化してしまう、ということもよく起きてしまうのです。

 したがって、恋人は相手の気持ちをつなぎとめておこうと、ライバル減らしやご機嫌取り、外観をよくする、能力を見せる、経済力を見せる、などの普段から様々な工作行為を行うこともあるわけですが、それでもうまくいかなくなることはよくあります。

 人は性欲を持っています。男は一般的に女によって性欲を満たし、女は男によって性欲を満たすわけです。性欲とは、肉体関係のみならず、異性がそばにいることによって感じる雰囲気やら、情愛を求めることなど、全てを含むとします。

 ところが、今まで自分の性欲を満たしてくれていた相手が、交際を打ち切ってきました。例えば女のほうが、男との付き合いをやめ始めました。それにもかかわらず、男はその女を通して自分への欲求を満たしたいという気持ちがあります。

 この時、それに関連する女の態度は、全てその男への攻撃になります。

攻撃に対しては攻撃をしたくなる

 例えば警察が自分の職務に基づいて自分の行動に文句を言ってきたとします。自分が全く悪気のなく交通規則に違反したりしたときなど。何にせよ、相手が正しいかどうか、正しいとされているかどうかにかかわらず、自分自身が自分自身に対して持っている評価が減少してしまうと、それだけで警察に敵対心を抱くことがあります。
 また、人は『逆切れ』を起こすこともあります。

逆切れとは
 

逆切れとは、自分が自分に対して攻撃をしたのに、そのことに耐えられず、他者に攻撃的な態度をとることを言います。
 
 私の経験でいえば、突然気管に飲み物が入って噴き出した人がいました。
すると机の上にその液体が飛び散ります。幸い食べ物がなかったのですが、その人は『ごめん。』とつぶやいて、一生懸命その液体をふきました。こちらはあまり気にしていないのに、『どうしたの?気を付けてね。』と一言言ったら、

 『っ!だから謝っとるだろうが!』

と顔を赤くして怒鳴ります。

マーキング本能

 男はその女によって自分への愛を満たしているわけですが、男はよく犬に準えられます。そして、女はネコに準えらえます。
 犬がマーキングを行うように、男は女に対して一種のマーキング欲求を持ちます。その女は自分の物であると、他の男に対して示威を行いたくなるのです。そのため、その女とSEXすることを要求します。自分の精子が女の子宮に届くことにより、その男のマークを行うのです。
 逆に、その女が既に誰かによってマーキングされた、となると、男はどこか敗北感のようなものを身に覚えます。だから、自分が初めての男ではないと知ると、男は残念に思うことがあり、その女の愛を疑ったりすることもあります。すると結局、関係がうまくいかなくなることもあります。
 したがって、昔から嫁入り前の娘に手を出す、ということは一般的にタブーとされてきました。

なぜリベンジポルノを行うのか

 女に振られるということは、他に好きな人ができたということもありえます。それが本当のことかどうかはともかくとして、男はいの一番にその可能性を考え付くものです。
 
 すると、その女はその男と性的な関係を持つことに発展していく可能性が高くなります。そうなると、自分こそがその女に受け入れられた男であるという誇りを、どこかで傷つけられるようになります。

 とりあえず、女に振られること自体が自分に対する攻撃であるということは今までの話で分かっていただけたと思います。しかし、どうしてその女との間でとったポルノ系画像などをばらまくのでしょうか。

 自分が手をつけた女だということを示威し、他の男たちをいい気にさせたくない、という競争心によるものだと推察します。つまり、その女を手に入れる可能性のある、不特定多数の男に対してそのような示威活動を行うことにより、自分が少しでも満足感を得たいのです。
 また、そうしたポルノ系画像を公衆の下でさらすことにより、次にその女を手に入れた男にとって、その女は既に大衆の目にさらされた女ということになり、その二人の人間関係にいろいろとヒビが入りやすくなります。
 もちろん、その女に対して復讐をしたいという気持ちもあるでしょうが、それならもっと他のやり方があるはずです。

 きっとその男にとって、その女は性欲のはけ口、他の男との競争に勝った証、自分が優れた男であることの証明、そういった自己の欲求を満たす対象でしかなかったということでしょう。そうした欲求を、その女を通して満たすことができていたのです。
  ところが、女に振られることによって、それが完全に否定されたわけです。
 しかし、欲求が満たされなくなった人間は、なおもその欲求を満たそうとあがくものです。転じて、その女が、絶対に他の男のものにはならないよう、他の男との関係構築の可能性を未来永劫封じておきたかったというのが真意だったのではないか、と思います。そうすれば、消極的に自分を選ぶしかなくなってくるからです。

 普通にかんがえて、そんなことしたら余計に嫌われるに決まってるじゃないか。というのが周りの人たちの意見だと思います。

 女はネコに例えられるように、女は男に不動産としての価値を見出します。ネコは場所になつきますからね。不動産とは、自分達が生きていくための基盤となるものです。地面がなければ私たちは生きていけません。そして、その不動産からは、作物が実ります。つまり、収益を獲得できる根源的な土台となるものです。

 その男に収益獲得能力がないと知ると、女は男に対しては魅力を感じなくなります。最近でこそ男女が社会に共同参画をするような流れになっていますが、まだまだ男のほうが社会的な地位は高いものなのです。

 となると、結局男は女を金で買っていることになります。
私も個人的に言えば、結婚といわれているものは、一種の淫行取引だなと感じています。

外部の人たちから認められた淫行か、あるいは認められていない淫行か。その違いですね。

 結婚と愛が一致しているというのは、まず珍しいように思います。政略結婚なんて昔から行われてきたわけだし、モテる男もモテる女も少ないので、結局はやむなしの結婚というのも多かったと思います。

 また、女性は不倫が好きということもあります。上戸彩主演の『昼顔』なんていうのは女性の間では大ブレークでしたね。

女自身、結婚って何なんだろう?って思っていますからね。ですがこれはまた別の話。

ちなみに、ラヴゲーム

 試合で0のことをラヴと言います。語源を正確に調べたわけではないのですが、もし愛のloveと同じならば、話がよくわかります。愛は結局何もないことと同じ。0だ。ということを意味しています。つまり結局は変化するもの、やがては消え失せていくもの。つまり、私たちが勝手に頭の中で思い描き、感じていただけのもので、実体は何もないということです。

あなたのことが好きな人は、本当にあなたのことが好きなんですか?そしてあなたは、本当にその人のことが好きなのですか?

 女は男の気持ちを嫉妬心で確かめようとしますが、残念ながら嫉妬をしたからといって自分を好きであるとは限りません。リベンジポルノをした男も、激しい嫉妬にかられたはずです。『好き』という言葉の意味をどう解釈するのか、ということにもよるのですけど、これはまた別の話。

 自分が好きなその人、しかし、結局はその人の『顔』、『体』、『財産』、そういった自分の欲求を満たしてくれる何かを求めて、それを通して自分を満たしているだけなのではありませんか?

 

 
 
 
 

 

 

 




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