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「自然権を理解しよう」④ 自然権から見た時の国の正体ー死刑制度の正体

国家は自然権の集合体
 
先生「ここまでのことをおさらいしましょう。自然権は、一言でいうと、何でもしていい権利ということでした。これが完全に認められる場合、人を殺してもいいし、物を盗んでもいいのです。」
 
学生A「はい。」
 
先生「そして、自然権は人間が生まれながらにして有する権利ですから、それは人類の起源にまで遡って考えることができます。彼らの時代は、法律というものがありませんでした。法律がないということは、犯罪もなかったということです。」
 
学生B 「そうですね。」
 
先生 「では、仮にこの時たくさんの人がお互いに自然権を満たし合うとどうなるでしょうか。例えば、お互いがお互いを殺し合うような世界です。それは大変生きづらい世の中になりそうですね。」
 
学生A 「そうそうすぐに殺し合うともおもえませんけど・・・。」
 
先生 「殺し合わなくとも、力の強いものが弱いものから物を取り上げたり、殴ったりけったりなどの暴行を加えたり、自分の都合のいいように従わせようとする、それくらいのことは行われるかもしれませんね。そこで、私たちの自然権の行使を、どうにかして調整しなければなりません。」
 
学生A 「そうですね。」
 
先生 「随分と簡単にしますが、そこで国家という考えが生まれてきます。その国家に私たちの自然権を信託したものと考えます。国と言ったり国家と言ったりしますが、ここでは同じものと考えて下さい。」
 
学生A 「信託?」
 

先生 「はい。信託という言葉の意味については、後ほど解説いたします。ルソー・ホッブズ・ロックといった自然権の思想家がいた時代、既に国家というものは存在していました。当時は、<国家があるからこそ、そこに初めて民が存在している>というのが当然となっている考えでした。
 これが自然権を軸に考えると真逆になります。<民がいるからこそ国家がある>という方向性になるわけですからね。そして、民は自分達の自然権を国家に預けて、管理を任せたということになります。」
 
学生B 「本当にそんなことがあったんですか?」
 
先生 「目に見える形では無かったと思います。私たちが心のどこかでリーダーを認定するように、国というものを認定したのだと思います。」
 
学生A 「私たちも学校でリーダーを決めますね。そして、リーダーの指示に従って動きます。その時、私たちが「自然権をあなたに信託します。」なんて、いちいち言いません。」
 

先生 「その通りです。リーダーを選び出すということは、自分達が好き勝手に動くことを自分達から進んでやめたということです。つまり、自然権を自分から制限したということは間違いないでしょう。」
 
学生A 「そうですね。誰かさんみたいにリーダーが決まった後も好き勝手に動かれたら困ります。」
 
学生B 「それ、誰の事だよ?」
 
学生A 「自分の胸に聞いてみたら?」
 
先生 「(仲がいいのやら悪いのやら・・・)小さな集団のリーダーを自然と選びだすように、そういう立場のものが国という集団のリーダーになっていったのです。そしてそのリーダーが自分達の目的をかなえてくれないとおもったら、すぐに別のリーダーに変えられてしまうこともよく起きますね。さて、かなり話は簡略化していますが、このように国家ができ、私たち個人の自然権を総括して管理するようになったとします。自然権を信託したということは、自分が殺人をする権利も、物を盗む権利も、全て国に任せたということになりませんか?」
 
学生A 「ええ。そうですね。」
 
学生B 「あっ!ということは!」
 
先生 「国が死刑を行うのも同じことです。我々が国家に対して殺人をする権利を信託したということは、国家が殺人を行う権利をもつということです。つまり、それが死刑制度の正体です。」
 
学生A 「なるほど・・・。」
 
学生B 「ってことは待ってください!それって、僕たち全員が殺人をしたってことじゃないんですか!?」
 
先生 「おっしゃる通りです。」
 
学生A 「・・・。え~っ!!!」
 
学生B 「なんてことだ・・・。僕たちは殺人者だったのか。」
 

先生 「『赤信号、皆で渡れば怖くない。殺人も、皆ですれば、罪じゃない。』ということです。ですが私たちが殺人罪に問われることはありません。」
 
学生B 「信じられません・・・。それは普通だったら国民全員が殺人罪で起訴されるっていうことですよね。」
 
先生 「その通りです。面白いことに、警察官、検察官、裁判官などの司法関係者も殺人をしたことになります。死刑が一度でも行われた以上、それ以降の殺人犯は殺人者たちによって裁かれるのです。」
 
学生A 「でも、私たち、死刑にしてくださいなんてお願いしたことは一度もありませんよ?」
 
先生 「法律というのは、国民の代表者である国会議員が制定します。全てはその法律に基づいて行われます。刑法の殺人罪の項目にちゃんと死刑と書いてあります。私たちの代表者が作った法律なので、それが私たちの自然権の行使だと見なされるわけです。ですから、Aさんが何もいわなくても、法律に基づいて刑は執行されます。」
 
学生A 「だからって・・・。どうして死刑にするんですか?」
 
先生 「見せしめですね。昔から権力者はよく死刑を行いました。人は普通死を避けて、自分を保存しようとします。これを『自己保存の本能』といいます。ですから、死刑にならないように動こうとします。つまり、死刑になるようなことをしなくなるので、殺人などの行為を行わなくなるわけです。ただし、死刑は重大な犯罪に限り認められています。」
 
学生B「そっか。それで次の殺人を止めているんですね。」
学生A「死刑は、見せしめだったのですね。」
 
先生 「その通りです。犯人に次から悪いことをしないように、というのは、死刑では絶対に無理ですからね。」
 
学生B 「なるほど・・・。人を殺しちゃいけないって当然のことだと思っていた。わざわざこんなこと書かれなくてもやっちゃいけないってわかると思うんだけどな。でも、死刑も人を殺すことなんだよな・・・。」
 

先生 「人を殺してはいけないというのは当然のこと?ならばどうして死刑は人をころしてもよかったのでしょうか。何ごとも当然だ、と思うことは危険です。間違って考えていたものを、もう間違いの無いことだと決めつけてかかっている可能性を見過ごすことでもあるからです。『当然』と言われるようになる前に、一体どのような経緯があったのか?ということを見落としている人ほど、そういう言葉を使っているように思います。当然とされているものは疑ってかかるべきです。それは、常識を疑え、ということと同じようなことです。当然になる前の考え方をしっかりと理解してこそ、当然という言葉を使うようにした方がいいと私は考えています。武士の時代には人を御免といって切り捨ててもよかったのですから。当時はそれがその時代の人にとって当然のことだったのです。つまり、人はルール次第で殺人をする。今も死刑制度が日本に存在しているということがその証拠なのです。
 
学生A 「ショックだわ・・・。(すごい青ざめる)」
 
学生B 「そんなにか?」
 
先生「そうですね。殺人が犯罪となる今でさえも人は人を殺すことがよくあるのです。毎日殺人は起きているくらいです。」
 
学生A 「もう一つ恐ろしいことがあるんです。これは人が人を殺すっていう心自体がなくなるのではなくて、殺させないように追い立てている気がするんです。つまり、人を殺したいって考えている人が世の中にはいるけれども、刑法がそれを抑え込んでいるだけってことじゃないんですか?」
 
先生「その通りです。殺人罪の規定は人を殺したいと考えている人を処罰するものではありません。」
 
学生B 「あ・・・。そっか・・・。そう考えると怖くなってきた。」
 
先生 「刑法は憲法と通じるところがあります。単に人を殺したいと考えているだけでは処罰されない、というのは、思想及び良心の自由(憲法第19条)に通じるものです。どれだけ心の中で死んでほしい、とか殺したい、と思っていても、それだけでは殺人罪には問われません。殺人罪となるのは、殺人の実行行為と、結果、他に責任能力等も必要になるのです。ですが、ここはあくまでも自然権の話ですから、刑法に深く入っていくのはやめておきます。また、思っただけで処罰されるようになってしまうと、戦時中のように思想犯を処罰することができますから、恐ろしい世界になりますよ。」
 
学生B 「でもさ、誰だって一度や二度は殺すぞ!とか、死ね!とか思うことはあるでしょ。」
 
学生A 「私が言っているのはそういうレベルじゃないの。私たちの学校にも、人を殺したいって思っている人がいるかもしれないってことじゃないの。私たちの家の近くにそういう人がいたらどうするのよ。私が言っているのはもっとすごい変質者のような人のことよ。」
 
学生B 「そんな奴いるわけないだろ。」
 
学生A 「どうしてそんなことがわかるのよ!」
 
学生B 「わからないけどさ・・・。けど、そんな変な奴がいたら、噂になるだろ。」
 
学生A 「そっか・・・。けど・・・。もしかしたら、噂にもなっていないことだってあるでしょ。そういうのはうまく隠されていることだってあるんだし。」
 
先生 「そうかもしれませんね。」
 
学生A 「ほらーっ! やっぱりあたし怖い!」
 
学生B 「そんなこといってもさ。それじゃ世の中に殺人者がいるからこの世にはいられないっていうのと理屈は一緒じゃん。気にしすぎだろ。」
 
先生 「そうですね。話を続けますよ。確かに殺人にしろ窃盗にしろ、自分がしたいことをするのが自然権の行使です。そして、法律をはじめとしたルールというものは、そうしたものを野放しにすると困るから作られたものでした。しかし、ルールは予知能力とか、読心術を使って、それを破ろうとしている人間を察知し刑罰を自動的に科してくれるような魔法ではありません。破ろうと思えばいくらでも破れるのです。そして、結果が起きてしまったとしても、それだけでは何もしません。後から警察が捜査をして、やがて立件されて、裁判所で犯罪として立証され、判決を受けることになるのです。」
 

先生 「法律はただ書いてあるだけでは何の効果もありません。破った人に対しては、それなりのことをしなければ絵に描いた餅になってしまいます。ですから、法律の内容を具現化するために、警察や検察、裁判所などの司法機関があるのです。つまり、国が法律の内容を具体的に行使するということです。」
 
学生A 「はい。」
 
先生 「では…次の話に入りますよ。」
 
この章のまとめ
① 国民全ての自然権を信託し、国家にその管理を任せる。国家はそのためのもの。
② 国家は、自然権の集合により出来上がるもの。
③ 国家が国民全員の自然権を持つ。
④ 自然権は、殺人の権利を含むから、国家も、殺人の権利を持つ。
⑤ 国家が殺人の権利を持つということは、死刑を行えるということ。
死刑制度の正体は、殺人の権利である自然権。


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