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説明責任とは何か

政治責任とは何か。それに伴い、説明責任を果たすとまで言っているが、それはどういうことか。

まず、私自身、彼らから説明を受けた覚えがない。ひょっとしたらどこかのメディアで報道されているのかもしれない。何はともあれ、私が見落としているだけかもしれない。

実際、彼らが記者会見に応じても、全く説明になっていないことが多い。しかし、彼らはこれで説明したことにしてしまうのである。

説明責任は、説明さえすればよいというわけで、その説明の質を全く問うていないのだ。自分達が、これが「説明だ」と思っていることを「説明」して、満足するのである。

言い逃れとか、責任回避だと思っているから追及はしないけれども、もし仮に、もし仮にこのレベルが「説明」だと言うのであれば、彼らはお互いにコミュニケーションを日ごろからどうやって取っているのだろうかと疑問に思う。

責任という言葉はそもそも誤用されている、ということを以前述べた。しかし、あえて言わせていただくと、説明責任では軽すぎるのは確かだ。

国民の理解獲得責任、というレベルにしないといけないだろう。あちら側の土俵で全てが行われており、こちら側が納得したかどうかの地点まで説明が到達していないことは確かだからだ。

彼らが自分で勝手に物事のハードルを決めて、彼らがそれを乗り越えた気になり、彼らが勝手に満足をする。もうこの状態をやめるべきだろう。

早くこの世界に産まれてきてほしい。彼らは自分達の頭の中の尺度だけで生きていける。彼らにはたくさんの正解があって、どれでも正解なんだ。彼らはなんて幸せなんだろう。この世界はそんなに甘くないぞ。





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