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運命とは何か

運命とは命を運ぶと書きますけれども、一体何なのでしょうか。

人によっては、偶然と運命をまぜこぜに使うことがあります。

その区別はどこにあるのでしょうか?

結論から言いますと、

運命=他者の意思が介在している。(自分の意思も含む場合アリ)
偶然=他者の意思が介在していない。

ということになります。

例えば、奴隷として売られてきた娘が、ある貴族の召使になります。
しかし、その貴族は心優しく、その娘の状況を憂います。

娘は、これが私の運命なのです。というのでした。

そもそも、奴隷制度なんていうものが、人の意思によって作り出されたものです。そして自分はその仕組みに絡み取られ、周りの意思に流されるまま、その貴族の元にたどり着いたのです。

ですが、たどり着いた先がその貴族の元であったということは、偶然です。

このように、運命と偶然は非常に似通っており、どこからどう物事を捉えるのかによって違ってきます。

その貴族の元にいる、召使を雇う人間が選ぶ意志を持っていたという意味では運命ですし、たまたまその娘にしようと思ったというのであれば偶然です。

私たちは人間の社会の中に生きていて、その社会では有象無象の人の心が介在してきます。そして、自分達がどれだけ頑張っても、それはあらかじめ定められた仕組みによって、流されて行くことになります。

例えば、最もわかりやすいのが学校です。学校というのは運命によって作られた仕組みです。私たちの命は、小学校から中学校までは、少なくとも固定されて運ばれて行きます。ですから、今のほとんどの若者たちにとって、中学校まで卒業することは、運命なのです。

一方、どこの学校に行くのか、とか、自分がどこで生まれたのかというのは、偶然の要素がかなり関わっています。

運命は、人の意思が関わっているので、反抗しようと思えば反抗することができます。しかし、偶然には反抗することができません。また、例え運命であっても、その時自分が反抗する意思を持ちえない場合には、反抗することはできません。

例えば、私たちがこの世界に産まれてきたのは、自分の両親が子を作ろうという意思を持ったからです。だから、後は二人の関係により、自分が産まれてきたのは運命です。しかし、その時は私はいなかったので、その運命に反抗することはできません。

また、産まれてきたのが私であったと言うのは、親にも、自分自身にも選ぶことはできなかったので、偶然ということになります。

最近は、学校に反抗する人も増え、不登校児童が増え、そもそも学校に行かないことを選択する人もちらほら出てきました。これができるのは、学校に行くというのが運命にしかすぎないからです。

人は、人が自分の思った通りに動いてくれることを期待する生き物です。しかし、それがあたかも偶然そうなったかのように装うこともよくあります。人は自分にとって都合のいい流れが運命になってほしいし、それが偶然であってほしいのです。偶然であれば、そのような運命を敷いた人間も、責任を感じなくて済みますからね。

奴隷制度なんていうのも、都合よく作り上げられた運命の枠組みなのですね。

運命はたくさんの人間の意思によって複雑に絡み合い、大きなうねりを出現させ、個人の意思なんて全く無意味であるかのように、それを絡めとって行きます。

つまり、運命とは、全ての人間が自分自身の素直な心に従うことによって、当然生じる社会の流れということになります。もちろん、複数の派に分かれてしまうことが普通で、世界全体が一枚岩になることはないでしょう。ですから、奴隷制度反対という素直な心が、奴隷制度というものを押し返すことによって、南北戦争の勝利へとつながりました。そこで運命の流れは変わったのです。

社会は最低2人の人間がいれば、作り上げられます。

今の社会が腐っているのは、腐った人間の心がそれだけ自分達の退廃した流れ、すなわち退廃した運命の流れを創り出し、その中に人を乗せていっているからなのです。

こういう人たちは、決まって運命にからめとられた人間に対して、そうなったのはお前のせいだろ・・・ということがよくあるのです。いわゆる政治家の自己責任論です。人の運命を散々操っておきながら、全ては私たちのせいとはこれ如何に。まぁもちろん、そういう場合もありますけどね。

不満な人間は、運命というのをどこかで感じており、自分はその被害者であると感じていることがよくあるのです。それが社会の不満へとつながっていくわけですね。

それが膨らんでくると、最後のあがきに出て、私たちから見れば本当に不思議な、暴走を行うことがあるのです。無差別殺傷事件が起きるのも、これが一つの大きな精神的起因です。もちろん、もっと他にもあります。

運命とは恐ろしいものですね。自分の意思ではなかなかどうにもならない。

特に日本人は、周りの人もそうやっている、ということから、自分の行動もそれに合わせようとすることがあります。運命に流されやすいと言えば、流されやすいですね。



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