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2022年の初涙

いつもなら遅起きの土曜日。今日は決算業務のために土曜出勤となったパートナーに合わせて早起きした。

パートナーが会社に出掛けて行き、ひとりでボーッとテレビを観ていたら、とある番組が始まった。

「ふたりのディスタンス」


昨年にも観た憶えがあったので、その再放送だとわかった。

予約の取れない家政婦として活躍するタサン志麻さんとその夫、ロマンさん夫婦の「距離感」に関するドキュメンタリー。

フランス出身のロマンさんは、“伝説の家政婦” 志麻さんの助手として働いている。そのせいで、“志麻さんのヒモ” と囁かれることが多いらしいが、そのことについてどう思うか?と取材班に尋ねられると、「全く気にしない」と答える。続けて、「自分の幸せは、志麻が幸せでいること。だから志麻の仕事を手伝うことも、自分が育児を引き受けることも全然苦じゃない」といったことをサラっと言ってのける。それって当たり前のことでしょう?と言わんばかり、キザでもチャラくもないロマンさんの純粋さが表れた、ありのままの姿だった。

育った環境(国)も備わった性格も全く異なるふたりがそれぞれに抱えていたのは、出会うまで誰にもさらすことのできなかった “心の闇”。その闇を取り払うかのように互いに寄り添い、小競り合いしながらも互いを思い遣る。

ロマンさんのやりたいことや将来について心配する志麻さん。それに対して「夢は『家族』」と語るロマンさん。ちゃんとした家族を形成していくためなら、志麻が好きな仕事のためなら、自分は裏方でも手伝いでも何だってやると公言する。

ボーッと観ていながら気づけば涙があふれていた。ティッシュで拭っているときにデジャヴュを感じ、昨年の本放送のときにも全く同じように涙したこと思い出した。

再放送2回目のシチュエーションで今年初めての涙。

考えにくいことではあるが、もしこの「ふたりのディスタンス」が フィクションであったとしたら、監督はアカデミー賞ものだ。そのくらい、文句なしのクオリティ。

こんなふうに純粋に人を愛せたら、どんなにすばらしいことだろう。

愛する人を、ただただまっすぐに信じることができたら。見返りなどを求めずに、機嫌に左右されずにいられたら。誰に何と噂されようと、自分が幸せだと思うカタチを守り続けられたら。


見せかけや理想はどうとでも作れるけれど、真実は自分のみぞ知る。その真実の部分を冷静に捉え、いまの立場に幸せを感じるか、自分にとっての幸せは何かを問いながら暮らしていけたらと切に思う。

私にはロマンさんのように、「家族」に対する “無償の愛” を武器にできそうにはないけれど。



夜になってパートナーが帰ってきた。私の作った粗末な夕食でもおいしいと言って食べてくれる人の本心を探るのはやめようと思った。

夫婦であろうとなかろうと、いまこの人のことが好きだから一緒にいる。別れたくても我慢して一緒にいる婚姻関係より断然いい。

私にとってはどれほど年月が経っても愛のカタチが変わらずにいられることが重要。だからこそ、形式にとらわれず、いま目の前の事実を大切にしようとあらためて思うのだった。

ただただ、まっすぐに。