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愛のある上司

私にとって大事な人がまた一人、亡くなった。

それは、私が25年前に当社に入社して経理部門に配属されて以降、とてもお世話になってきた人だ。

当時、財務の資金グループ長から順当に昇進し、やがてCFOとなり、代表取締役副社長まで務めた人だった。

仕事にとても厳しくて、直属の上司ではなかったものの、私も何度も実務絡みで叱られたものだ。

ただ、その直後には、毛の生えてこなくなった自身の頭皮を自虐したりして場を和ませ、叱られている私たちにしては笑ってよいのかいけないのか微妙な表情になるのを面白がってか、豪快に笑って「あとはヨロシク!」と締めるのが恒例だった。

スラっとした鋭さのある長身で、北九州・小倉出身ならではの口調でモノを言う、誰もが恐れる存在だったけれど、厳しい言動の中にも “愛” がある、そんな人だった。

私が経理から広報に異動した後も、社内トラブルに遭った時、退職に追い込まれないよう最大限に守ってくれた。

私が直属の上司の不正を内部通報した時、全てが終わった後に「辛い思いをさせて申し訳なかった」と頭を下げてくれた。そんなことをした役員は彼だけだった。

どんなに仕事がつらくても、不満が募っても、その人がいるから、その人が自分に期待してくれているから頑張ろうと思えた。

3年前に顧問を退任してからも、年に1、2度メールのやりとりをし、今年始めには、賀状では足りなかったメッセージを手紙に書き連ねて送った。

それは、私にとってのラブレターだったのかもしれない。ふと思い立って、伝えたいことを渾身込めて書いた文章だったから。

数日後にメールで返信が届いた時、特にいつもと変化は感じなかった。相変わらずの情緒的な表現に加え、老いた身の自虐ネタ。

確かに身体は老いていたけれど、頭脳はいつも現役のまま、キレっキレだった。

そのメールに、一枚の画像が添えられてあった。
栃木の某有名鋳物店の駐車場で、愛車のミニクーパーと一緒に撮影された画像だった。
それが彼との、最後のやりとりになった。

役員秘書の先輩から訃報を聞いて、すぐさま直属の上司に報告すると、虫の居所が悪かったようだ。

「そんなこと今はどうでもいい!」
とキレられた。

広報部長という立場なのに、自社の元副社長が亡くなったことは「どうでもいい」んだって。

いま私は、そんな環境にいる。

心がおかしくなっていくのも、無理もないかもしれない…と思いながら、いつものようにぽつんと残業して、いっぱい働いて、来客用の茶たくを片づけていたら、秘書席の戸棚に、亡くなったその人が現役の頃に使っていたマグカップが残っていることに気づいた。

給湯室でバッタリ会った時、私に自慢げに見せてきた大きなマグカップ。
佐野のアウトレットで買ったんだと言いながら、まるで誰かに買ってもらったようなテンションだった。

「体制が変わり苦労が多いと思いますが、まぁ仕方ねぇかと流すところは流して、貴女が疲れないように」

最後のメールにあったその言葉が、私の中で木霊する。

長く続く新型ウイルスの影響によって、会えなかったことが悔やまれる。いつか、思い出を話しながら笑い合いたかったのに。

「あの時あんなこと言われて、ホント理不尽でしたよ!」
「あの時、私はうそをついてしまいました。ごめんなさい。」

まだまだいろいろ、伝えたいことがたくさんあったのに。

訃報の衝撃のあと、社内でも悲しみが広がる中で、いずれ叱られた経験の多い仲間同士で、あれやこれやと天に向かって文句を言ってやりたいと思う。

それが愛のある上司についた部下(私たち)の、弔い方だ。

その時、彼はまたきっとこう締めるだろう。

「あとはヨロシク!」