小説「素ナイパー」第6話
環七沿いにある趣味の悪い七色の電飾で飾られたBAR「ゆるい」は直哉達の行きつけの店だ。
オーナーがスナックだった居抜き物件をそのまま使っているので古いカラオケの機材や、紫色のちんちんらで貼られたソファーが残っていたが、妙に落ち着く感じがある不思議な雰囲気の店だった。
直哉、洋介と一平は、いつものように奥のボックスシートに座っていた。カウンターだけの店内に何故か取り付けられているこの席は洋介曰く「エロ席」でつい立てのあるおかげで他の客から中が見えなくなっている。しかしこの店に四人以上の客がいるのは見たことがない。このご時世だから、ソーシャルデイスタンスを保つのには最適だった。
「おまえさあ、まだ忘れられないわけ?」
トレーダーの洋介がボトルキープした「百年の孤独」を飲みながら言った。洋介はチャラいが数字に強く独学でFXを学びかなり稼いでいた。そのおかげで女性との飲み会のネタに事欠かない。
「何が?」
「なにがって、知子ちゃんの事だよ」
その名前が出ると向かいに座っていた一平が鼻で笑った。
「だから忘れてるって」
「嘘つけ。だったらデートくらいしろよ。そんな濃い顔してまあまあモテるのにさ。ちょっと前に会った子だってお前に気があっただろ」
忘れているという言葉は嘘だった。知子という名前を聞いた途端に胸の奥と、武井音羅の殺しの時に負った左手の傷が疼いた。
「もう何年前の話だっけか?」
「八年前」
「いつまでモジモジしてんだか。そうやって可愛いのはホテルまで来て、脱ぐのためらってる女の子だけだぞ」
「うるさいなあ」
「でもさあ」
すると一平がゆっくりとした口調で喋りだした。デザイナーの一平はアーテイストらしくいつも何を考えているかわからないが、時に鋭い事を言う。
「八年も女いないのは異常だよ」
「そうだそうだ」
「俺はなあ、おまえらみたいにヤりたいだけで彼女作らない肉食動物じゃないんだよ」
「誰が彼女いないって言ったよ?」
直哉のこの発言を待っていたように、洋介が得意げにグラスの百年の孤独を飲み干した。
「はい?」
「俺ら二人ともできたもん。彼女」
「マジ?」
一平は無言で薄ら笑いを浮かべていた。
「なんで?」
「つまりな、なんかこう彼女いる方がもっとモテるんじゃないかと思いましてね」
「はい?」
もう一度一平を見るといやらしい笑みを浮かべてゆっくりと説明を始めた。
「つまり、左手の薬指にある種の女子が群がるように彼女いますが何か?と公言すれば、チャラチャラ感が消え、今よりもいい女子が寄ってくるのではという・・・」
そこまでで一平が止めると洋介が得意げに「こと!」と叫んで財布からゴールドカードを出してテーブルに投げた。
「おまえら馬鹿じゃないか?」
「そんなわけで、しばらく飲み会やんないから」
「なんでだよ」
「だってよ、次からは彼女持ちオンリーだからさ。」
「意味がわからん」
「ちょっとお前を甘やかし過ぎたなって思ってもいるんだよ。そろそろ自分の力で探しなさい。女子を」
「俺らはお前に何度もチャンスを与えた。しかしお前はそれに答えてはくれなかった。というか、最初から答える気なんてなかったわけだ。なぜなら心にはまだ知子がいるから」
「そんなこと・・・」
ない、と堂々と言い返す事はできなかった。
「過去をしっかり清算してから出直してきなさい」
「俺たちの親心だ」
直哉は自分のこれからの週末を想像した。職業のカモフラージュのために週末には仕事を入れていない。
特に他に趣味もないのでこれからは家にいる事になる。しかし週末の心浮き立つ街の雰囲気が恋しくなって、予定もないのにそわそわしながら携帯を見つめてしまう。そのうち、10時を過ぎて誘いの電話が来るのを諦めると今度は来るはずもないのに、もしかしたらという妙にポジテイブな想像をしながら知子からの電話を待つ。
さらにそれをどうにか諦めると、知子との日々の回想に身を投じ何の実りもなかった昨日に後悔しながら日曜の朝をむかえるのだ。
そんな週末から逃げるための飲み会がなくなるのは一大事だと直哉は思った。
しかし洋介と一平を説得する手立ては自分にはないこともわかっていた。小さい頃からの親友の二人に自分の心を見透かされたのは腹が立ったが反面、言っていることは間違いない正論だった。この二人はたまにこうやって人の革新をつく。
店を出て二人と別れると重い足取りで家路についた。外は春らしく気持ち良い風が吹いていた。その風の匂いが、どこかあの時の知子のシャンプーの香りに似ているような気がして直哉はまた過去の回想に入り込もうとしたがそれをどうにか食い止めた
(なにか新しいことを始めないと)
すると、春風のおかげか今まで考えもしなかったそんな思いが直哉の心に生まれた。まるで様々な嫌な事を、無理矢理季節の区切りに清算しようとするお局OLのように。
閃いた案は仕事に関するものだったがいろいろ考えてみるとそれも悪くないかもと思った。
得意の妄想にふけると新しいことを始めた想像の中の未来の自分はさながらジェームス・ボンドのようで直哉は少し前向きになれた。そして勢い任せに携帯でアメリカにいる父親に電話をかけた。
「もしもし。直哉ですけど。話があるんです」
直哉は意識的に真面目な口調を作って言った。春風はいつも迷った若者に安直な思考を運んでくる。
僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。