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小説「リーマン救世主の憂鬱」 第5話

 西麻布交差点付近にある「エデン」の入り口には行列ができていた。行列に並んでいるのは無料で集まる女性たちをナンパするために集った男達ばかりで待たされている事もあって、皆少し殺気立っていた。

 六本木交差点から西麻布へ向かう坂を下りる間にも谷山はたんまりと山園への愚痴を吐き、途中でゲロも吐いた。

「すごいなあ行列」
「ああ。どうする?帰るか」
「いや、実は知り合いがいてさ。ちょっと待て」
 谷山はスマホを取り出し電話をかけ始めた。知り合いがいるということは中でさらに一人になるチャンスが減る。状況はかなり混沌としてきた。

「よう。俺だよ。いるのか?ああすごい行列。オッケー。サンキュー」
 会話が終わると、谷山が嬉々として言った。
「VIPルームにいるらしいから混ぜてもらえる。並ばないで入れるし、料金も払わないでいいぞ。そいつ金持ちなんだ」
 

 何もなければ俺も喜べたかもしれないが、今日はそうはいかない。ただもしかしたらVIPルームに標的の男がいる可能性もある。
 俺達は血走る男達の冷たい視線を背中に受けつつ、行列をすり抜けてクラブに入った。
 

 地下3階まである大きなクラブ内はどのフロアも人で溢れていた。トイレでもバーでもそこかしこでナンパが繰り広げられていてまるで狩場のような雰囲気だった。

 VIPルームは一階のフロアの奥にあった。ソファ席がいくつか置かれたその席には仕切りはないが一段高くなっている。
 そしてフロアにいるサラリーマン達よりも明らかに良いスーツを着ている男が多い。横にいる女の質も高くて、安物のスーツを来た俺達には完全に場違いな場所だった。しかし入り口のボーイに谷山が名前を告げると中に入るのを許された。

「よう。ありがとうな」

 VIPルームのソファ席に座っていたのは石川と言う男とその他数名。すでに女性をナンパしたようで、モデル風の女性達とシャンパンを飲んでいた。

「谷山さん。お久しぶりです」

 石川は谷山の部活の後輩で会社経営社だった。かなり稼いでいるようで、毎晩のようにクラブで遊んでいると自ら話した。

「いやしかしお前も成功したなあ」

 シャンパンを石川に注がれながら恨めしそうに谷山が言った。
この歳になると、同級生だけではなく後輩が起業して成功しているなんて話を聞く。そんなのを聞くと自分との差に愕然とする。起業したいなんて欲求がない俺でも、何やってんだ俺・・・なんてことを思うこともある。
 今の谷山なんてさらにその思いが強いだろう。しかし、ここに来ようと言ったのは自分なのだから仕方がない。
 どうにか後輩に同情されるようなみすぼらしい状態にはならないでくれと願いながらクラブ内を観察した。
 

 今のところそれらしき「モノ」の姿は見えない。かなりの客がいてそれに付随している小悪魔は多くいたが、大物は皆無だった。

 わかりやすく言うと悪魔には2種類いる。普通の悪魔と小悪魔だ。小悪魔は人間に憑くが憑依はできない。人間の頭の上に浮いて囁いて人生を狂わせる。
 しかしさらに上の悪魔になると人間の身体に憑依し、その意識を乗っ取る事ができる。憑依された人間の身体からは黒いオーラが発散され、俺はそれを見る事ができる。

 ふと、標的の男がもしもこのクラブに来なかったらどうしようかと頭を過った。そうなると、今後もこのクラブに通わなくてはならない。一人でクラブに?ナンパもしないのに・・・そんな寂しい事をするのは免れたい。

「おい加藤。飲んでるか?可愛い子多いよなあ」

 谷山はすでに隣に座っていた女の肩を抱いていた。一番隅に座っているせいで、俺の隣には女性はいない。まあいいのだが、せっかく来たなら・・・なんて少し勿体無さを感じた。
 すると、VIPルームに違う一団が入って来た。そしてその中の中心人物であろう男が目に留まった。
 男からは黒いオーラが発散されていた。谷山を飛び越えて、俺は常連の石川に聞いた。

「あの人、なんか凄そうだね」
「ああ逸見さんですよ。知りません?元々はコンサルテイングファーム出身で独立して、そこからいろんな大手のクライアント強奪しまくって今や海外のコンサルテングファームから敵視されるくらい成功している人です。相当頭もいいですし、何よりかっこいいですからどこ行ってもモテモテで」
「へえ。凄いな」

 起業か・・・正直、少し羨ましいところがある。俺にはやりたいビジネスなんてないが、自分で始めれば嫌いな上司もいないし、会社を作らないまでもノマドワーカーになれば自由な時間が増える。 
 そうなれば朝早くから満員電車に乗らなくて済むし、定時まで会社にいる必要もない。いや本当はそんな生活相当羨ましい・・・。

 一時期、何か一人で始められてすぐに今と同じくらい稼げる仕事はないかと考えたこともあったけど、結局何も浮かばなかった。俺にはそんなに強くやりたいこともスキルもない。

 まあいい。それはそれとして、ともかく相手を見つけたならこの先は近づく必要がある。とりあえず逸見がトイレに立つのを待つことにした。
 

 逸見の一団がソファに着くと、自然と女たちが集まりシャンパンが空いた。しかし逸見はただ静かに飲んでいた。その姿には明らかに大物感があった。
 仕事は無でやると言いつつも漠然とした成功への憧れはある。目の前にいるのはその成功を勝ち取った男だ。金や権力を手に入れた感覚というのはどういうものなのだろうか。成功者ばかりのVIPルームで俺は物思いに耽った。
 とは言え、やはり俺はビジネスの成功には興味がない。労働をせずに大金を持ち、好きなことだけをする生活に憧れているだけなのだ。
 じゃあそうなる為にはどうすればいいのか。宝くじ・・・そんな安直な考えにたどり着いた時、逸見が席を立った。
 隣を見ると谷山は酔いすぎて眠っていた。俺はソファ席を立ち、逸見の後を追った。

 深夜3時過ぎ。まだフロアには人が溢れていた。二人きりになる場所はない。あるとすればトイレだが、逸見はトイレを素通りしてしまった。しかし都合良くクラブの外に出てくれた。

 逸見の後を追い、外苑西通りを広尾方面に歩く。すると突然、路地を曲がった。俺も角を曲がると逸見が振り向いて俺に言った。

「お前に見られていたのは気づいていたよ」

 意外な展開に驚きながら、逸見と対峙した。悪魔が発する独特の冷気が辺りを包み始める。

「なぜ気づいた?」
「女の視線とは違う眼差しを感じてな。お前、私が見えているな」
「ああ。じゃあ話は早いな」
「お前は何者だ?」
「何者か・・・」
 世の中的に言えばエクソシストになるわけだけど、なんだか今時ではない感じがする。

「まあその呼び名は置いておいて、とにかくお前を退治しなくてはならないんだ」
「なんならお前に憑いてやってもいいぞ。見える者に憑いたらさらに強大な力が得られるかもしれない」
 しかし逸見は俺をしばらく見てから首をふった。
「いや、無理だな。悪いがお前は成功しないな。どうもなんと言うか荒ぶる野心を感じない。俺は野心を持った人間に憑き、その者を成功させる。そしてその力を使って人間に混乱をもたらす。ヒトラーもナポレオンもこの国でいえば信長にも憑いた。この男もビジネスの能力に長け、野心が大きかった。しかしお前にはそんな器を感じない」
 

 比べられたのが大物過ぎたが、かなりのショックを受けた。やっぱりそうか。俺は成功者にはなれない。だとしたら本当に夢も希望もない・・・例え無で働いているとはいえ、この歳で断定されると辛い。

「と、とりあえず退治させてもらうぞ」
 ショック過ぎてムカついたので俺は腕をまくり呪文を唱えた。

「汝を神の名によって地獄に返さん。神よ我に力を与えよ」
 

 神父に教わったラテン語の呪文を唱えると悪魔が苦しみ悶えはじめた。俺は悪魔に近寄り、額を掴んだ。そしてさらに唱えた。すると悪魔が苦しみながら言った。

「司祭でもないのになぜこれほどまでの力が」
「さあ。生まれつきなんだよ。成功はできないみたいだけど。それよりもお前の名を教えろ」
「我が名はエリゴス。地獄の公爵なり」
 悪魔を地獄に帰すにはその名前を告げる必要がある。
「エリゴスよ。神の御名において命じる。この身体から離れよ」
 教会の聖水を入れた水をかけると、エリゴスが逸見の身体から剥がれだした。
「エリゴス。ソロモン72柱の悪魔よ。その悪事を改め、地獄に戻れ」
 エリゴスは苦しみ、そして断末魔の叫びとともに言った。
「貴様、必ずや我が同胞に殺しに行かせてやる」
「そんな事言うなよ。どうせ俺は成功しないんだから」

 俺にしか聞こえない叫び声とともにエリゴスが地獄へ帰還した。
 それにしても、歴史的な悪魔に成功しないと言われたのはやはり辛い。本当に夢も希望もない。
 結局オールで朝までかかってしまったと言う憂鬱も抱えて俺はクラブに戻った。入り口に着くと、谷山が待っていた。

「おい。どこ行ってたんだ?」
「ああ。ちょっと外の空気を吸いに」
「そうか。今日は悪かったな」
「いや、いいんだ」
「俺は諦めないよ。まだあの会社は変われる。お前らと一緒なら頑張れる」
 朝方からそんな熱い話は勘弁願いたい。しかし、とりあえず同意はしといた方が良いだろう。今後の悪魔祓い生活のために。
「そうか。俺も協力するよ」
「頼むぞ」
 谷山はタクシーを拾って去って行った。

 朝までかかって、さらに歴史上の人物に力を与えた悪魔に成功しない事を保証されるとは。
 善行を施したと言うのに爽快な気分を一切感じることなく帰る道すがら、財布を拾った。しかしその財布には金は一切入っていなかった。なるほど。これは確かに成功する予感がない。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。