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小説「素ナイパー」第26話

 覚悟を決めて瞼に力を入れようと決心した時、直哉は自分の頭が垂れ下がっている事に気付いた。

 ベッドに寝ているはずなのに首に妙な重さを感じる。平衡感覚がなく溺れるかのような苦しさの中で、知子がいるはずの左の空間に手を伸ばそうとしたが腕は後ろ手に縛られていた。

 捕われた。でもいつ?恐る恐る瞼を開くと、そこに見慣れた知子の部屋の風景はなかった。目の前に設置されていた大きな鏡には青白い顔でしかも裸で椅子に縛られた情けない自分の姿があった。
 まだ夢の中にいるのだと思いたかった。しかし戻ってきた体の感覚が現実だと告げていた。

 灰色の壁の十畳ほどの正方形の個室。目の前にある鏡はおそらくマジックミラーだろう。
 パニックは起こさなかった。それは殺し屋一家の血のおかげだ。しかし冷静な状況把握は知子との情事との関連性を見出す手助けにはならなかった。

 「おはよう」

 昨夜の記憶を必死に辿ろうとしていると、部屋の天井の隅に付けられたBOSE製のスピーカーから男の声が聞こえた。

 「昨日はよく眠れたかね?」

 その声からは明らかな嘲笑が含まれていた。おそらく全て見られていた。

 「状況は把握できているかい?」

 今度は違う男の声がした。敵は複数人。しかし直哉はその声を無視し必死に記憶を辿っていた。

 「まだわからない?」

 しかし次にスピーカーから流れた声は聞き慣れたものだった。直哉は反射的にスピーカーに顔を向けた。

 「知子?」
 「おはよう直哉君。こっちを向いて喋って。鏡の中よ」

 急速に憶測が頭の中を廻った。知子は一般人ではなかったのか。どこかの組織の人間だったのか。だとしたら目的はなんなんだ。そもそも自分の正体をいつから知っていたのか。

 「どういう事だ?」

 囚われの自分自身が映る鏡に問いかけると、男が答えた。

 「我々はCIAだ。そして彼女もその一員だ」
 「CIA?」

 当然その名称は知っていた。しかし、知子とCIAという言葉を結びつける事はできなかった。

 「説明が必要のようだね」

 決して見えるはずのない知子の姿を鏡の中に捜しながら直哉は男の声に耳を傾けた。

 「私達が大統領直属の諜報機関であることは様々な映画で語られているので君も知っている事だろう。簡単に言えばアメリカの国策を遂行するためにはなんでもする機関だ。盗聴や他国の民衆の反乱を手助けすることもあるし、君と同じような仕事もする」
 

 「世の中はバランスで成り立っている」

 今度は違う男が喋りだした。どうやらお喋りが好きな奴がCIAには多いようだ。

 「私達は国策だけのために、むやみに人を殺したりはしない。影があってこその光。悪があってこその善。その天秤を保つために膨大な情報を得てシュミレーションをし世の中のバランスを崩しそうな人間を排除していくのだ。しかしデータを集めても馬券が当たらないように人間が関わる事は確実ではない。不意な病気や事故で必要なピースがなくなってしまうこともある」

 まわりくどい説明は直哉の欲していたものではなかった。彼が今一番知りたかったのは、知子とCIAの関係だった。

 「自然の摂理は仕方がない。だが、そのピースを故意になくしてしまう人間もいる。私達が長年かかって作りあげたシナリオを恨みや妬みや欲などというくだらないもののために動き台無しにしてしまうのが君のような殺し屋だ」

 (俺らじゃなくて依頼者だろ)

 そう思ったが、直哉は口にはしなかった。

 「私達の部署が作られたのは5年前よ」

 やっと知子が喋り出した。

 「殺し屋という存在を無くすためにね。仕事の依頼を装って近づき、今までに十数人の殺し屋を殺したわ」
 

 そしてまた男が喋りだした。

 「そんな中で姿形を誰一人として見た事がないという殺し屋の存在が浮上した。その男は、依頼者とすらも会うことはなく何重もの人間を経由してしか連絡は取らない。しかし仕事は常に完璧にこなす。さらに世に有名な暗殺のほとんどがその男の仕業であるとすら言われていた。いわばその世界では伝説の男だった」

 「探したよ。彼が請け負った可能性のある仕事を調べると、そのほとんどが我々のシナリオのピースに関係するものだったからね」
 「そして一度諦めたわ。どうしても所在も人物像も掴めなかったから。でも、しばらく経ってから私達が張りめぐらせておいた情報網から良い知らせが舞い込んできたの。その男に仕事を頼むって情報がね」

 知子の語気は高まっていた。その声からはSEXの時と同等の興奮が読み取れた。

 「私達は現場を張ったわ。そしてそこに現れたのがあなたよ」
 「それで?」

 直哉はショックを押し留め低い声で言った。すべては仕組まれたものだった。運命の出会いは目的を達成させるための仮定に過ぎなかった。

 「怒っているのね?直哉君。でも私も驚いたわ。まさか日本で付き合っていた普通の高校生が一流の殺し屋になっているなんて思ってもみなかったから」
「そんな事は聞いてない。君は僕を殺すために近づいてきたんだね?」

 知子は答えなかった。代わりにまた男の声が響いた。

 「正確に言うとそれは違う。君をこのまま殺そうなど私達は思っていないのだよ。君には私達のシナリオ作りを手伝ってもらいたいと思っているんだ。それから余計な事かもしれないがね、知子は君に明らかに惹かれていたんだよ。それは私達が保証するよ。だからその点に関しては失望しなくてもいい。君とのSEXはスリルがあるって言っていたな。人を殺した後の君とのSEXは特に」

 男はそう言うと笑った。

 「ちょっとスコット。とにかく何も言わなかったことは謝れせて」

 「それから自白剤をワインに混入させたこともな。あれは僕のアイデアなんだ。殺し屋が何もなく自分の仕事を恋人に打ち明けるわけがないと思ってね」

 「くそっ」

 自分に対する嘲りが思わず言葉にでた。出会いに浮かれ欲望に溺れその一部始終を見ず知らずの人間にまで見られていた。
 そして全てを話してしまった。屈辱と羞恥が身体を締め付けた。目の前に映る自分を鏡ごと蹴り飛ばしたかった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。