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小説「リーマン救世主の憂鬱」 第15話

 仕事が忙しすぎる。アホみたいに会社にいる時間が長くなってしまった。

 もちろんこの原因は俺がやる気を出したからではない。社長交代があり会社の状況が変わってしまったからだ。

  
 俺がいる会社はある大きな企業のグループ会社の一つだ。親会社は俺の経歴では入社する事が許されない企業で、そこの社員と俺らとの給料の差は歴然。
 とは言え、俺は親会社に入りたくてこの会社に入ったわけではない。大企業やベンチャー企業でバリバリ働く事よりも、安定を望んでいた俺には親会社の基盤があるというのはとても重要な事で、しっかりした会社であれば、ライフワークバランスも守られるだろうと長い時間をかけて見つけたのがこの会社だった。

 しかしその苦労がこんな形で徒労となってしまうとは。
 前社長は親会社から出向された爺さんで、ほとんど会ったこともなかった。年初に全社員向けに配信されるメールに今年の豊富やらなんやらを書いて送ってくるくらいのもので、あとは社長室にいるか秘書を連れてどこかに出かけていたので社内で見かけるのも稀だった。
 しかしある日、その爺さんが引退を迎え、新社長が親会社から送られてきたのだ。

 その男は40代前半と若くやる気に満ち溢れていた。しかも、親会社からはこの会社のさらならなる業績アップを命じられてきたらしいのだ。
 浅黒く、ちょい悪風の新社長は全社員を前にした挨拶でこう言った。

「僕は業績を上げるためにここに来ました。これから仕事が増えると思いますが、あなた達ならできます」

 言葉の通りに新社長は様々なプロジェクトや改善を推し進めた。そのせいで急に仕事が増え、会社全体が忙しくなったのだ。
 新社長は部屋に閉じ篭っていた前社長と違いフロアに出て社員とコミュニケーションをとり鼓舞した。とりわけ若手には頻繁に声をかけた。

 「君らの世代が頑張れば、売り上げは伸びる。僕は期待しているよ」

 新社長が起こした波は瞬く間に社内に広がった。その影響を色濃く受けたのが、谷山や俺と同じ世代の同僚達だ。
 閉塞感に押し込められてきた彼らは新社長の口車に乗り、活発に働くようになった。
 もしかしたら会社が変わるかもしれない。そんな期待を胸に毎日の残業にも文句さえ言わない。谷山など、今までは9時ギリギリに出社していたのに、8時には会社に着いている有様だ。
 そうなると、俺も同僚として合わせないわけにもいかず、今では8時に出社して残業までするハメになっているのだ。

 谷山や他の同僚達は、業務量や残業量に一切文句を言わなかった。いやいや、ずっとジムに行っていたいとか、宝くじが当たればって言ってただろ?って思っているのだが、最近の飲み会ではこんな事を言うのだ。「会社楽しいよな・・・」と。なんて事だ。
 

 好きな会社でも仕事でもないのになんで急にそんなことになるのか俺にはまったく理解できなかった。
 これが新社長のいわゆる「巻き込み力」と言うものなのかと感心はした。俺には人のモチベーションをあげる術はないし。とは言えさ・・・だ。

 しかしある時、俺にもわかったのだ。彼らがなぜそんな風に変わってしまったのか。それは遅くまで残業したある日の事だった。
 疲労と空腹でヘトヘトで会社を出て、身体を伸ばした時にそれが訪れた。爽快感だ。
 その瞬間、自分は社会人としてちゃんと働いて頑張っていると不覚にも感じてしまったのだ。そしてもう一つ。爽快感を纏いながら街に出ると、友人から飲みへの誘いの電話があった。その時に俺はこう言って断った。

 「ごめん。今仕事忙しくて。ひと段落したらまた誘ってくれ」

 その時に覚えた優越感と言ったらなかった。仕事で誘いを断ってしまう俺・・・正直、千里由美がSNSで会っていたできる男になったような気がした。
 だが、俺はそんなものに依存はしなかった。おそらく俺には会社よりも大事なものがあったからだろう。それは何かと言えば、悪魔祓いだ。

 悪魔祓いは俺の会社で働く動機として今では大半を占めている。なんのために働いている?と聞かれれば、悪魔祓いをするためと答える。
 会社は悪魔祓いができる生活を維持するためのものでしかなく「副業」という感覚で忙しくなるのは迷惑なだけなのだ。

 しかし、同僚は少し前の俺のように趣味も何もなく、何かをしたくても押さえ込まれていた。そんな状況の中で、つまらない会社が変わり始め、もしかしたら自分達の頑張りが報われるかもしれないという期待と、忙しさが連れてくる爽快感と優越感が重なり、仕事の虜になってしまったのだ。

 忙しさに身を委ねていれば、毎日の不安や迷いや悩みも考える必要がなくなる。何もない人間にとっては仕事が忙しい事は救いでもあるのだ。
 そんな同僚の手前、さすがに俺も蚊帳の外にいるわけにもいかなかった。この状況では、いつものように大人しくしているほうが目立ってしまう。
 だから仕方なく俺もその波の中になんとなく乗っている風を演じて忙しくする必要があったのだ。


 金曜日。やっと5日間の労働が終わる日。午後8時過ぎ。しかし俺はまだ会社にいた。いくつかの資料を作らなくてはならなくて残業を余儀なくされていたのだ。
 神父との約束があったのだが、それも時間を遅くしてもらった。電話をすると神父は「やっと仕事が順調になってきましたね。頑張ってください」と嬉しそうに言ったが、こちらとしてはがっかりなのだ。
 鬱屈した会社での日々を終え、違う世界で俺だけしかできないのかもしれない秘密の行為をするという快感。
 悪魔祓いがあるからこそ、どうにか忙しい仕事にも耐えられていた。社会人になって初めてモチベーションになるものに出会えた気がした。
 しかし、世間は趣味のために働くことをよしとしない。仕事が忙しくなれば、そちらを優先するのが当たり前だという風潮がある。趣味をするための金は会社から払われているのだからと。

 しかし、俺は思う。家族の為、子供の為に働くと言う理由が許されてなぜ趣味の為と言うのが許されないのだろうかと・・・そんなマイナスな気持ちを抱えながらも資料が完成に近づいていた。やっと自分のための時間に戻れる。すると新社長が谷山を連れて近づいてきた。

「加藤くん。どう調子は?」
「あ、はい。頑張っています」
「知っているよ。それで、これから谷山くんと飲みに行くけどどう?なんか予定がある?」

 これはまずい。と言うか全然行きたくない。なんで週末に社長と飲みに行かなくてはいけないのだ。俺は早く神父のところに行って悪魔を退治したいのに。
 しかし、ここで断れば付き合いの悪い奴と思われかねない。それで昇給できなかったり、まずい立場にもなりたくない。

「あ、まだ資料を作っていまして」
「どれくらいで終わるの?」
クソ。仕事ができる社長は詰めてくる。これは逃さない気だ。
「15分程度いただければ」
「じゃあ。待ってるから」
「はい。ありがとうございます」
 

 横にいる谷山が満足そうに頷いていた。おおかた、社長に若手と飲みましょうとか言って良い気分にさせただのだろう。まったく俺を巻き込まないでほしい。

 とりあえず資料を作り終えて神父に泣く泣く電話をかけた。

「すいません。明日になってもいいですか?」
「いいじゃないですか。上司の方の話を聞くのも大事です。こちらの案件は明日でもいいですから。悪魔は逃げませんし。人間界に居座りたいですからね」

 なんて事だ。俺は今、自分がサリーマンだと実感している。プライベートな時間を当然のように会社に侵食されている。
 働き方改革に、上司は部下を突然飲みに誘わない。誘うならば「一ヶ月前に予定を確認する事」と明記してほしい。
 

 電話を切ると、細やかな夢が生まれた。いつかノマドになって自由に悪魔退治ができる環境を作りたい。煩わしい人間関係のない仕事をして。
 しかし何の仕事をすればノマドになれるのかはまったく思いつかなかった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。