小説「中目黒の街角で」 第39話
「友達のイベントに一緒に行ってくれない?」
土曜の夜。知花の誘いで僕達はタクシーで深夜の六本木に向かっていた。昔からの知人がクラブでイベントを開き、それに顔を出したいと言われたのだ。
「こんな夜中にタクシーで六本木に行くなんて、私達、悪い子だよね」
悪戯に笑いながら言った知花はとてもはしゃいでいた。僕もこの夜はただ二人で楽しむことだけを考えていた。
クラブに入ると独特のラテンのリズムが身体を包んだ。知花は再会する前からカリブのダンスを習っていて、その影響でラム酒にも興味をもった事を教えてくれた。このイベントも彼女のダンスの先生が出演するイベントだった。
「ちょっと行ってきていい?」
小さなクラブだったけどフロアは満員だった。僕が飲み物を待っている間、彼女は顔見知りの友人達と楽しそうに会話をしていた。
飲み物を受け取り僕もその輪に入ると知花が僕を友人に紹介した。
「同級生で一緒にきてもらったの」
「どうも」
知花の友人達は好奇の目で僕を見た。しかし僕はそれ以上、自分をどう紹介したらいいのかわからなくてすぐのその場を離れた。
わかっていた事ではあった。僕らの関係はそう言うものなのだと。大手をふって街を歩くことはできないし、友人達が彼女に夫がいることを知っていようといまいと「同級生」としか呼ばれない。
だけど、当たり前のようにそう呼ばれてしまうと、寂しさと彼女の気持ちへの猜疑心を隠しきれなかった。
少し前なら、そんなことは考えもしなかった。僕は自分の立場を認めた上で知花との関係を始めたはずだったし、どう紹介されようと幸せな夜の時間があればよかった。だけど、店の客への対応を見て、さらに二人の時間が日に日に短くなる状況の中で彼女との関係への不安が溢れて、小さなことでも気にするようになっていた。
帰りに部屋に来た知花を抱いている時でさえ不安でたまらなかった。それはもしかしたら、僕らが不倫で始まった恋だったからかもしれない。
相手がいるのに僕の元に来た彼女は、いつかまた同じようにして違う誰かの元に行ってしまうのではないか。因果応報そのままに自分も同じ目に合うのではないかと。
嫌な想像をかき消すそうと、いつもよりも激しく彼女を抱きながら「愛していると」と言った。だけど知花はただ微笑んだだけで同じ言葉を返してはくれなかった。
「それで、彼女とはどうなってんねん?」
「どうもなってないよ」
「なんやねんそれ。俺がチャンスを与えてやったのに」
「それは感謝してるけどさ」
相変わらず混んでいた知花の店の隅のカウンター席で僕と工藤は飲んでいた。
「まあ、二人のことや。俺はとやかく言うつもりはないが、なるべく早くした方がええで」
「何が?」
「ガキのことや。会ってんやろ?」
「まあ」
「まだ二歳やったら、一緒に過ごす時間が長ければお前を親と認識してくれるやろ。でも、もう少し大きくなったら旦那のこともわかるようになる。そうなったら、子供も彼女も複雑な感情を持つからな。もちろんそう言う家族もおるから何が正しいかはわからんが、将来を描いてるんなら早い方がええ。俺もガキが二人おるからその辺はちょっとわかんねん」
確かに心太の事を考えればゆっくりとしていない方がいいのかもしれない。僕自身はいつでも彼女と心太を受け入れる準備はできいたし、自分に慣れてゆく心太への愛情も増していた。すぐにでも三人で暮らすことができたらどれだけ幸せだろうかと考えない日はなかった。
だから正直、焦りがなかったわけではない。工藤以外の友人にも同じようなことを言われた事もあった。「子供が小さいうちの方がいい」と。そう言われるたびに、今の曖昧な関係を長く続けるのはお互いにとって良くないのかもしれないとも考えた。
ただそれは僕が決められることではないし、事を早めることによって辛い思いをするのは知花なのだと自分に言い聞かせていた。僕は苦悩の中で、知花を見つめた。
「何を見とれてんねん」
「違うよ」
「相当惚れてんな。まあ頑張れや」
「うるさいよ」
僕はまた知花を見つめながらお猪口を空けた。
これから僕達はどうなるのだろうか。本当に僕らはこのまま結ばれる事があるのだろうか。
少しずつ歯車が狂い始めて、会う時間もままならなくなってきた中で、僕は勝手な焦りと不安に押されて、出口の見えない迷路に迷い込んで行った。
僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。