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小説「素ナイパー」第8話

 車は通勤のフランス人達を追い越しながら西へ向かった。30分ほど走ると青いプジョーはパリ郊外の古城を改装したホテルの駐車場に止められた。

 「問題ないようだな」

 車の走行中バックミラーを睨みずっと尾行の車を警戒していた淳也はそこで始めて緊張感を解いたようでその語気は少し優しかった。
 ホテルの人間に怪しまれないよう車を降りるとそのまま舞踏会場を改造した食堂に向かった。朝の4時から外に出ていた二人は腹が減っていてビュッフェスタイルの朝食をたらふく食べ部屋に戻ると「清掃不要」の看板をドアに掛けベッドに潜り込んだ。

 フランスに入ってから2人はろくな会話をしなかった。元来父親が寡黙である事は知っていたが考えてみれば大人になってから二人きりになった事などなく直哉は何を話していいのかわからなかった。
 幼少時代から父と息子としての会話もほとんどした事はなかった。海外で仕事をする父とは会う時間はあまりなかったし、たまに帰ってきても厳しい訓練の中での必要最低限の話以外、余計な事は語らなかった。
 かと言って姉の里香に対してだけたまに見せる寛容な姿に直哉が妙な嫉妬心を感じた事はない。それは殺し屋としての師弟関係が確立されていたからだ。直哉の中では信頼する師であり他人だった。

 二十歳を過ぎて初めて師と二人にきりになってみると居心地が悪かった。たいした会話もした事すらなかったのに急に師を父として意識してしまっていた。 
 別に何かきっかけがあったわけではなかった。あるいはそれは父が仕事中に放つ研ぎ澄まされた緊張感の影響かもしれない。
 対等な大人同士でもなく、師弟でもない。そして父と息子でもない妙な関係性への身持ちの悪さが居心地を悪くしていた。


 夜の7時に二人は目を覚ました。これから夕飯を食べまた少し眠り、朝には現場でもう一度入念なリハーサルをしなければならない。
 ホテルのレストランで出る夕食は外観とは似つかわしくなく質素だった。鳥の煮込みや、キノコのパスタなど家庭料理風のものばかりだったがどれも驚くほど美味く仕事の緊張感を一時期忘れ去るには絶好だった。
 無言のまま前菜からかなりボリュームのあるコースを食べきると父がふいに直哉をバーに誘った。仕事の期間中は酒を禁じなければならないと思っていた直哉は驚いたし、これまでろくな会話もしてこなかった父と何を話したらよいのかわからなかったが断るわけにもいかなかった。

 小さいバーのカウンターに並んで座ると妙な気分だった。射撃の訓練の時にはあれほど距離が近くてもなんとも思わなかったのに何も持たずにその距離にいると落ち着かなかった。
 金髪をカールさせたいかにもフランス人らしいウエイターに父はスコッチを。直哉は赤ワインを注文した。
 飲み物が置かれると乾杯もせずに二人はグラスに口をつけた。するとスコッチを半分飲み干した淳也が口を開いた。

 「怪我は?」

 武井音羅の仕事の時につけられた傷はほとんど完治していてもう絆創膏をつけているだけだった。

 「ああ・・・。大丈夫です。」
 「そうか。油断したのか?」

 あの時、武井の部屋に先に侵入したのは里香だった。里香は乱暴にも開いていた窓から無造作に侵入し寝そべってテレビを見ていた武井に得意の寝技からのチョークスリーパーを決めようと組み付いた。
 しかしガリガリな身体のわりに意外なほどの身体の柔らかさを持っていた武井は里香の腕をするりと抜け台所にあった包丁を投げつけてきた。
もちろん里香はそれを避けたが遅れて窓から入って来た直哉の腕にその包丁は3センチばかりの傷を負わせた。
 直哉はその時の事を思い出していた。しかし進入の先導をしたのは里香だったし自分に非は一つもないと思った。

 「いえ、僕はしてなかったと思います」
 「相手はほとんど素人だったんだろ?」
 「はい。でも・・・」

 父の威圧感のせいでなんとなく言い訳がましい口調になりながら直哉が状況を説明しようとすると「まあいい」と言われ止められた。

 「お前は、この仕事が自分にとって天職だと思うか?それとも適職だと思うか?」

 不意の問い掛けの意味が直哉には理解できなかった。

 「その二つの違いがよくわからないんですけど」

 するとグラスの氷を指で弄びながら直哉が言った。

 「適職は生きるためにする仕事の事だ。それをする事により金を稼ぎ生活する。天職は報酬を受け取らなくても楽しみや喜びを感じられる仕事の事だ」
「よくわからないです。金のためかと言われればそうだし楽しくないかと言われれば楽しくないわけでもないし。というか小さい頃からやってる事だから、この仕事をする事が自然というか・・・」
「そうか」

 淳也はそう言うと2杯目を注文した。
若いバーテンは明らかな作り笑いでそれに応じた。2杯目がくると今度は今までよりも幾分か柔らかい口調で「じゃあ、何か他に趣味はあるか?」と聞かれた。直哉は考える間もなく「ないです」と即答した。
 すると父は小さな反乱を起こし、そのわりにあっさりと訓練に帰って来てしまった時の自分を見た時と同じ少し悲しそうな、それでいて嬉しそうな目をした。

 「そうか。俺は昔野球選手になりたかった事があったな。でも今はこの仕事に就いた事に後悔はしていない」

 淳也はそう言うと二杯目のスコッチを一気に煽りバーを出て行った。一人残された直哉は父の背中がエレベーターに消えるまで眺めていた。
 父がこの夜、自分に伝えたかった事が何だったのかは正直よくわからなかった。この仕事が適職か天職かなんて考えた事もない。
 と言うか、生まれてすぐに訓練を施し自分を殺し屋に仕立てたのは紛れもなく父だったのだ。殺しの師である父のそんな質問は本末転倒のような気もした。
 ウェイターが空になった直哉のグラスを下げおかわりのワインを注ごうとしたので「NON」と言い立ち上がり伝票にサインをしてエレベーターに向かった。

 エレベーターホールで階数を示すブロンズの矢印が移動していくのを眺めていると、その脇にある鏡が見覚えのある人影を写しているのに気づいた。
 反射的に後ろを振り向くと三人の女性がバーに入って行くのが見えた。そしてそのうちの一人の後ろ姿にくぎ付けになった。
 長く細くサラリとしていてほのかに茶色い髪。その後ろ姿は知子に瓜二つだった。すると「キーン」という音と共にエレベーターが到着し扉が開いた。しかし直哉の足は自然とバーに向いていた。

 しかしバーの入口に戻り恐る恐る店内を覗きその女性の横顔を確認すると落胆が訪れ、すぐにエレベーターホールに戻った。
 上昇するエレベーターの壁に寄りかかるとその振動よりも自分の鼓動の方が速い事に気付いた。
 海外での仕事をすると決意したのは今度こそ知子の事を忘れようと思ったからだ。新しい仕事。新しい出会いの中で過去と決別しようと。

 しかし少し似てる後ろ姿を見つけただけでこれだけ高鳴ってしまったという事実は未練を、捨てきれない想いを露わにしただけだった。
 フランスの郊外のホテルに知子が現れるなどという可能性はゼロに近いのにその可能性を信じた自分が情けなかった。また思い出にすがろうとした自分に飽き飽きした。
 その夜。直哉は東京での飲み会で何の成果も出せなかった時と同じように知子との戻りたい過去の夢を見た。
 朝起になっても切なさは消えなかった。しかし父はいつも通りの殺し屋の緊張感を纏っていた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。