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氷の遺産(Ice Heritage) 1.ありえない遺跡

あらすじ(ちょっとだけよ)

 氷河が後退したスカンジナビア半島で、1万年前の遺跡が発見された。遺跡を調査した調査隊は、朽ちかけた木箱の中から金属の正六面体に彫られた楔形文字を発見する。

目 次
1.ありえない遺跡 (このページ)
2.調査隊 (次の章)
3.野 望
4.人類の英知

1.ありえない遺跡

 202x年八月。氷河が後退したスカンジナビア半島のノルウェーで、小さな遺跡が発見された。

 考古学者の隅田健介は、調査隊の一員となり遺跡を訪れた。調査隊は総員十名で、遺跡を発見した登山家のルーカス・ハンセンを案内人として、隊長の考古学教授マグニュス・ヨン・インゲと隅田の外に若い考古学者のアンネ・ラーシェン。他に作業員六名の、調査隊であった。地球温暖化とはいえ、日本に比べれば遥かに寒い。
「ここで、遺跡を発見されたのですか…」
 遺跡の辺りは、茫洋とした景色が広がっているだけだった。隅田は、一面に広がった氷河を眺めまわしながら、驚きを隠せなかった。
 氷河が後退したとはいえ、隅田が見渡す限り氷河が大地を覆っており初めて見る驚きの光景であった。隅田は、慣れないトレッキングに重装備で臨んでおり、普段の発掘と場違いな場所に赴くしかなかった。雪上車などの車両を使うには険しすぎ、ヘリをチャーターすれば一時間もかからずに到着できるのだが、まだ予算は少ないためトレッキングで赴くしかなかった。
「本来なら、このあたり一帯は深さ三メートル以上の氷河が拡がっていました。いつものトレッキングの途中でおかしなものを見つけたのです。氷河が後退した結果、遺跡を発見できたのです」
 遺跡を発見した登山家のルーカス・ハンセンは、隅田のために発見に至るいきさつを英語で説明した。
「遺跡で、楔形文字が書かれた文字が発見されました。そこで、メソポタミア研究をされている隅田先生に、わざわざお越しいただいた次第です」
 調査隊長の考古学教授マグニュス・ヨン・インゲは、まだ三十代と若い隅田に丁寧な言葉で説明した。メソポタミアに関する研究者は、隅田より高名な学者は多い筈だ。自分にお鉢が回ってきたのは、若いからだろうくらいにしか考えていなかった。

 インゲは、学者然としている容姿で背も高く痩せぎすの男だ。彫りの深い顔が、性格の冷たさを感じさせているが定かではない。専門はエジプト文明だが、考古学部長の立場で調査隊の隊長となった。

 いくら高名な学者でも、ここまで登ってくるのは不可能であろう。それにメソポタミア文明の遺跡とはいえ、一辺二メートルほどの小さな祠程度の規模ではだれも見向きもしないかも知れない。
 隅田にとっては、意に介さない小さな懸念であった。それでも発見した遺物次第で、今後調査が大規模に行われる可能性もある。その時に自分が外される懸念も持っていた。もう一人のアンネ・ラーシェンも自分と同じ立場なのだろう。我々は、体のいい露払いでしかないのかも知れない。遺跡は、氷河の表面から少しだけ顔を出していた。ハンセンは、そのときのことを思い返しているような目で遺跡を眺めていた。

「氷を掘り返すように。くれぐれも慎重にな」
 インゲは、作業員に指示を出した。作業員たちは、中国人のようだ。そのうちの一人は、「分かりました」と、返答すると他の作業員たちに中国語で指示を出したようだ。

 遺跡を発掘しているときに、作業員の一人が遺跡の中から朽ちかけた木箱を発見した。木箱の隙間から、金属製の様なものが収まっているように見えた。木箱を慎重に開けると、中から六十センチほどの正六面体(cube)の金色に輝く金属が現れた。
 金属は、びっしりと楔形文字の文字でおおわれていた。上面には、何かの装置のような図面と四角で囲んだ楔形文字が書かれていた。左右には、三十センチほどの円が描かれており、円の中にも楔形文字が書かれていた。数千年以上経ている金属とは思えないほど、美しい光沢を留めていた。

「思った以上に軽い。何かの合金でしょうか?」
 隅田は、インゲに困惑したまま尋ねていた。
「合金は、検査に回します。隅田先生には、ラーシェンと協力して解読をお願いしたい」
 インゲは、合金のような金属に別段驚いた顔もせず事務的に依頼した。その時は気にも留めなかったが、インゲが合金と結論づけたことに少しの違和感を覚えた。

 隅田は、大学からの出向扱いでインゲの大学に一年間の期限付きで招かれることになった。研究室を与えられ、Sumida Lab(すみだ研究室)と命名された。六畳ほどの小さな部屋をあてがわれて、解読に専念することになった。
 合金の分析で分かったことは、約一万年前に作られたことだけだ。鉄器もいや青銅器もなかったはずの、約一万年前に作られたのは分析者にも驚きだったことだろう。

 アンネは、隅田を部屋で待っていた。隅田が部屋に入ると開口一番、「先生。研究を続けられてよかったですね」と、言って笑った。アンネは、二十代後半で金髪。好奇心旺盛と茶目っ気が顔に出ているように隅田には思えた。今回解読の助手になったことで、舞い上がっているようだ。
「君も、同じ想いなのだろう」
「はい。合金の様なものが発見されたのです。私に出番が回ってくるなど夢のようです」
 アンネの想いに、隅田も同意する。考えるまでもなく、オーパーツ(時代錯誤遺物)に違いない合金のような金属にびっしり書かれた楔形文字を、我々のような若造に解読させるなど常識では考えられない。
 オーパーツとは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。英語の『OOPARTS』からきた語で、『out-of-place artifacts』つまり『場違いな工芸品』という意味である。日本語では『時代錯誤遺物』『場違いな加工品』と意訳されることもある。

 それだけではなく、記者会見すら行っていない。『影響が大きすぎる。それにまだ早い。このプロジェクトは、私が公開するまで極秘だ』と言ったインゲの言葉に、隅田は胸騒ぎを覚えた。この金属を、偽物だとでも考えているのだろうか。それとも何かの、陰謀なのだろうか。いずれにしても、解読しなければ始まらない。

「そうだね。慎重に解読することにしよう」
「先生。どこから始めますか」
 隅田にも、アンネの喜びが伝わってきた。アンネは、純粋に喜んでいるようだ。それが、隅田の胸騒ぎと対極にあることが少し不安になった。

「先生は、よしてくれないか。君と私はそんなに年が離れていない。同じ研究者だ。隅田でいい。いやケンスケでもケンでもいい」
 隅田は、これから長い付き合いになるアンネとの付き合いを考えて言った。よそよそしさは、研究の妨げになると考えたからだ。馴れ馴れしすぎても問題だが…。

「分かりました。これからケンと呼びます」
「そうしてほしい。で、私は、君を何と呼べばいい?」
「アンネと呼んでください」
「分かった。アンネ。この図面をどう思う?」
 隅田は、金属の上面にあった図面のような図の写真をアンネに見せて尋ねた。

「何かの装置のようですが、全く分かりません。もしかしたら、楔形文字を解読すれば、何の装置か分かりそうですが…」
 アンネは、躊躇いがちに答えた。
「そうだな。左右の円形も、何か意味がありそうだ。最初に図の下にある四角の内容から始めよう」
 隅田は、仮説を立てた。楔形文字といっても、メソポタミアで発見された楔形文字とは違っていた。四角の中の文字に解読の手掛かりが隠されていると直感したからだ。

「あの二人に任せておいて、大丈夫か?」
 インゲと対峙している小柄で太った男は、尊大な口のきき方で尋ねた。
「大丈夫ですよ。高名な学者は、柔軟な発想はできませんからね。若い二人の方が、柔軟な発想で解読してくれるはずです。それに何かあっても、黙らせるのは容易ですから」
 インゲは、事も無げに言った。
「だから、あの二人を選んだのかね」
「そういう事です。このプロジェクトが成功するまで、隠し通すことが肝要です。邪魔者は、少ない方があなたにとっても喜ばしいことではないですか」
「そうだな。が、何かあれば、君に責任を取ってもらうしかない。我々は、それだけ君に投資していることを忘れないように」
 インゲと対峙している男は、鋭い眼光をインゲに向けた。
「分かっています」
 インゲは、自信のある顔で答えた。が、内心は穏やかではない。こんな男とかかわりを持ったおかげで、命の危険さえ覚えた。

 隅田の仮説は、正しかった。四角の中に書かれた楔形文字は、アルファベット日本語でいうところの五十音に相当した。それを手掛かりに解読を開始した。

(未来の人類へ
 未来の人類が、温暖化により気候や海水面が上がって危機を迎えるとき、この神殿が遺跡となって現れるであろう。この正六面体(cube)は、全世界の五か所に同じものが置かれている。世界の四か所に分散している、装置の部品と組み立て方法を記した説明書のプレートが置かれている。この正六面体(cube)を発見した者に、海水面上昇を解決する装置を託す。装置は、四か所に分散して置いてある。探し出して装置を完成させるように)

 そこまで解読した隅田とアンネは、驚きの顔を見合わせた。戦慄が二人を襲った。
「一万年近く前の遺跡から、こんなものが…。信じられません…」
 アンネは、困惑した顔を隠そうともせず思ったことをそのまま口に出した。
「そうとも限らないよ」
「本物だと? 解読を間違えたのでは?」
 アンネは、自分達が解読した文章を信じられずに隅田に詰め寄った。

「多少違っているかも知れない。それは認める。しかし、骨子は正しい筈だ。そのために今まで君も学んできたのだろう」
「そうですが…」
 アンネは、絶句した。自分の解読に、自信が持てなかったものの、「解読が正しいとすれば…。まさか!? 誰かの陰謀? 誰かが、遺跡にこれを紛れ込ませたのではないでしょうか」と、今度は、陰謀論まで言い出した。

「今は、そんなことを考えるときではない。本物の遺跡だろうが偽物だろうが、そんな装置が存在するなら最後まで解読するしかない」
 隅田は、やんわりとアンネの考えを正そうとした。アンネの気持ちもわかる。しかし今は、真偽を確かめている場合ではないような気がした。陰謀なら、誰かが我々に解読させようとしているのだろう。それも踏まえた上で、解読を続けるしかない。

「解読を、続けるしかないようですね」
 アンネは、仕方なく同意した。
「私は、インゲ教授に報告してくる。アンネ。君は、解読を続けてくれ」
 隅田は、言い残して作成したばかりの資料を無造作に掴むと慌ただしく部屋を出て行った。

「教授。とんでもないことが判明しました」
 隅田は、インゲの部屋に入ると開口一番にそう言っていた。
「どうしたというのだね?」
 インゲは、威厳を崩そうとせずに隅田を見ながら尋ねた。「まだ、解読は始まったばかりじゃないか」と、早すぎる報告に期待していないようでもあった。
 隅田は、解読ができている所までを掻い摘んで報告すると資料を手渡した。

 インゲは、資料を執務机に置くと腕を組んで資料を見ながら少し考えるそぶりを見せたものの、「君は、この遺物は本物だと思うのかね? 一万年近く前の遺跡から、今の科学でもできない装置などあり得るのか疑問だね」と、言って資料を目から離すと視線だけを隅田に向けた。
「私も半信半疑ですが、そんな装置が存在するなら今の温暖化や異常気象海面の上昇も防ぐことができます」
 隅田は、今の想いを口にした。

「真偽のほどは、解読を進めなければ分からないということのようだね」
 インゲは、顔を少し曇らせただけだった。
「分かりました。解読を続け、真偽のほどを突き止めます」
 インゲは、平静を装っているのか? ある程度の情報を得ているのか? それとも全く意に介していないのか? 期待していないのか? 隅田には皆目見当がつかなかった。

「もし本物であれば、我が大学の科学者に調査させることになる。そのカギを握るのがあの楔形文字だ。少しでも早く解読してくれたまえ。期待しているよ」
 インゲは、初めて笑顔を隅田に向けた。
「その時に、発表するのですね」
「本物だとしても、影響が大きすぎる。その時にならないと、判断のしようがない。アメリカやイギリスそれに中国に目を付けられれば、彼らの都合のいい使い方をされる可能性がある」
 インゲは、この装置が本物であった時の危うさを感じているのであろう。「今は隠しておくべきだ。君たちは、くれぐれも気取られないように注意してほしい」と、隅田にくぎを刺した。

「分かりました。アンネにも言っておきます」
 隅田は、納得するしかなかった。「では、これで失礼します」と言って頭を下げるとインゲの執務室を辞去した。

 隅田が解読を続けているときに、ノルウェー日本大使館の一等書記官田中壮介という人物が面会に訪れた。部屋に招き入れる訳にもいかず、大学のカフェで応対することにした。
 挨拶もそこそこに、「どうして、私に面会に来られたのですか」と日本語で尋ねた。隅田は、訝しんだ。もう半年近く、ここにいる。今更? という想いから発した言葉だった。
「なに。隅田先生がご活躍していらっしゃると小耳にはさんだものですから、一度会ってみたいと思いました。やっとその機会が訪れただけです」

 田中は、少し嫌味のこもった言い方をした。田中は、隅田が日本語で話したことに少し安心した。録音されていれば意味はないが、近くのフィンランド人にとっては、理解出来ない言葉だからだ。
「そうですか…」
 隅田は、気のない返事をした。
「今は、どのような研究をなされているのですか」
 ほらきた…。この人物は、私のことより研究の内容が知りたいに違いない。

「メソポタミア文明の研究です」
 隅田は、当たり障りのないところでお茶を濁そうとした。
「そうですか。しかし、日本でも研究できるのでは?」
「研究室は、結構魅力ですよ。一年の期限付きとはいえ、小さいながら部屋も与えられて助手もいます。日本では、単なる講師ですから。自由に研究できる機会を与えられて、満足しています」
 隅田は、自分の発した言葉の自由という言葉に少し抵抗を感じた。今の解読に満足はしている。が、自由に研究できる状況ではない。一年で自分のやりたいことをすべてやり通すなどは不可能だからだ。

「自由に研究ですか。研究室があっても、たった一年限りでは物足りないでしょう」
 田中は、隅田の痛いところをついてきた。それに、自分の立場を調べ上げた上で、今日来たのであろう。
「成果を作れば、延長できると考えています」
「その成果とは、今研究している研究の成果ですか」
 田中は、隅田の失言を見逃さなかった。隅田は、当たり障りのない楔形文字の解読を話す羽目になった。田中は、隅田の話に一々相槌を打ちながら熱心に聞いているようだった。

「お忙しい所、お時間を取っていただきありがとうございました」
 話が一段落すると田中は、席を立って礼を言った。
「いいえ。熱心に私の話を聞いていただいてありがとうございます」
 隅田は、本心からそう言っていた。
「我々は、自国民を守ることも仕事のうちですから安心してください」
 田中は、最後に唐突におかしなことを付け加えて、「私は、これで失礼します」と言ってから、頭を下げて辞去した。
 最後の田中の言葉に、隅田は違和感を覚えた。いったい何が言いたいのか? 今行っている解読は、危険だとでも暗に言いたいのだろうか。まだ公にしていない、遺跡のことを知っているのだろうか。
 解読作業に埋没するにつれ、隅田との面会のことは忘れ去っていた。

 それから半年後に、解読は終了した。
 解読が進むにつれ、インゲが隅田たちの部屋に訪れる機会が増えた。
「信じられない…」
 インゲは、改めて全文を読んでから驚愕した。いや戦慄に近かった。

 解読の結果は、海面の上下昇をコントロールできる装置と判明した。左右の円は、地球を著しておりその他の部品が収められている場所が書かれていた。
 解読と並行して、金属の表面にあった図面の様なものの研究も始められていた。少ない情報ではあるものの、リモコンのような装置をコントロールするものと結論付けた。真偽のほどは定かではないと、但し書きが添えられていた。金属の成分は、未だに判明していなかったものの酸やさびにそれに衝撃には強いという事だけは何とか判明した。

「実物を見なければ、分からないんですね」
 アンネは、隅田から聞かされて嘆息した。
「近々、調査隊が結成されるようだ。調査隊の一員になれば、実物を見られる」
 隅田は、そう言ったものの、「今後は、考古学より科学の分野だ。我々が、一員になるかどうかは分からない」と、少し心細そうな顔をした。

2.調査隊 (次の章)


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