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ひっそりと、ダイバーシティ論に関する備忘録

世論に積極的に反発するつもりもないので
真っ向から意を唱えたりはしませんが

それでも世の中で盛り上がるダイバーシティ論には、正直、今ひとつピンと来てないし、本心から共感もしてません。

ダイバーシティな世界の素晴らしさを強く語る人の存在はリスペクトしますが。(主義者というのは好きです)
よく耳にする主張が科学的によくわからないので、共感しない、という前に、理解できてない、という話です。

1.多様な人たちに平等な社会を作るとどう全員がハッピーになるのか、そのダイナミズムは何なのか
2.そもそも平等性のクライテリアは
3.ダイバーシティを進めることの副作用をどう考えているのか

一つ目は、企業がダイバーシティを支持するときの謳い文句ですが、多様なバックグラウンドの人たちに活躍の機会を等しく与えることで、新しく革新的なアイデアが生まれる、それが企業や社会をより良くするのである、というロジック。

これに対して一言で評するなら、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」と思ってます。

おそらく前提として、次の2つを論拠としているのだと推測しています。
・多様なバックグラウンドの人が平等に意思決定に関与することで、一つの事象をそれぞれ異なる視点で解釈することができる
・一つの事象を異なる視点で解釈することで、より深い洞察ができ、新しいアイデアが生まれる

二つ目は共感できます。アカデミックな世界はそうやって成果を積み上げてきたのであって、経験則的にもその考えは支持できる。

ただ、一つ目が全く共感しない。そもそもクラスの討論、グループワーク、男女2人のパートナーシップですら、理解が深まったこともあれば、議論が発散、混迷してなんだかよくわからなくなってしまうことも多々ある。皆さんもおそらくそうだったと思う。

諺にも「船頭多くして〜」という言い伝えがある中で、それらの経験を捕まえて、なぜ頭数を増やそうとするのか。

そして、新しいアイデアが全員をハッピーにするものだと、なぜそう言い切れるのか。
繰り返しですが、グループワークで全員が共創して革新的なアイデアに昇華させた経験がある人ってどのくらいいるのだろう。
デザイン思考法が流行ったときに、数多くのグループワークを見てきましたが、私が立ち会った場面でそのようなアウトプットは見られませんでした。やり方の是非を問うつもりはありません。その事実の存在と、全員参加型の議論の良さをどう結びつければ良いのか、という話です。

ひとつ確からしそうなのは、たくさんの人の意見を取り入れることで不利益を被る人は減りそうだね、ということか。


二つ目と三つ目はもっとよくわからない。

平等な機会とは何を指しているのか。
そういったバイアスを埋める行いに伴う別の影響はどう評価しているのか。

そういう話を抜きに「ダイバーシティ最高!」と言われても、全く科学的じゃないので理解できないし、理解できないものを共感することは難しいな、と、個人的には思ってます。

そして科学的であろうとなかろうと、自論への理解を強要するのであれば、それは傲慢であり、どこかの狂信者と変わらない振る舞いである、とも意思表明しておきます。


こんなことを声高に主張しても不快に思う人が多そうなので、ここでこっそりと呟くだけに留めておきますが、ダイバーシティ支持者が理性的に社会をより良くしたいと思っているのであれば、私が投げかけた3つの問いについて、一度きちんと考えてもらえたら、と個人的に思ってます。

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