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更年期の生理不順で不正出血かと思ったら死にかけた話

今回のお話は多分に流血表現を伴います。苦手な人は回れ右!奇特な人は投げ銭よろしくな!


やあこんにちは。アラフィフです。

このところ、揚げ物の匂いが鼻につくなあ。やたら眠いなあ。しんどいなあ。生理も1か月とんだり、半月できたり、ややこしいなあ。

更年期なんかな?

まあこの年でまた子ども授かるなんて、助産院ばぶばぶの人くらいしか無理よね、なんて思っていましたら。

12/30 お通夜の最中に「どば」と出血。あら生理?てなもんです。実は「ちゃんとした生理」がきていたのは10月1日が最後。12月半ばからはじわじわと出血があり、変な生理やなぁなんて思っていましたので、やっと始まったかと思ったら、これまた止まり。

更年期だなと思っていました(それしか言えんのか

12/30、31と、豪雪の中で運転手をし(お通夜お葬儀)、除夜の鐘を子どもたちとご近所さんについてもらい、お正月を迎え、今年はお煮締めも作れず、お雑煮くらいで、はあー、てな感じでいましたら、

1/2 18:20 「どば」

とまた出血。慌ててトイレに行く。しかし、止まらない。

ティッシュ当ててナプキン当てようにも、押さえたところからどんどん出てくる。

あれえー、不正出血てこんななの?止まらなくない?30分くらいまでは悠長に構えていましたが、うん…止まらなかったら…死ぬよ…ね?と頭を過ぎる。

まずは加入してる保険の医療相談に電話。

婦人科ですかね?

という返事。

休日診療所に電話。婦人科はわからん、正月の夜にやってる婦人科なんか、車で1時間のとこにしかない。まあ行ってみたら?救急車?いや自力で行ったら?遠いよねえ。どうしようねえ。そんな感じ。

その間も、ずーっと、雪解け水よろしく、サラサラの経血が、ポタポタ、ザーッ。

何度流しても、瞬く間に真っ赤になる。今考えると、だんだん量が増えてた気がする。

娘たちふたりを自宅で取り上げてくれた助産師さんの年賀状を住職がもってきて「先生に相談してみたらどうや」と。お金も払ってないのにそんな…と思ったが(この辺で判断が鈍ってきている)、かけてみたところ

「あら誰かと思ったら」
「どしたん」
「産婦人科の出血は内科外科とはケタがちがう」
「サラサラの血がザーッと出るからスピード感が違う」
「あかん、そんなん。救急車呼び」

と言われてようやく119へ。ここで約1時間経過。

6妊娠4出産、既往なしの40代後半女性で、18:20から不正出血が続いています、産婦人科への搬送を希望します、とか言ったような気がする。立てますか?と聞かれて、立てます、と答え、救急との電話を切ってから車を待つ間に、悪寒・冷や汗・倦怠感が一気に襲ってくる。とりあえずナプキン類をガッツリ敷いてトイレから出るが、もう立てず、玄関に倒れ込む。夫の「大丈夫かー」という声が聞こえる。いつもは冷たい夫の手があたたかい。ああそうか私のほうが冷たいんか。死ぬんかな。私この人の葬式出そうと思って嫁いできたんやけどな。どうしよう、やばいな。先に死ぬのは、嫌やな。
「ごめんなあ」と夫に言う。半泣きの夫の顔。でもここで「愛してる」とか言ったら死亡フラグなので絶対言わない。意地だ。

ていうか出血性ショックやん?これ。

不正出血て立てないもんなの?いやいや1時間もあんなふうにザーザー出てたら立てないか。これ、すでに出血性ショックやらかしてるよね?さすがにこのままだと私死ぬよね?婦人科どこ?救急車着くまでに私死ぬ展開じゃないかこれ?

雪道で救急車が動くのに手間取り、いつもの倍近くかけて到着。生年月日を聞かれたり、名前を聞かれたり、症状を聞かれたりするが、ふわふわしてちゃんと答えられていない(見当識障害)(でもおかしいことはわかる)。なんで私は1個サバよんだ年齢を伝えてるんだ。生年月日は!ともう一度いわれて、しょうわ…とゆっくりこたえる。いつもは西暦で言うのに。酸素投与してもらうと少し頭がハッキリする。

救急に判断ミスされたらやばい。産婦人科へ搬送してください、としつこく連呼する。外科や内科のドクターではどうにもならないやつだ、ウチなんか搬送されたら時間切れでお浄土決定だ、さっきの医療相談と休日診療の先生の話から実感した。産科をよく知り、たくさんのお産をみてきた助産師さんのいうことのほうが納得できた。

ルートは救急隊では取れなかった。血圧70代、橈骨で脈がかろうじて触れる状態。彼らには無理だ。

救急隊がうちから車で30分の産婦人科のある病院にかけあってくれて、搬送してもらえることになった。

へー、さすが救急、いろんな電話番号とツテあるんだなあと思いながら、もう身体は動かせないし、目は開けられない。

付き添いは中3の息子。あとから住職が車で追いかけてきて、6歳と4歳のおチビはご近所さんに預かってもらうことになった。つか中3倅は、老僧がぶっ倒れたときも第一発見者で救急車呼んでるし、今はそもそも受験生。つくづくかわいそうだ。医療の道に進んでくんないかな。日本じゃハードワークだから、のんびりしたこの子には向かないかな。

救急車はやっぱり雪道に阻まれて、ずいぶん遅れて着いたらしい。何度も、車内で私の手がストレッチャーから落ちた。自分ではもう持ち上げられない。救急隊員さんが、何度も支えてくれた。そういえばこの方達、仕事でたぶんお会いしてる方たちだよなあ、とかつらつら考えた。

救急外来に到着。

救急室でナース4人と産婦人科ドクターに囲まれ、よっこいせで移動。まずは左右に20Gでルートキープ。この状態の私の血管に入るんだ。プロすごいな。ガンガン点滴入れながら尿道カテーテルも挿入(全部めっちゃ痛い)。ADL自立してんぞ私、なんでだ?と思った。すでに判断力がおかしい(倒れて動けない人間のin-outカウントに必要だろうに)。めちゃくちゃ寒い、といったら電気毛布かけてくれた。ありがてえ。

不正出血、1時間くらい続く、という話からまず「妊娠してますか?」と聞かれるが、妊娠してるかどうかなんてわからないから「わかりません」とこたえる。やってましたか、いつやりましたか、妊娠するようなことしてましたか、ならこたえたので、これは病院側の聞き方が悪手だったのかもしれない。ごめん。

救急室では内診できないので、と内診台のあるフロアへ搬送される。おそらくこのタイミングで救急から婦人科へバトンタッチされたと思う。名札のとこに紺色のシャチハタを提げたナースさん、髪の先がくるんとなったナースさんを覚えている。

服はすでに血だらけ、内診台までストレッチャーで動き、スカートを立って脱いだまではいいが、内診台に腰掛けた瞬間、すさまじい大きさの血の塊が2つ、ゴソッと落ちる。見てしまった。

内診してたドクター「血だらけで見えんわ、とりあえずガーゼ詰めよ」

ここで輸血と緊急開腹手術(子宮全摘)の可能性を説明される。ゴネる私。子宮がなくなっちゃうのがいやだ。だってもう、本当に産めなくなる。産まない、のではなく、産めない、のだ。4人産んだからじゅうぶんだって理屈はわかる、私も患者さんになら言ってしまうかもしれない、けれど、そんな話じゃない。それに、献血だってできなくなる、最近ようやくヘモグロビン上がってきたのに。

ドクター「1時間の出血量みて決めるわ、クロスと凝固と生化とって」「どのみち貧血で入院やな」「コロナもまわしといて」「胸部(レントゲン)と心電図も」

検査の用意とかで、じわじわ服を脱がされていく。結局、まっぱに検査着。羞恥心ゼロ。

出血性ショックは命のセーブモードなんだなあとぼんやり感じる。最低限、生きる機能だけを残した状態。動けるとか話せるとか目を開けるとか恥ずかしいと思うとかは、オプションなんだなと唐突に理解する。私の「最低限」だけがギリギリのところで生かされている。芋虫の私。

トイレ行きたい感は尿道カテーテルかと思ったら出血で、バカスカ出る。おむつ(既に当てられてる)あけた婦人科ナース2人が「ああ…」「何グラム?」「430あるよ」「ほんま!?」というのが聞こえる。私は寒くてガタガタ震えてる。「ちょっとそっちのストレッチャー移動しよ」というので内診台を起こした瞬間、私は意識を消失し痙攣を起こしたらしい(私はその間、辻褄の合わない夢を見ていた)。名前を呼ばれてハッとして、「あかん、あかんわ、このままいこ」で内診台は起こさないまま、4人に担がれてストレッチャーへ。「出血量は?」「1時間で135gです」「あかんな、手術しよ」足はずっと上げたまま。循環を頭に優先させるため、という理屈を実感する。救急処置、いちいち理屈がある。

ドクターの説明が長くかかりそうだったので、ようやくここで「あたし看護師です」と言ったら、手術の説明が30秒で終わった。笑う。ドクターも「こんな説明早かったんはじめてや」と笑う。先生のスピード感が違う。これは死ぬやつだ、と思ったので、輸血も手術もお願いした。何枚もの同意書に署名していく。字がふわふわしているのはわかる。れいわ、さんねん、あちがう、もうよねんだ。きょうは?なんにち?いちがつ、みっか?まだふつか?そう。そんな感じの、ぐちゃぐちゃな署名。それでも署名は必要。そういう文化だ。押印でなくてよかった。河野大臣ありがとう。

輸血がはじまる。身体がほんのり温かくなり、血圧があがっていく。輸血そのものは冷たいはずなのに、不思議。私はもう献血できなくなっちゃったなあ。献血してくれたどこかの誰か、本当にありがとう。あなたのおかげで命拾いしたよ。ありがとうね。

麻酔科の先生と顔合わせ。同意書サラッと説明して、署名したら、「じゃ手術室で待ってます」と颯爽と去ってった。眠さのかけらもみせない。すごい。

緊急手術となりました。

つっても日付変わっただけ。0:10入室、0:20開始。マスクをしたところで、よろしくお願いします、正月からありがとうございます、こんなにたくさんの方に、と言ったところまで覚えている。ドクター2人に、ナースも5人くらいいた。次は「終わりましたよ」と言われて覚醒、何時ですか、と聞いて、3時20分です、とまでは聞いた。そこからウトウト。お腹の傷が痛くて、いたいよー、いたいよー、と言いながら朝。隣のベッドの人すみません。

輸血どのくらいやりました?MAP 6単位です。というやりとりもしたのを覚えている。術前・術中・術後、それぞれ2単位ずつ。帰室(というか実際は病棟へ入院)したときに、右側に赤い大きなパックが吊られていたのを覚えている。黄色のタグで、名前と生年月日と「A+」ってのを一緒に確認したやつだ。夜勤のラウンドはおそらく1時間おき、それも時間感覚が謎で、ものすごく長く感じた。ナースコールしてから来てくれるまで、何かを頼んでから、来てくれるまでが30分とかそんなふうに感じる。

全身麻酔で喉が痛い(喉からチューブ突っ込むので)。

飲水解除になり、あったかいほうじ茶を飲んだら、痰がすさまじく、出そうにも腹圧がかけられなくて、潤して飲み込んだ。

思いのほか、傷が痛く、痛み止めじゃんじゃん入れてもらう。2種類交互。
手術当日は床上安静。カテーテルも入ったまま。おむつに手術着のまま。足には空気でマッサージする機械がつけられている。満足に動かせない。

こんなんで、明日動けるようになるのかなあ。

患者やってみると、看護師の仕事は面白くみえる。昼の看護師は「言われたことだけしたらいい」タイプで、話す余裕もない。そのかわり、フリーの看護師がうまくカバーしている。くるくるよく動き静かで明るいおばちゃんナース。憧れるなあ。夜勤の方がラウンドが多いあたりも面白い。とにかく、看護師の能力が高く、スタッフ全体的にコミュニケーションができていて、卑屈な人がひとりもいない。すごい。めちゃくちゃ働きやすそう(そこか)。

お茶ください、おむつかえてください、落としたもの拾ってください、やたらナースコールしてしまう。床上安静がこんなに不便だとは知らなかった。

手術翌日。

やっぱり痛み止めが手放せない…投与間隔は気持ちあいてきたけれど、明け方までは4時間が限界ぽく、痛くなると芋虫になってしまう。

腹の傷が痛いのか、なくした内臓が痛いのか、寝すぎで腰が痛いのか、もうよくわからない。モゾモゾ動くのにも腹筋が必要なんだ、と人体の不思議を感じる。電動ベッドは人類の叡智の結晶だよ、コイツのおかげで私は身体を起こすことができる。ボタンひとつ。すごいね。

それでも尿管カテーテルを抜き、トイレへ歩き、食事が開始となる。痛み止めが内服になる。抗生剤と鉄剤の点滴が終わり、点滴も抜去。

思い切って歩く。

歩ける。

痛み止めが効いてるうちに!と病棟を歩く。トイレに行く。お茶をくみにいく(配茶機があってべんり)。

どこかで赤ちゃんが泣いている。私には子宮はもうない。産めなかった命かもしれない、と頭をよぎる。常位早期胎盤剥離の出血に似てる、と唐突に思い当たる。

原因はなんだったのかという話。

夕方、ドクターがきてくれた。この人、今朝7:30に会ってるよね?どういう働き方してんの?死なない??

「結論からいうと、おそらく流産でした」

なんとなくそんな気はしてた。軽いつわりみたいな症状がずっとあった。でも過去の稽留流産のときとあまり変わらなかったから、そのうちなんとかなるかなとも思ってた。

「ただ、確認できたのは胎盤のようなものだけで、胎児や胎嚢というものは見当たらない、ぼくもはじめて経験するケースでした。年齢からいうと、粘膜下筋腫がよくあるんですが、それだけでは説明がつかない、どうも違う、と」

私が家で、子どもだけは産み落として流してしまったのかな?と頭を過ぎる。でも、もうわからない。

「友人からきいた、常位早期胎盤剥離、と似てるなあと今思ってたんです」
「強い腹痛はなかったけど…そうかもしれないですね。そう考えると辻褄が合う。内診台で意識消失して、痙攣起こしたときは、やばいなって思いました」
「出血が続いてたときに、救急車呼ぶか迷って、何件か電話して、結局、子どもたちを取り上げてくださった助産師さんに電話したんです。そしたら『産科の出血は内科外科と違うから救急車呼びなさい』って。それで救急車呼びました」
「その人すごいなー。それがなかったら、たぶん、死んでましたね!いやあ、よかったよかった」
「そう思います。先生も、お正月の夜中から、ありがとうございました」

というわけで。

痛み止めを飲んだら人間としていられるところまで回復してきました。たぶんアメリカなら「オッケーオッケー!痛み止めもらった?じゃあ1週間後に診察するから来てね!退院!」みたいな術後管理になるんじゃないかな。日本の病院ですごす私は、これから流動食、五分粥、全粥、普通食。とステップアップしていって、採血したり出血確認したりして、退院まで1週間くらいかかるみたい。上げ膳据え膳で、ありがたいね。

ただ、今はコロナで面会が完全にダメになっていて、それがさみしい。何より、夫に、子どもたちに会えないのがね。だって、救急車に乗ったときの、真っ白けでぐったりした私が最後の姿だもんね。早く会って、元気だよっていいたいです。

結論。更年期なめたらあかんで。

はいはいここまで読んでくれたみなさんおつかれさまでした!ここからはおばちゃんの説教タイムです。

更年期やろなーとか思って、病院行かんのはあかん。

やることやってたら、1か月生理なかったら受診したほうがいい。

年に1回の子宮がん健診はしといたほうがいい。

あと、不正出血ていうても、ポタポタ、ザーッ、どば!て出るやつはどんなに意識あってもすぐ救急車呼んでよし!
実はアプリ「Q助」では何回やっても「すぐ救急車」て出てたんやけど、信頼しなかった私が悪い!!
Q助」マジで偉大!みんなもスマホに入れとこな!


オーバートリアージでもよいから、みんなは命を守る方向で、救急車呼んでな。ウチの病院みたいに搬送きたら「チッ」てするような人ばっかりやないからな!!

アラフィフおばちゃんとの約束やで!!


新年早々、死にかけて戻ってきて、臓器いっこ手放したかわりに、生理から解放された私に、見舞い金各種お待ちしてます☆

投げ銭はいつでも歓迎でございます🙏