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言葉を話すのがあまり好きでは無い

突然ですが、自分は言葉を話すがあまり好きでは無い。言葉自体は好きだ。言葉には、底知れない力があると思うし、言葉一つで人を動かし、人の人生を変える力もあると思う。それは絶対ある。言葉は表現方法としても美しい。各言語ごとの表現の仕方千差万別で興味深い。


しかし、それを話すというが自分はあまり好きではない。得意ではないとった方が正しいかもしれない。その理由の一つが、言葉を喋るのは制約がもの凄く多いからだ。もう、がんじがらめだ。

人と話す時、頭の中では自由な考えのもと、コレを伝えたい!と思う事がつねにあると思う。誰しも、頭の中ではなんの制約もなく物事を考えているだろう。しかし、それを話すとなると、どの言葉が自分が考えている思考をうまく表現できるのかを選ぶ作業が始まる。これがとてもしんどい。

話すとなった途端に脳味噌がフル回転をし始め、一瞬一瞬、文字通り瞬時に言葉を選び続ける。実際には、ほとんど考えて話す猶予はない。この作業が毎回とても疲れる。しかし、疲れて話す割には、思ったことをそのままのニュアンスで言葉に変換できることはほとんど無い。というか一回でもあっただろうか、、、


これは、一つに自分の語彙力が乏しいことも原因だろう。もっと様々な表現方法を知り、それらを日々使いこし、自分の引き出しから無意識に取り出せるようになっていれば、もっと様々な思いも伝えられると思う。きっと無用は衝突も減るだろう。しかし、結局は100%思考をそのまま言葉にするのは困難だと思う。言葉の表現力にも限界はあるし、思考と完全一致した言葉はない気がするし、常に近似値で話している感覚はある。話すことで、本来頭の中にあった思考も、もの凄く情報量は少なくり、薄まって口から発せられているだろう。


だから、いつもしゃべった後、モヤモヤしてしまう。なので会話が気持ちよく行えたことがほとんどない。(しかし酔っている時は気持ちよく話せることはたまにある。これはこれで興味深い)

母国語の日本語でこの有様なのだから、英語で話す時など、ひどい有様で目も当てられない。仕事で英語を使っている身として、ビジネス会話上は一応成り立ってはいるが、本当の意味で意思疎通はきっとできていない。形式的な応答ができているだけで、本当に伝えたいことは、10%も伝えられていないだろう。英語をどこまで話せるようになりたいかと考えることは多いが、せめて思いの50%くらいは伝えられるだけの表現力は身につけたい。結構ハードルは高そうだ。(non-nativeには無理か?)

脱線してしまったが、やっぱり言葉を話すのは大変だ。頭の中は、みんなごちゃ混ぜのカオスな状態だと思う。だからそれをそのまま話そうとすると、基本的に話していることも、そこそこカオスになるのが当然じゃ無いだろうか。理路整然と、教科書のように順序立てて、説得力のある話をされると、なんだか不自然に感じてしまう。言い戻ったり、言い間違えたり、訂正したり、試行錯誤しながら話す方が、むしろ自然に感じてしまう。

とはいえ、他人と会話するのに、頭の中をそのまま曝け出しても、相手にとってはわけがわからないのも当然だ。わけがわからない話をして、1人優越感に浸っていてもしょうがないので、やっぱり語彙力はできるだけ高めていこう。
今回は、そんなことをふと思い、深夜にスマホでひたすら思いついた順番に書き綴って見ました。

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