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自分の名前の響き方が変わった体験談

以前は、自分の名前があまり好きではなかった。

古めかしいし可愛くないし…なんてのは表面的な話。
それ以上深く考えたことはなかったのだが、1人でシンガーソングライター活動をする名前を考えるときに、この問題に行き当たった。この名前=自分を表しているという実感がなく、「これが私なんだ!」と自分の名前を大声で世の中じゅうに叫ぶことが、どうしてもできなかった。
もちろん自信のなさもある。だけどそれ以上にあったのは違和感。誰だかわからない、掴みきれない感覚だった。


そのときはよくわかっていなかったけど、名前というのはその人自身を本当に表現しているのだと、数年の歳月をかけて身を以て実感した。

もちろん、キラキラネームを改名するとか、色んな事情がある場合もあるだろう。世の中すべてとは限らないが、少なくとも自分はそういう名前をつけてもらっていて、私はまぎれもなく「純子」という人間なのだという結論に至りつつある。


結局シンガーソングライター名は、プロに依頼して芸名をつけてもらった。この名前は本当に素晴らしい出来で、私自身も気に入っていた。

だけど、この名前を何年も名乗って活動しているうちに、ふとあることに気付いた。

この頃は、24時間365日表現活動のことを考えていた。もともと生真面目な性分ゆえ、生活も意識もすべてを捧げ、本名の飯田純子に戻っている時間は完全にゼロだったと言っても過言ではない。( "フリーランスあるある" でもあるかもしれない)

「あれ、私は誰だっけ」

と真剣に思った。記憶喪失や二重人格ではない。だけど、何かが麻痺したようにそういう文言が浮かぶあの感覚は、読んでいる皆さんにはわかりづらいかもしれないが真実だった。



その後、他にも考えがあってシンガーソングライターの活動を休止し、芸名を使うのもやめた。
今思うと、その頃には色んなことに疲れ果てていた。


そこから小笠原や沖縄などの離島に渡ったりと、新しい生き方を模索してきたわけなのだが、

徐々に「ああ、自分はやっぱり "純子" なのだな」という実感を噛みしめるようになっていった。

そのことに気付いたのは、島で出会った人たちから呼ばれる「じゅんこ」とか「じゅんちゃん」とか「じゅんこさん」とかの言葉が、なんだか心地よく響くということに気付いた時だった。

それは純粋に、島で共に過ごした人たちのことが、私をそう呼んでくれる人たちのことがとにかく好きだった、というのが最初に間違いなくある。
そしてそれは、その人たちと共に過ごしている自分自身のことも好きだったということの表れなのだと思う。これが自分だと、ようやく認められたということなのかもしれない。


そう思うようになってから過去のことを振り返ってみると、それ以前に呼ばれていた「純子」「じゅんじゅん」「じゅんちゃん」「純子先生」などの音に対する感覚も変わってきた。
周りはみんなわかっていたし、紛れもなく私のことを呼んでいたし認めてもいた。わかっていなかったのは、自分だけ。



島での暮らしで、たくさんの心地よい響きの「純子」という音を浴びて、徐々にそういう認識が自分の中に染み渡っていった。

それは、人との関わりの中における自己の再発見という過程と、ほぼ完全にイコールである。

具体的には説明しきれないので省略するが、とにかく良くも悪くも「あ〜自分は "純子" だ」という一点にすべて集約される。
直感でこの名をつけた母親は天才だと思う。こんなにこの人間を一言で端的に表す言葉は他にない。もちろん、この名前がついたからこういう人間になったという後天的な面もあるとは思うが。




この件は、ここ数年のもっとも大きな変化のひとつだと思っている。

冒頭で述べたような違和感はそういうわけで減ってきたが、正直なところ、堂々と名乗る自信はまだない…ような気がする。
ここからは自分の名前に、自分の行動に責任を持って、ゼロから積み上げていくしかないのだろう。自分の人生を引き受ける覚悟みたいなのが、前と違うなって思う。


だけどそんなハードボイルドな話だけではなくて、もっと手っ取り早いお役立ち話もあるな〜と今日思った。

生きていると、自分の本音や感覚がキャッチしづらくなっていたり、自分がどんな人間でどうしたいのかをふと見失ってしまっていたりすることは多々ある。(ないですか?)
一般的な規範や常識に縛られたり、周りに流されたり、何かに追われて焦ったりして。どれだけ決意をしても、いとも簡単に忘れてしまったりもして。。

そんなときに、名前を呼ぶ(あるいは呼ばれる)ことで、文字通り「我に返る」ことができるなと。


何かに呑み込まれてるなと思ったら、
とにかく自分の名前!!

だけど本当に切羽詰まってる時は呑み込まれてると気付くことがまず難しいから、一時間に一回タイマー鳴らすとかしようかしら。




追記:
苦労話のはずだったのだが、書き終わるとほぼ思い出話というか、もはや惚気話をした後のような感覚(笑)
私は幸せな人間なんだと思う。




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