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What is 言語文化?

2022年度から高校教育課程国語科において従来の「古典」がなくなり,「言語文化」という科目になりましたが,古典を学問ではなく文化として学びましょうということでしょうか。。。それとも「古典文学・和歌」を「遺物」と扱いたいのでしょうか。本来の目的はよくわかりません。。日本人として日本語を話す限り,古典文学を学ぶことは大切なことだと思います。それも正しく。。。。


英語の必要性が問われて久しいですが,日常生活で英語を使ってますか?英語圏の人たちと何について話すのですか?私も英語が共通語の団体に属していますから英語力は必要で,仕事とプライベートで様々なことを話します。ある食事会で,とある国の女性から「日本の着物はなぜ右前なのか?」と聞かれました。洋服の女性物は左前だから「他国の文化」について疑問に思ったわけです。和服文化の日本人から見れば,なぜ洋服が男性と女性で右前左前と分かれているのか疑問に思うのが普通だと思いますが,そう思わないほど私たち日本人は「日本文化」を忘れて「西洋文化」の中にいるわけです。


「文化」とは何でしょう?今日タイトルにあげた教育課程の「古典」と「言語文化」を引き合いに出すと,「言語文化」という教科は「文化のひとつ」と位置付けることになるのでしょうか。文法知識や修辞法を学ぶことよりも一つの楽しみとして古典文学に触れよう!ということでしょうか?とすると「触れる」つまり自分の外側にあるものに触れるということになります。

「文化に触れる」こと自体,その「文化」を自分の外側にあるものととらえることになります。だから「言語文化」としたときに私たち日本人の言語ではなく「古い時代に使われていた今は亡き言語」を学ぶということになると思えるのです。いわゆる「英国の文化」を学びましょうというのと変わりない気がします。

授業内容においても,生徒の話を聞いていると「上っ面だけたのしいところだけ触れてみよう」という姿勢を感じます。私たちの細胞の中に受け継がれてきた「古典」は何処に行ったのでしょう。「古典」を正式に学ぶことをおろそかにすることは,日本人としての学問と教養を身につけることを怠るというように見えます。

日本語の美しさのひとつに「流れ」があります。万葉仮名から女手になりその頃は筆の流れの美しさを教養としていたわけです。小さい頃,母は和歌を読んでくれました。意味は分からないけど「~けり」とか「やあるらん」てすてきだな~と,なにやらうっとりして心地よい気がしました。音が流れていく感じに優しさと柔らかさを感じていました。

ある古典研究者が仰ってましたが,古典を理解するには「美しい」と感じる心が必要なのだそうです。そういわれればそうだなと思います。八百万の神を大切にした昔の日本人は自然の中に「美」を感じて生きていた。平安貴族だけでないでしょう。防人だって船頭さんだって畑仕事をする男衆だって月や波や土の香りに美を感じていたと思うのです。

とすると,「日本の美に触れましょう!まず初めに古典に触れてみましょう!」という目的のために,高校では古典を学ぶのをやめて「言語文化」という教科を作ったのでしょうか。。。
もし,子供たちに日本の美をわからせたいなら,小さなころから古典に触れさせ,高校では学問として学ぶことが大切なのではないでしょうか。小学生で百人一首に触れて日本語の美しさを知り,中学生で国文法を学んで正しい日本語をしっかりと身につけるーこの年頃は言葉遣いがいい加減になりやすいためです。そして高校で古典文法を学び,古典文学や和歌の面白さを知る。そして極めたい学生は大学でさらに学べばいいのではないでしょうか。

日本の教育は英語ばかり重視している気がしてなりません。私の専門は英語ですが,英語を教える時に国文法も一緒に教えます。そういう時,生徒はきまって「日本語ってむずかしいんだね~。」と言います。最近の日本人は「カンタン・ハヤイ」が大好きのようです。


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