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受験というもの


受験の朗報が続く日に思うこと。
生徒たちが誇らしげに語る朗報に涙しています。その涙は「合格」に対することではありません。子供たちが自分で決めた道を進むための努力をし続けて来て,また今後も新たな目標に向かって努力するであろうことが実感できるからです。
偏差値の高い学校に入ることがいいことだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。WFC日本支部長として世界的視野をもって,教育に携わることになった私にとって受験は通過点の一つに過ぎないように感じます。大切なのは,自分で自分の道を決めてそれに邁進すること。もしその道が間違っていると思ったらためらわずに立ちどまってみること,来た道を帰ってもいいし,道を変えてもいい。要は自分で決めて自分の力で歩くことです。
娘の小学受験でお世話になった先生は,『お子さんに最適な学院を神様は用意してくださる』と仰いました。母子家庭なのに私立一貫校でがむしゃらに育てた私もああその通りだったと思います。
一人で力撒いて父親を亡くした一人娘を育てながらも,心の内は母子家庭であることにかなり引け目を感じ,劣等感の塊であったにもかかわらず,それに気づかずに強がっていた私です。そういう保護者さえ,学院は12年間全て平等に温かく支えてくださりました。そのうえ,小学部時代からのお母様方は,片親への偏見などこの世に存在しないかのような心の広い方ばかりでした。それでも夫のいない身は肩身が狭いと勝手に思い込んで差し伸べてくださるお手を拒んだことも何度もあり,本当に申し訳なかったと思います。また拒んだ自分を責めてしまいがちです。素直に甘えていればいいものをと思いますが,あの時は必死だった。。。
そうなのです。そういう意固地な必死ささえも包んで許してくださる学院とのご縁をもつことができたのです。
思うに,学校とのご縁とは子供だけでなく親にとってもご縁です。もし我が子が他の小学校に入学していたら,学院でご一緒させて頂いたお母様方からいただいたような温かい愛情は受けられなかったでしょうし,私のありもしないプライドの高さゆえに学校を辞めさせていたかもしれません。
先生方やお友達のおかげで娘は充実した学院生活を送ることができました。娘の学院は親の私にとっても母校のような気がするのは,学院とはいいご縁であったと心が教えてくれるのです。
今受験の時期を過ごされている皆様も,お子さまのご縁ある学校は,お父様お母様ともいいご縁である学校だとお感じになる日が来ると思います。
最後に,娘と私に学院とのご縁を持つチャンスを与えてくれた天国の家族に心から感謝します。

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