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不自由な服

 洋服というのは、自分をいかようにも魅せる重要なアイテムだと思います。その人の生活ぶりも見えるし、着こなしや色、柄選びから好みや性格も伝わるだろうし、お金の使い方や管理体制まで感じるかもしれません。
そう思いながら、私はほんとに「自分がこうありたい」という服を着られていないなぁと日々悶々と過ごしています。街を歩いている時にガラスに映る自分の姿が「うーん、変だ」と思ってしまい、自分で買ったはずのものがいつも気に入らないのです。

 クローゼットの管理体制もしかり。気に入らない服を眺めては溜息が出る始末で、服の管理(洗濯や収納など)を頑張る気が高まりません。
 言い訳をすると、私は身長が低いので(横幅は中肉。だと思ってる)、既製品がほんとに大きいというか、袖も裾も長いのです。なので、モデルさんがカッコよく着こなしていても絶対に着られない。それなのに、なんでか買ってしまった素敵なのに似合わない服たちが多くあります。いや、処分してまた別の似合うのを探したらいいのだろうとは思うのですが、元来のモノづくり精神と器用貧乏がそうはさせません。これらを何とか着心地よくきれいなシルエットのものにリメイクできないだろうか?とアイディアを巡らせて考えてしまうのです。
 元来ミシン大好き、趣味を聞かれれば「洋裁」と答えるほどで、コンピュータミシンもロックミシンも持っているのです。外注したらこの服より高いお値段するし、アイディアが伝わるか不安だし、自分で作るのが一番でしょ!と思いながら、服作りってなかなか時間と気合いが必要で、ハウツー本を眺めては妄想しているのだけれどなかなか取り掛かれません。

 しかしながら、服は重要です。動きやすくて洗濯しやすくて、体に合ってて形が良くて。アート作品と違うところは、ただデザインがいいというだけではダメなところだと思うのです。一人一人の体格、顔立ち、年齢、職業・・・などなど、様々な条件をクリアして、自分に似合うものになるのでしょうね。服ってホントに難しくて不自由なものですね。


「不自由な服」

 こちらの作品は、「不自由な服」というタイトルの作品です。人生において身にかかる多様な出来事が、自分の記憶や経験となって、それらを纏いながら生きていかなければならない。という意味合いをこめて描きました。
既製品が似合わないという意味ではありません(笑)。

しかしながら、どんどん月日は流れていってしまいますので、何とか気合いを入れて自分に似合う服をクローゼットに並べたいと、スケジュール帳を開いてみる今日この頃です。まずは夏服からにします、秋になる前に完成させたい。まだ春だけど。


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