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【エッセイ】世界と裸で向き合う夜。世界は男か女か両性具有か。

お久しぶりです。
先週、4月半ば〆切の応募が終わって、ようやく春の公募祭りも終わってひと段落がつきました。祭りと言っても遅筆の僕は2つしか応募できなかったんですけどね。でも、自分のペースでやっていくしかないですからね、マラソンと同じで。亀は亀なりに止まらず歩くのが大切だと思っています。別に兎の居眠りに期待なんかしてないし、兎に勝てないとしても。
秋の公募はたぶん1つしか出さない予定なので、しばらくはのんびり読書や映画鑑賞とかインプットを大事にしながら、短編を書いて遊んでいようと思います。今年限定で文藝の短編部門があるみたいなので、そのタマも作れたらいいな。タマって書くと猫の名前みたいでかわいい。猫飼いたい。玉って書くと……頭に金をつけたくなるね。僕だって男の子だからね!

またnoteのほうも少しずつ投稿していこうと思います。基本的にはエッセイもどきのただの日記がメインになると思いますが読んでいただけると嬉しいです。エッセイもどきを書いてると短編のネタとか見つかるかもしれないので期待、液体、固体の三態。
短編は文藝の短編部門にまわすので、今までみたいにnoteに掲載できないですが、4本以上書いたら載っけていこうと思います。
秋の公募用の中・長編は来月後半くらいから書ければいいな。

そんなこんなで、今はのんびりした時間を過ごしておりまして、日曜なんて14時間も眠ってしまいました。
僕はもともと寝付きも寝起きもすこぶる悪くて夜型人間なんですけど、一度寝始めるとめちゃくちゃ眠っちゃうんですね。睡眠の質があまり良くないのかもしれないし、ロングスリーパー体質なのかもしれません。どうぞ、みなさん、眠り男とでも呼んでください。お姫様のキスで目覚めます。唇突き出して待ってます。王子様からのキスは慎んで遠慮申し上げます。
そんな僕なので、布団に入って2、3時間ほど暗闇の中でゴロゴロ寝付けない苦しみと焦りにのたうち回ってることがよくあるんです。この間もそんな夜がありました。そういう時って、時計の秒針の音がやけに耳についたり、不意に外から聞こえてくる猫の鳴き声や人の足音が不穏な響きで聞こえてきたりします。家の中で物が落ちたりして物音がした時なんてもう怖くて動けなくなるくらい不穏ですよね。

昨日の夜もやっぱり寝付けなくて、布団の中で部屋に重く満ちている濃紺の暗闇を眺めていました。部屋の中は家族5人の体温と呼気で、むわりと蒸せるような重く厚い空気が漂っています。うつ伏せになったり仰向けになったり、横向きになって膝を抱えたりしながらたまに溜息をついたりして。横では7歳になる次女がスースー寝息を立てていて、その向こうでは9歳になる長女が歯軋りしながらたまに寝言で笑っていました。楽しい夢を見ているようで、僕はほんの少し安心感を覚えてまた姿勢を変えます。起きているのは僕だけで、取り残されたような孤独感と寂しさ、焦りを感じると同時に一人きりであることに不思議と安堵感も感じていました。

布団の中で2、3時間もなにをしてるのか申し上げますと、別にボケーっとアホ面晒して焦点の合わない目で天井見上げて涎垂らしてるわけじゃないんです。ただ、なんだか取り留めのない思考がポコポコ湧き出て、また泡みたいに消えていくんです。その思考の流れに身を任せているというか、飲み込まれている感じです。
例えば、時間の直進性とか一定性とか、死ぬことが持つ意味や態様の在り方とか。選ばれなかった選択肢の可能性や、別れた人との出会いの意味とか。

ああ、時計の秒針がうるさい。さっきから速くなったり遅くなったり安定しないから、それが僕を落ち着かなくさせる。いっそ電池を抜いて止めてしまいたくなるけど、そうしたら目覚ましが鳴らなくて明日の朝に僕が家族に怒られる。このまま時が止まればいいのに。
外では誰かがキャリーケースを引いて歩く音が聞こえてくる。キャリーケースのタイヤがアスファルトとぶつかる音がうるさい。遠くでは救急車のサイレンが鳴っている。キャリーケースを引く人は誰だろうか。どこかに行くのか、どこかから帰ってきたのか。いつか別れた昔の僕の恋人かもしれない。そういえば彼女は旅行が好きだった。救急車で運ばれている人は誰だろう。大丈夫だろうか。顔も知らない誰かの無事を祈る気にはなれずに、救急車の中を想像しようとしても空っぽの映像しか浮かばない。自分の冷たさに胸の内がヒヤリとした。人が死んだらどうなるのだろう。いや、人に限らず、生物が死んだらどうなるのだろうか。
ツイッターを開いてタイムラインを眺める。おすすめに表示されたアカウントのホームから過去の投稿を辿ってみたりもする。このアカウントは3年前から投稿がない。もう死んでしまったのかもしれない。過去の投稿だけが残り続けて、生者の顔して振る舞い続ける。もともとのフォロワーで何人か投稿が止まってしまった人のことを思い浮かべる。その人たちも死んでいるのかもしれない。それでも彼らが生きたという痕跡がネットの海に残り続け、僕という人格に微小ながらも影響を与えて、この世界で生き続ける。もしかしたら100年後の未来において、ある少年に影響を与えて、その少年が英雄になり世界を変えるかもしれない。

なんだか夜って、自分自身も世界も昼の間は被っていた外行きのマスクや洋服を外して、素の状態、いわゆる剥き出しの裸で向き合っている感じがします。そして、そんな時間こそ世界の中で生きてることを実感できる気がして好きです。
だから、きっと僕は今日も寝付けないまま、世界と裸で向き合うんだと思います。そんな時間を楽しみにしています。

今日はこの辺で。それではまた。

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