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【エッセイ】個別性こそが小説であるならば、大多数に当て嵌まる一般論に寄り掛かるよりデカデカボイスのマイノリティで僕はいたい

 どうも、じゅんちちです。今日もタイトルと記事内容の関連性はほとんどありません。ごめんなさい。みなさま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか?

「ゴールデンウィークなんてねえよ! 仕事だよ!」という方、本当にご苦労様です。自分へのご褒美に寿司でも高級黒毛和牛でもGODIVAのチョコでも買っちゃいましょう。

 今、僕は自分へのご褒美として食べ物ばかりを列挙しましたが、これは流石にアイデアとして貧弱すぎる。ありきたりだし、イメージが枯渇している感じが否めない。

 本来、自分へのご褒美なんてものは100人いれば100通りのご褒美があるはずで、その個別性に着目し、イメージを喚起することで物語が生まれ、小説になるのではないか。ならば、小説家を目指す僕としては、もっとイメージを膨らませて個別性を見出していこうじゃないか。

 というわけで、勝手に読者のみなさんの「自分へのご褒美」を考えていこうと思います。
 僕の記事を読んでくれている人ってどんな人だろう。いや、そもそも読んでくれてる人なんて存在してないかもしれないけど。でも、ほら、そこは想像の世界だから、いくらでも僕の好きなように妄想しちゃいます。老若男女、貴賤雅俗、生きとし生けるすべてのもの。いろんな人や、人以外の者が読んでくれてるといいな。

 まずは裕福な方、あなたのご褒美は「お金では買えないもの」がいいでしょう。夢とか愛とか、感謝の気持ちとか。そのために僕に軽く1億円くらい渡すといいでしょう。ものすごく感謝します。大きな声で「ありがとう」を叫びます。すごく良い気分になると思いますよ。さあ、どうぞ。
 次にそこの御老人、あなたのご褒美は「うまい肉と魚」がいいでしょう。元気に日々を過ごすにはもう食事です。たらふく食って栄養をとってください。長生きしてね。

 次に女性の方々。ここは難しい。男にとって女性の心は一生をかけてもわからない。わからないから理解しようと頑張る。理解しようとする行為の中に愛がある。忙しい現代の女性たち、やはり必要なのは癒しでしょう。ご褒美として「マッサージ機能付き抱き枕」なんてどうでしょう? 試しに僕を抱きしめてみてください。身体中をマッサージもするし、癒されること間違いなしです。僕としても嬉しいし、WinWinです。

 そして男性の方々。これは簡単。風俗にでも行ってください。最高のご褒美です。

 猫ちゃん、かつお節やるからこっちにおいで。犬ちゃん、散歩に行こうかい。


 そんな感じで、みなさん自分をたくさん甘やかして頑張ってください。生きろ。

 まったく個別性を感じられない中身になってしまいましたが、僕の力ではこんなものです。おもしろい自分へのご褒美をした人はぜひ教えてください。


 自分へのご褒美の話が長くなってしまいましたが、僕が今日話そうと思ったのはゴールデンウィークの話です。旅行に行ったり、おいしいものを食べたり、風俗に行ったり、風俗で遊んだり、風俗で癒されたり。きっとみなさん、素敵な連休をお過ごしのことでしょう。


 そんな僕も連休中は家族と過ごすのがメインというかほとんどなので、小説はほとんど書けないでいます。お出かけとしては、妻の実家に帰省をして、義理の親戚と集まりました。

 僕は大人からはそれほど好かれないけれども、子どもからは割と好かれるタイプでしてね。義理の甥っ子、姪っ子と体力が尽き果てるまで遊びました。三十半ばの身体に鬼ごっこはきつかったですし、プロレスごっこはさらにきつかったです。


 僕も子どもの頃に祖父母の家なんかに行くと、叔父や伯母によく遊んでもらっていまして、それは今でも良い思い出として僕の中に残っています。まあ、今では叔父とも伯母ともいろいろあって、ちょっと微妙な関係なんですけどね。

 だから甥っ子や姪っ子にとっても、僕と遊んだ思い出が少しでも良い思い出として大人になった彼らの心に残るといいな、と思いながら過ごしていました。

 彼らにとって、僕はどんな存在として記憶に残るだろうか。あまり良いことではないのかもしれないけれど、身体的特徴というのはどうしても記憶に強く残る面があります。レッテル貼りではないけれど、そうした特徴を鍵にして記憶を整理するからかもしれません。

 僕も叔父さんの頭髪の少なさや伯母さんのまん丸な体型が印象に強く残っています。でも、別にそれは揶揄するという感じではなくて、子どもながら単なる事実として捉えている感じでした。「おじさんは禿げている。それは格好良くも、格好悪くもない。そんなこととは関係なくおじさんは遊んでくれる楽しい人」。

 じゃあ、僕の身体的な特徴はなにか。それは背が高いこと。甥や姪にとって、僕は「ノッポのおじさん」として記憶に残るのかもしれません。


 きっと彼らがもう少し大きくなれば、僕なんかとは一緒に遊ばなくなるのでしょう。会うことすら少なくなっていき、親戚の法事とかでしか会えなくなると思います。まだ彼らがノッポのおじさんと遊んでくれる、この数年間だけでも、僕は全力で彼らと遊び、彼らとの思い出を作っていこうと思います。

 そしていつか僕が死んだとき、法事に来てくれた彼らが「ノッポのおじさん、遊んでくれて楽しかったよな。なんか顔は2Hの鉛筆で線を引いただけみたいな薄い印象だけど、良いノッポだったよな」なんて話しながら酒を飲んでくれれば本望です。


 生きるってそういうことなのかもしれません。だれかに影響を与え、記憶に残り、その人たちを通して未来永劫この世界の中で生き続ける。

 そんな気がしたゴールデンウィークでした。どうか、甥っ子や姪っ子たちだけではなく、こうした記事を読んでくださった誰かの中でも生き続けられれば嬉しいです。


 それでは、また。


 追申。note創作大賞の結果発表がゴールデンウィーク前にあったみたいです。僕は忙しくて、昨日、確認できました。

 結果としては、僕の作品は残れずに中間選考通過でおしまいでした。それでも、もともと純文学作品で選考を進むのは難しいと思っていたので、中間選考を残れただけでもすごく驚いたし、嬉しかったです。

 読んでくださった各参加企業の方々、読者の方々にこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。

 僕自身は今回選ばれた作品を読めていないので、どういう作品が選ばれる傾向にあったのかはわからないし、「大賞の該当作なし」という結果がどうなのかもわかりません。

 今回のnote創作大賞には純粋にとても楽しませてもらいました。このコンテストに次回があるのかもわからないし、あったとして参加できるかもわからないですが、より参加企業と応募者が増えてコンテストとして盛り上がると同時に、いろんな種類の作品が選ばれることを祈っています。

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