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家庭での同居生活で思うこと

 皆さんは8050問題をご存知でしょうか?
主に、親が80歳代で引きこもりの50歳代の子供の世話をしていることを一般的に社会では浸透されていると思います。
 この問題は親がいずれか子供より早くに亡くなり、その後子供が社会復帰しながら生活できるのか、また世話をしている親が介護、世話などで疲弊してしまわないかの問題をそれぞれの立場で抱えています。

 私の家の場合は…母と兄と同居しながら生活しています。(兄も私も引きこもりではないのですが)父は24年前に亡くなりました。家は小売りの自営業をしていて、母も兄もその仕事に従事しています。私は外で働きながら毎月母に生活費の足しを渡しています。家賃や光熱費を支払わなくていいのですが、ずっと続くものではないと危惧しています。
 今の所、母は元気で小売りの仕事も家事も車の運転もします。ですが、年齢を重ねるたびに高齢化してきており、何度も同じことを聴いたり、会話の途中で時々理解できない場面も見受けられ、少し心配になってきています。

 私はいずれか家から出ていく立場だと考えています。そして自分の人生を歩まなければならないと…
 そう考えると、母が兄と暮らしながら一生小売りの商売をしながら人生を終えるのかと考えてしまいます。母の気持ちを受け入れながらも独りにはさせたくない…正直そんな気持ちです。
 今はインターネットで何でも調べられる時代です。「共依存」で調べると、端的に言うと親離れ、子離れができずにいる状態…この気持ちが私の親子間の共依存関係ならそれで仕方ないとも思っています。また、「母は自分の人生を幸福だったか、不幸だったかは母が決めること」で、兄の人生も私の人生にも同様のことがいえると思うのです。
 
 つまり家族が同居して、助け合いながら生活していても、それぞれが自分の人生を歩んでいかなければならないということです。結婚するのも一つの選択ですが、なぜか結婚願望がないのです。適齢期を過ぎて、世間的にはだいぶ経つと思うのですが…自分の身に振りかかってくる問題というのは時の流れの早さと同じよう早く感じていました。そして家族から精神的に自立するのに気づいたのもかなり遅かったと反省しています。

 でも母、兄、そして私の人生、いつからでも挑戦するのは遅くないと思っています。過去のことは手放して、前向きにそれぞれの人生を生きて行くことを忘れなければ、道は開けると思うし、信じています。10年後には具体的にどうなっていたいかをイメージしながら一日一日を大事に過ごしていこうとも思っています。たまには母と兄ともそれぞれの人生について対話していこうと考えています。

 今回も拙文をお読みいただき、感謝申し上げます。
※追記:冒頭に8050問題を提起したのは私の家族の年齢が近いことがあり、私自身が感じている問題です。文章の内容とは矛盾する点がありますが、ご了承下さい。

 

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