地方として、高校生のための場を考える vol.1 ボランティアってなんぞや? 1995年の大阪から教わる「can」「will」「needs」
コミュニティ・カフェ EMANONをリニューアルオープンします。そのためにもう一度、「高校生のための場」とは何か?何を準備して、何をなすべきなのか?考えていこうと思います。
今日の題材は、ボランティアのメッカ大阪の、ボランティア協会に教えていただいた「can」と「will」と「needs」のお話。
1995年1月17日、火曜日。
復興した戦後日本が、はじめて直面した大規模災害、阪神・淡路大震災。まだ「ボランティア」という言葉が一般化していなかった1995年、大阪のみなさんが考えたのは、「自分たちができることって何だろう?」という問いだでした。
誰かを助けたい、誰かの役に立ちたい。
気持ちはある。でも、専門的な知識と技術で命を救う緊急医療チームのような宿泊型支援は、できない。
熱意をもった人を目の前にして考え出されたのは、「日帰りでできる」ボランティア。たくさんのボランティア希望者は、土地勘がなく、滞在日数にも制約がある。また、被災核心地は食糧やインフラにも不安があった。その中で希望者の力を最大化するために考えだされたのが、滞在型支援。
前線基地を、大阪と被災地神戸の間の西宮に設け、大阪から日帰りでボランティアが動く。集まったボランティアたちができることを、被災者が求めていることと繋いでいく。
コーディネーター:中間支援組織として活動することになる、大阪ボラ協のルーツになるエピソードです。
「誰でもできる」「日帰りでできる」ボランティアが組織した「被災地の人々を応援する市民の会」。安否確認から、バイク好きボランティアのバイク隊、どんな相談事にも乗るよろず屋、ボランティア案内のボラ交番、倒壊家屋から宝物を取り出すボランティア…など、絶えず変化する被災者のニーズに、多種多様なボランティアがいたことで対応することができたと言います。
「自分たちができることって何だろう?」という問い
「自分たちができることって何だろう?」という問いが教えてくれるのは、「わたくしごとでできること」以上の、自分でできないことをすることはできないということ。誰しもが、急にお医者さんにはなれないし、自衛隊になることもできない。でも、「自分ができること」は必ずある。そして、誰かが、あなたを求められている。
したい = will
できる = can
求められる= needs
自分と、助けを求めている人の気持ち、3つが交差するところに、ボランティアの"活動のタネ"がある。それは、被災時でも、平時でも変わらない。
大阪ボランティア協会の永井さん曰く、”活動のタネ"を関心に、そして活動にするために、一番大切なことは"とっかかり"だという。"お試し"で、"とりあえず"簡単なプログラムから。ボランティアは継続がもちろん大切だけれど、はじまりがなければ継続もない。
「とりあえず」が、「またやってみたい」になったとき、それは力を持った、継続する活動になっていく。
そして、「とりあえず」すら、「つぶやける場」がなければはじまらない。怒りや悲しみ、苦しみをつぶやけるような場所をつくって、それを拾っていくこと。
小さなことでも、そのつぶやきを拾っていくことが住みやすい、住んでいたいまちをつくる。
高校生は、つぶやける場がない。自分たちでつぶやきを表現して、伝えるすべもない。「つぶやける場をつくることが白河には必要」なのではないか。
つぶやける場を、白河につくろう!
大阪ボランティア協会に教えてもらった、ボランティアのエッセンス。
そんなことを、地元の高校生と一緒に、大阪に聞きに行ったのは、2014年の秋でした。
コミュニティ・カフェ EMANONができる1年半前のことです。
今回のテキストは、当時作成したShirakawa Week 2014 阪神地域先進市民活動視察報告書で、大越知佳さん(当時白河高校3年)が作成したレポートから抜粋しました。(下記からダウンロードして読んでいただけます)
EMANONでのつぶやきから生まれたものは、いくつかあります。例えば、2017年度に作成した「高校生による高校生のための時刻表」。
さて、いまの白河、いまの地方都市は、高校生が「つぶやける場」になっているでしょうか。そんな場が、あるでしょうか。
なにより、つぶやきに耳を傾ける、大人がいるでしょうか。
地方として、高校生のための場を考える。
これから2ヶ月、一緒にみなさんと考えていきたいと思っています。SNSフォロー、イイネ、感想、お待ちしております!
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