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般若心経とインテグラル理論#152

昨日、般若心経について綴った
今日は少し昨日語りきれなかったことを綴っていきたい。

今日も般若心経を唱えていたのだが、今日は訳に意識がいってしまう。

「色即是空 空即是色」なんて、回りくどい言い方をしなくてもいいように思う。

むしろ語感を大切にしたいからそう言っているように思える。

最後の呪文にあたる「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」なんて、その一番の現れ。

般若心経は、現代でいうラップ。
韻を踏みたい気持ちがにじみ出て、それに面白く笑ってしまう自分がいた。
もちろん好意もって。

内容も、今までの教えを否定し続け、最後にじゃあどうすればいいって、呪文唱えなさいだけ。

簡素化されすぎているのだが、262文字で表すとこうなるのだなと。
唱えるために作られたと解釈していいよね。

もとは釈迦の弟子にあたる龍樹(ナーガールジュナ)が、般若経という経典をまとめあげた。

それは600巻以上ある。それをたった262文字におさめた般若心経となると、たとえるならば、3時間ある映画をたった1文字で表現したくらい。
それくらい簡素化されている。笑

それでも、宗派をこえて読まれるだけあって、真髄はある。

般若心経に触れることによって、東洋西洋哲学の統合、換言すればインテグラル理論への理解は、確実に進んだ。

インテグラル理論は、メタ理論であるゆえに、まずそれぞれ理論(心理学、思想、哲学など)を理解しなければ理解ができないものに思う。

たとえるなら、ドラマを1話から見ずに、いきなり最終話だけ見るようなもの。笑

たしかに最終回だけみて、「すご・・・」「感動した・・・」ってなるが、
1話から見なければ、真に深く理解できていない。

その点、このように1つ1つの心理学、思想、哲学を丁寧に理解していくことは大切な営みに思う。

特に今回は、東洋思想には意識構造という観点が弱く、意識状態の話をしていることを改めて理解が進んだ。

そして、水平的な悟りである意識状態が、一時的なものが徐々に常態化できるようになることが、発達構造の第三層の世界観であるにあたることも、少し理解が進んだように思う。

知行合一で、体験をもって理解していく点で、仏教やあらゆる営みを積極的に取り入れてみたい。

その上で、自分の内面に生起されるものがどのようなものだったのかを内観し、ここのジャーナルに記録していきたい。

もちろん、言語活動であるジャーナル以外にも記録することを大切にしながら。

2021年5月14日の日記より
2021年5月15日


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