コーチングは”対話療法”であるという限界点と可能性#128
今日は半年ぶりに、宮越大樹さんのyoutubeにお邪魔させていただいた。
対談していく中で、私自身も学びがあったのだが、今日気づいたのは、コーチングというのはあえてカテゴライズするのであれば、「対話療法」であるということ。
対話療法であるがゆえの限界点
私がコーチングを教えている時に、他のコーチングスクールから学んだコーチたちによく言われる感想の1つとして、「今まで思考だけでコーチングしていました。」「これが思考以外も扱うってことなんですね。」と言われること。
コーチングは「質問」という言語を扱って対話するのが基本ゆえに、思考が使われる。
感情を扱うというが、言葉にした時点で、もうそれは思考であり認知である。
ゆえに、コーチングはどこまでいっても思考を扱うもので、対話療法といえ、ここにコーチングの限界点があるように思う。
本来人間の全体性を、もっと広く心理療法をみれば、多様なものが存在する。音楽療法があれば、遊戯療法があれば、催眠療法、絶食療法、箱庭療法、薬物療法など。
心理療法以外も広げると、メディテーション、ボディワーク、エネルギーワークとさらに多様。
思考以外を使わぬ心理療法や実践はたくさんあるし、それぞれに特料があって、それゆえに起こる治癒や変容もある。
コーチングという対話療法という点で、治癒や変容に関わるワンオブゼムでしかないし、思考を重視された対話療法ということを改めて深く理解しておきたい。
そのうえで、自分が本質的な治癒や変容に関わりたいのであれば、コーチング以外も扱えることになることが重要だし、コーチングそのものも、思考以外を扱えるようなものへとアップデートしていくことが重要に思う。
ここでいっている思考以外というのは、ウィルバーの理論を使えば、マインド以外であって、それはボディ(身体)であったりスピリット(霊性)であったり、シャドー(無意識)と言えるし、
認知行動療法のラザルスとエガートンのSPACEモデルで言えば、認知(cognition)以外に、環境(Social context)、身体(Physiology)、行動(actions)、感情(emotions)と言えるし、
ハワードガードナーの多重知能でいえば8つにわけることもできるわけし、いろんな観点で思考以外をあげることができる。
対話療法であるがゆえの可能性
一方で、思考というものが、実は思考以外に大きく影響を与えるものであるし、発達において最も重要と言えるかもしれないと思っている。
というのも、我々は言葉にとって、血となり肉とさせることができるわけだ。
その感情も信念も、それを適切に解釈して、適切な言葉を与えるやることで、自分の中で定着することができる。言語による意味構築活動を通じて、自分のものにできる。
再現性がつくられると言ってもよいかもしれない。
リフレクションという行為は、言語によって定着化されうるわけで、思考の基盤なくしては、他の領域の発達はあまりに脆弱なものになる。
それはビジネス以外の、スポーツにしても芸術にしてもだ。
ここにコーチング、ひいては対話療法が他の心理療法と比べて大きな可能性を秘めていると言えると思うのだ。
高次の発達に求められること
それでも、発達理論やインテグラル理論を探求していくと、人の治癒と変容を高次の発達段階においては、思考さえも越えていくことが重要なのはつくづく感じる。
この領域からは東洋思想的アプローチがより重視され、ウィルバーの書籍を読めば読むほど、瞑想などの重要性がしつこいほど謳われているし、周囲の現象をみてもそのとおりだと思う。
このことを理解しながら、コーチング以外も大切にしつつ、コーチングをアップデートさせていきたい。
インテグラルサイコセラピーとして、この領域を形にしたい。
2021年4月19日の日記より
2021年4月21日
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