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「終わり」に意識を向ける#218

今日も4人の方とセッションをさせていただいた。

どのお話も本当に有り難いお話だったと、心地よいピアノのBGMを聴きながらしっとりと感じている。

4人とも共通するならば、「終わり」というものがあった。

「終わる」ことによって初めて感じられる感覚。

1つのプロジェクトを終える。職場を辞める。病気になり命の終わりを感じる。など。

そう思うと、きちんと終えることも大事だし、終わることを意識することも大事にしたい。

ただ、このようにわかりやすい話だけではなく、実は「終わり」はたくさんある。

「アルケミスト」の言葉を借りれば、今まではそれに気がついていなかっただけ。

今日1日も、終えようとしている。

ウィルバーは、面白いことにこんな言葉を言っている。

「meditation as rehearsal for death」

瞑想は、死のリハーサル。

死ぬ時は、息を吐いて終わる。息を吸って吐くというプロセスには、生と死のダイナミクスが入っている。

息を吐く瞬間に、死を経験し、吸う瞬間に生まれている。

一瞬一瞬に生と死を体現しているのだと。

私はそこまではなかなか思えていないが、この言葉には衝撃的だった。あ〜ここまで感じ取られているのかと。

たしかに瞑想をして、呼吸をする度に、胸がふくらみ、心臓が動いていることに気がつく。普段は意識がいかない当たり前のことに気がつき、有り難い気持ちになる。

インテグラル理論の中でも発達を「死と再生」と形容されるが、死のあとに再生が待っているから、死を祝福したいと思っていたが、死そのものを認識しなければ、再生はないのかもしれない。

そう思うと、些細な死、終わりに意識を向けたく思う。

今日という一日の終わりに。

2021年7月20日の日記より

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