(本)羆風
羆という漢字。通常、熊という上に冠のない漢字を用いるかと思いますが、羆はヒグマを指すのだそう。
今回は、1915年、ちょうど第一次世界大戦の最中に北海道で起きた日本史上最悪の熊害とも言われる三毛別羆事件を取り上げた一冊。そのセンセーショナルな内容から、事件名を耳にしたことがある人も多いはず。
事件の概要は、冬眠の時期を逸した羆が、わずか2日間に6人の男女を殺害、3人に重傷を負わせたもの。6人の中には妊婦も含まれ、胎児を守ろうとする描写は、特に子供を持つ親は読む時に呼吸を忘れてしまいそうになるほど。
人間は銃という殺傷能力の高い武器を持ち、かつ、熊より知恵もある。ともすると、自然を征服したような感覚を持ってしまいがち。
確かに三毛別の事件は北海道の開拓の途中に発生してしまった事件であり、文明的な発展が行き届いていなかったエリアで発生してしまったこと、住居の堅牢さも今とは比べ物にならずシェルターとしての効果を持たなかったことなど、仮に現代に同じ羆が現れたとしたら、こんな規模の大事件にはならなかったでしょう。
それにしても、近年でも熊に襲われて怪我をした、といった内容のニュースは毎年のように目にします。自然の一部を人工的切り拓いていくという過程を現代化というのであれば、常にその「境界」、人間と自然・動物との取り合い部・共存部は存在し続けます。我々は現代においても自然に依存しないと生きていけないわけで、その自然を必要としているのは他の動物も同じであることは忘れてはいけないのかな、と。
本事件は、人間というフィルターを通してみると熊の狡猾さ、残忍さに憤りのようなものも湧いてきます。
なぜ、抵抗のできない女性・子供を集中的に狙うのか。ずるいじゃないか。
妊婦を襲うなんて、なんて残忍なんだ。酷い。
一旦民家を襲い、逃げたと見せかけて他の家を裏をかいて襲う。悪賢い。
読んでいながら、自分の頭の中ではそんなセリフがリフレインしていました。
もうやめてくれ、と。
一方で、本書の冒頭で印象的なフレーズがあります。
事件自体が「人間による自然破壊が招いたものだ、だから、犠牲は然るべきだ」などというつもりは毛頭ありません。多くの人間を殺した羆に対しては憤りに似た感情を抱きましたし、襲われた人々のことを思うと胸がつまる。
ただ、視点をずらして羆のことを考えてみる。
羆が人間と同じように考える能力がどれだけあるのか、学術的なことはよくわかりませんが、自然豊かな環境で平穏に暮らしていたところに突如多くの人間が入り込んできた。食住の源である森をどんどん壊していき、生活範囲も侵食してくる。
毎年お腹いっぱい食べてたのに、人間たちのせいで、飢えてしまった。
仮にそう考えていたとすると、その制裁として人間を襲う(襲わざるを得なかった)ことも、空腹の解消という観点からだけいうと、理解できます。
にしても、この羆、体長2.7m、体重350kgもあったのだとか。
そんな巨大な動物が、殺意を持ちながら自分に向かってくる。
その恐怖たるや、想像するだけも・・・とういところです。
武器を持たない人間の無力さを改めて感じたところです。
本筋からはだいぶずれますが、少ない情報の中からいろんな人の証言を得、このように(凄惨ながら)きちんと記録としてまとめ上げた方々には頭が下がる思いです。北海道の田舎で起きた事件、かつ人間の証言だけを頼りに熊サイドの行動もある程度推測しながら一連のストーリーとする必要がある。また、熊自体の習性も把握する必要がある。
自分、現在博士論文執筆中。1冊の本をまとめ上げる大変さを身をもって体験しているところでより強くそんなことを感じましたw
慟哭の谷という、同じ事件を扱った本もあります。