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母親が嫌い

 突然ですが、自分はなぜ母親が嫌いか整理してみたいと思います。

価値観が違う

 母が嫌いになったのは、小学生以降だと思う。とにかく保守的な母親で、クラスで目立つことを嫌う。学級委員になるなんてとんでもない話である。目立たないように大人しくして、先生のいうことをひたすら聞く子が”賢い子”と言い続けていた。
 当時は子供だったので、ダイバシティ―どころか、根本的に思考の違う人間がいるということを理解できるはずもなく、活発で積極的な性格の自分は母に反感を覚えていった。

比較される

 母はとにかくおとなしい子が好きだったので、近所の子や兄弟、だれかれ構わず私の前で褒めていた。“こんな子になってくれ”と言っているのである。少しは勉強ができる私より、自分の好みの性格の子供の方が、人間として偉いというメッセージを送っていた。幼い小学生には自分の子より、よその子が良いと言われていい気分であるはずがない。

逆効果

 昭和の時代の親だから、今のように長所を伸ばすなんて発想はなく、長所は放置。欠点を言って、それを直すように要求する。そうすればいつか自分の思う良い人間になると思っていたのだろう。子供は欠点ばかり並べらたって、悲しい気持ちになる一方だ。大人だってそうだろう。さらに、その欠点を克服しようなんて単純に思えない。それが母の教育だった。

母の思考

 結局は母どんな思考で、そんな風に私に接していたのか?当時の母親の年齢をとっくに過ぎてから思いついた。子供の時には理解できなかったこと…
 母は頑固である。自分の持っている価値観以外受け付けない。保守的だったから、狭い世界で生き続けた。リスクは負わない。挑戦はしない。視野は広くない。
 さらに見かけによらずプライドが高い。自分の考え方に自信を持っている。考えを否定されることを激しく嫌う。子供は何歳になっても正しい自分にかなわないと思っているようである。

結局

 と、いう幼少期を経て、自分は母親の望む性格にはならなかった。子供として精一杯悩んで、抵抗して大きくなった。それで良かった。母が悪いとは思わない。そういう母親の影響もあって今の自分がある。 

 ※写真は、マックロスハウスです。広大な庭園と湖が美しいです。





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