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ウチウ岬の噂話 その1

時折思い出すのだ、あの港の景色を。もうどうやって行くのかも思い出せないが。

僕は音も立てずにすっと飛び降りた。翼を閉じて出来るだけ体を細く小さくする。もっと早く、もっと!!
青く煌めく海面が眼前と迫ってくる。不思議と恐怖は無い。もしぶつかったらどうしよう。ふとそんな考えが頭をよぎったが、僕は海面にぶつかる直前、翼を広げ風を掴む。風に乗った僕は、ぐんぐんと相手との距離を詰めていく。手が届きそうな距離まで近づいた。よし。一気に相手に降り立ち掴もうとするが、相手も一筋縄でいかない。するりと交わされ旋回された。反射で翼を翻す。大丈夫、まだ真後ろについている。
2度目のチャレンジ。ふっと上昇気流から抜けたタイミングで相手に向かって落ちていき、爪を立てる。今度はしっかり相手の肉を捉えた感覚があった。

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僕は夕暮れにしずむ港を眺めながら、今朝獲れたばかりだというイカの刺身を堪能していた。もうすぐ鳥の渡りの季節。この港から1時間ほど車を走らせたところに、ハヤブサの狩りが見られる岬がある。南へ渡ろうとするヒヨドリと、そこを狙いに来るハヤブサとの攻防が見られるとあって、全国各地から野鳥ファンが見にやってくる。このさびれた港町にとっては、ちょっとした稼ぎ時である。
「明日、ウチウ岬に鳥を見に行かないか?」
気がつくと、後ろにナツが立っていた。ナツは大学で知り合った鳥仲間で、音楽の趣味も合うことから頻繁に行動を共にしていた。特に断る理由もなかったので、僕は明日のその予定を承諾した。
「それより、お前、知ってるか? ウチウ岬の噂」
「噂って、自殺した女の子の霊が出るっていう、アレ?」
最近、この辺では変な噂が流れていた。朝方にウチウ岬に行くと、展望台から見下ろした切り立った岩壁の麓に若い女性の姿が見える、というものだ。数年前にウチウ岬で自殺した女性の霊だとか、出逢ってしまうとそのまま海に恋してその人も死んでしまうとか、いろいろな話があった。
「そうそう。ちょっと気味悪いけどさ、気になるじゃん」
普段はそういう噂など気にもしないナツだったが、なぜかこの時は噂にこだわった。
「まあ、気にはなるな」
僕も興味本位でそう答え、明日の早朝、ふたりでウチウ岬に行くことになった。

北海道のこの時期の早朝ともなると、もはや寒い。確実に雪の季節が近づいてきている。しかも、今日に限って霧がうっすら立ち込めていた。
「鳥の渡りも見れないかもしれないな」
ナツはそう言いながら、岬まで車を走らせる。僕は助手席に座って外を海の方を眺めていた。すると、遠くの磯場に何か人影が見えたような気がした。
「この時期ってウニって獲れたっけ?」
僕はナツに確認する。
「いや、つい先月漁が終わったばかりだろ」
そう、この時期に海に人が見えるなんて、普通はあり得なかった。じゃあ、さっきの人影は一体……。僕は妙な気味悪さを覚えながら、少しだけラジオの音量を上げた。ラジオではビートルズの名曲『イエスタデイ』が流れていた。

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