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noteという方向性

ブログを書いてた時もあったけど、大抵明確な方向性もなくやり始めるのが自分の流れだったり。

優勢を保ってるのは、「なんか浮かんできた」という感覚からの書き物。そこに、ある意味雰囲気を付加した写真を載せる。

人間ですから、無論様々な欲求がありますし、ないよりはあったほうがいいという指向性から、沢山の人に読んでもらいたい、見てもらいたいという気持ちもあります。

色んなプラットホームが存在して、無数とも言える各々の表現が、世界に配信されている。

はっきりいって、noteというプラットホームが適切かどうかは分からない。倉庫に置きっぱなしの商品のようになっているかもしれない。読まれないと無駄なのか?どうなのか?

当たり前のように認識されている事柄。効率化、合理化。大事な事です。でもそれが全てかな?と。人間の脳は左脳と右脳から出来ている。右脳が響くからこそ、生きてる実感を理解できる。左脳系だけの世界で物事を進めると必ず何かが歪んでくる。当たり前の話だ。

脱線しました。
読書は無駄か。それと同じく書くことも無駄なのか。
その流れを踏まえて、noteというツールを使い続けてみよう、という、左脳右脳を大事にしていきたい、最近の自分の方向性を振り返ってみた。

自分という自分で在り続けるために

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