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話したくなる5つのお店

足繁く通ったお店も、旅先でたった1度だけ訪れたお店も。忘れられない店さらに言うと「人に話したくなる店」というものを、誰しもが持っているのではないだろうか。
思い出は美化されていくもので、中年のおじさんにとって「忘れられない思い出の店」の中に新しいお店が割って入ることは難しい。
今からご紹介するお店は、そんなインスタ映えを知らなかった僕らが過ごした時代の話。
今おススメのベスト5ではなく、14年近く飲食店を経営してきたマスターが語る思い出話に過ぎない。


静岡駅のベトナム料理屋さん

15年前の7月の夜。そのお店はとても混んでいて、新婚旅行で立ち寄っただけの一見さんの僕らでも「この店は人気なんだな」という事がすぐに分かった。
混雑していたせいか料理が出てくるのが遅かったのだが、しかし旨かった。
僕も妻もそのお店の接客をしていた女性が忘れられない。店主と思しきその人は、ひとつひとつのテーブルに物腰柔らかに話しかけ丁寧に対応していた。てきぱきと手を動かしながら、会話の流れは緩やかで、料理を待っていることを感じさせない。店内にいる全ての客が「自分だけは特別丁寧で優しく接客されている」と勘違いできる身のこなしだった。
帰りは店の前の通りから見えなくなるまで見送ってくれた、満席なのに、だ。
普通、丁寧な接客をされると気持ちがいい反面、「そんな事より急いでよ」という気持ちが芽生えてくる。混雑しているならなおさらだ。(関西人はせっかちなのでその傾向が特に強い。)しかしその店主と思しき女性から醸し出される「あなたは私にとってとても大切なお客様ですよ」という空気があまりにも心地よくて、それが店全体の雑多とした雰囲気を凌駕していた。

嘘のある接客はすぐにお客様に見破られる。あの静岡の夜に体験した幸福を自分の店で再現するには、真似ではなく、自分自身の心の持ちようを見つめていかなければいけない。どうやらそのお店は今はもう無いようだが、彼女の内側から伝わるホスピタリティは今もなお色褪せない。

大阪のコーヒー店

店の名前は「Bahnhof」、大阪市福島区にあるコーヒーに特化したカフェだ。前置きをすると、僕が通った20年近く以前の記憶しか無いので、現在のバーンホーフさんとの相違があるかもしれないのはご了承下さい。(久々に訪れてみたいな。)
ここのコーヒーが美味しい。当時は入口すぐの所に焙煎機があって、ハンドピックする様子も度々見られた。ドリップで淹れるコーヒーは、すっきりしているのに味わい深く、豆によって甘みや酸味や苦味を素直に感じ取ることが出来た。缶コーヒーの美味しさ以上を求めた事が無かった僕の、新しい扉が開いたのだ。
コーヒーの香りに満ちた店内には時折、甘い匂いが立ち込めてシンプルなシフォンケーキが焼きあがる。サイフォンコーヒーとシフォンケーキの組み合わせは最強だった。僕は自分がお店をする時は絶対にシフォンケーキは出そうと決めた。

コーヒーが美味しいお店は数多あるけれど、このお店はそれを店構えからスタッフの所作、店内に満ちた香りに至るまで、すべてで表現していた。「薫り高いコーヒー」などというのぼりを立てなくても、それが伝わる店だった。カッコよくて美味しくて、僕はぼんやりと、自分のお店の輪郭を意識するに至ったのだ。

尊敬するシェフ西岡さんのお店

奈良市の薬師堂町に「Ristorante Lincontro」というジビエの美味しいお店がある。そこのシェフが西岡正人シェフ。僕が出会った時、彼はまだ中町の「Trattoria La Crocetta」のシェフだった。
彼の作る料理が美味しい。1品1品丁寧な仕込みが怠りなく、皿の上で完成するイタリアンでありながら計算されたフレンチのような細やかさと美しさがある。肉の豪快さと野菜の繊細さ、すべてにこだわりが施されていて、彼のお店で油断や妥協が提供されることは無い。

調理はもちろんの事、ジビエに関する智見も深く、料理人のこだわりとはここまでしてこそなのだと突き付けられる。自分もここまでこだわりを持って、妥協のないものをお出ししたいと感化される。
年齢も近く子どもの年もほぼ同じである彼のストイックに仕事に向き合う姿勢は、励みになるし刺激になるし、僕の心を奮い立たせてくれる。自らを「変態料理人。趣味は猟師。」と語る彼のお店は、僕を発奮させてくれる名店だ。

奈良と言えばのくるみの木

奈良にうまいもんなしだの、都道府県別の人口に対する飲食店数ランキング最下位だの、奈良県には食に関する不名誉な評判が目に付く。そんな中にあって奈良のお店として常に先頭を走る「くるみの木 一条店」は特別な存在だ。
伝統的なジャンルではない「カフェ」という業種で創業40年近いというのも驚きだが、今でもその立ち位置は「老舗」ではないところにこの店の凄さがある。40年前の20歳女性も令和の20歳女性も、同じ印象「オシャレで可愛くて美味しい」というカフェに求めるスタンスを抱いて訪れている。色褪せない人気店。お店で過ごす時間や、お店を出てからのライフスタイルにまでお客様に喜びを提供できるのは「カフェ」というジャンルならでは。多岐に渡るサービスを提供するのは容易なことではないのだが、それを魅力的に発信している稀有な存在。

長くお店の魅力を維持しようと思うと、現状維持では叶わない。少しずつ進化、改良を続けていって初めて「変わらない魅力」と世間は認知してくれる。その良いお手本が「くるみの木 一条店」だと思う

今は無き堀江のD

「堀江のD(ディー)」。大阪のカフェ好きならばすぐに、今は無きD&DEPERTMENT OSAKAのことだとわかる。白い箱のような3階建ての建物で、1階は雑貨、2階は家具、3階はカフェダイニング。デザイナー・ナガオカケンメイ氏が手掛ける有名店だ。
29歳の営業マンだった僕は、当時まだお付き合いすらしていなかった現在の妻と、初めてそこを訪れた。店内に足を踏み入れてから、メニューを選ぶ、店員さんがそれをサーブしてくれる、食べる(或いは飲む)、時間を過ごし、お会計して店を出る。その間ずっとかっこいい。妥協無くデザインされていて、モノトーンを愛する。しかも料理も美味しい。D&DEPERTMENTは全国に店舗を構えるが、僕が知る限りOSAKA店がダントツでかっこいい。

46歳になったカフェオーナーの僕は未だに、迷ったら「堀江のD」を思い出す。今は無きDならばどうするだろう。時代の流行に惑わされない基準として、これからも僕の中のDは生き続ける。  


自分がお店を開いてから時間的にお店巡りが出来なくなってしまって、新しいお店を開拓する機会がめっきり減ってしまった。
また自分が飲食店オーナーになってしまったことによって、今まで気づかなかった点にも気が付くようになってしまった。あの頃のように100%お客様サイドでサービスを享受することが叶わなくなった。グルメ漫画やドラマに登場するような理想のお店がどうして現実に存在しないのかも分かるようになった。少し寂しくはあるけれど、どうという事は無い。

今回書いたのはぜひ訪れてほしいお勧め店、ではない。あくまでも僕が飲食店オーナーとして礎になったような、淡い思い出話のような、独りよがりな「聞いてほしい5つのお店」。
あなたにもきっと、そんな特別なお店があるはず。

そして今14年間カフェを営む中で、自分たちのお店が誰かにとって特別な思い出深いお店となっている自覚もある。両親に連れられて来ていた幼い子が、初デートで来てくれる。独身だった男の子が結婚して家族連れで来てくれる。夫婦で来ていた方が連れ合いがを亡くしてなお一人で来てくれる。僕らにはその思いを汚さないように努める責任があると思っている。

最終的には自分のお店「CAFÉ FUNCHANA」が、僕にとって一番好きな名店であるのは言うまでもない。
これを驕りではなく、謙虚な姿勢で維持できるように努力していきたいし、そのために折に触れ思い出の店を振り返りたいのだ。

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