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アンフィニッシュト 41-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「よせ!」と言って中田が吉本を引きはがそうとするが、吉本は放さない。
「今は、ユーチョルさんたちに任せるしかないじゃないか!」
 田丸がうめくように言う。
 ――その通りだ。俺たちは北朝鮮政府に生殺与奪権を握られている。騒いだところで、何も変わらない。だが、吉本の焦りも十分に分かる。
「俺は一刻も早く日本に帰り、政治活動に身を投じたいんだ!」
「それは皆も同じだ」
 田丸が困ったように言う。
「だが、このままでは何も変わらない。われわれが何かせねば、何一つ変わらないんだ!」
「何をするというんだ。われわれは――」
 田丸が口ごもると、大西が代わりに言った。
「もはや俺たちは、自分たちの手で事態を打開できない立場にある。北朝鮮政府の判断に従うしかないじゃないか」
「俺は嫌だ! 自分の人生は自分で切り開く!」
 吉本は熊本県出身で高校まで水泳部に、京都大学に入ってからは山岳部に所属し、学生運動には、さほどかかわってこなかった。たまたま東大安田講堂の占拠に参加しないかと友人に誘われ、この世界に身を投じたのだ。
その時も当初は参加するつもりなどなかったが、友人の「これは歴史の転換点なんだ。天下分け目の関ヶ原なんだ」という一言に動かされ、つい「歴史の一場面に立ち会ってみたい」という無邪気な動機から参加したという。
 それで学生運動に目覚めた吉本は、「ハイジャックなんて凄いじゃないか」と思って参加を希望したものの、活動履歴が浅いことから、メンバーから外されると思っていた。ところが、どうしたわけか選ばれたという。
 ――ここにいるのは、学生運動の精鋭というわけではないのだ。
 田丸や大西は別として、確かにほかのメンバーに華々しい活動経歴を持つ者はいない。
田丸によると、赤城たち赤軍派の幹部連中にも、共に北朝鮮に渡ろうと誘ったが、皆、何のかのと理由を付けて断ったという。
ここに来てそれを聞いた時、琢磨は少なからず落胆した。赤城こそは理想的な学生運動の指導者だと思っていたからだ。
「こんなところに、いつまでいなければならないんだ!」
 激高する吉本をなだめるように田丸が言う。
「その焦りは分かる。だが朝鮮半島の統一なくして日本での革命などあり得ないだろう」
 ユーチョルはもとより、社会科学院の指導員たちは口をそろえて、「まずは朝鮮半島の統一から」と唱えていた。
「朝鮮半島の統一が、どうして日本の革命につながるんだ。それについて何度も質問したが、奴らは『研究しなさい』と言うだけで、まともな答えを持っていないじゃないか!」
「よさないか。あの人たちには、あの人たちの立場がある」
 田丸は、北朝鮮側からもリーダーとして頼りにされるようになっていた。それによって田丸は妙な責任感を持つようになり、北朝鮮側を弁護したり、彼らの考えを代弁したりするようになっていた。
「それは違う!」
 吉本がテーブルを叩く。
「日本に革命を起こしてこそ、朝鮮半島は統一できるのではないか。それなくしてアメリカは日本を前線基地として好き放題に使い、南朝鮮を軍事的に支え続けるんだぞ。そうなれば朝鮮半島の統一など絶対に不可能だ」
 北朝鮮では韓国とは呼ばず、南朝鮮と呼んでいた。
「いいかげんにしろ!」
 田丸が怒って横を向く。吉本の言うことにも一理あるからだ。
 吉本が胸を張って続けようとした時である。
「吉本さん」
 突然、聞きなれない声がした。
 皆の視線がそちらに向く。
 ――まさか、柴本か。
 これまでほとんど発言したことのない柴本が、冷めた目で吉本を見ていた。
「お前は黙って――」
 田丸の言葉にかぶせるように柴本が言う。
「もう、われわれは囚(とら)われの身なのです。ここでジタバタしても仕方ないじゃないですか。それよりも主体思想をいち早くマスターし、首領様の革命戦士として自己鍛錬していくべきではないでしょうか」
 琢磨は驚いた。それは皆も同じらしく、啞然(あぜん)として柴本を見ている。
「吉本さんの言うことは間違っています。それを総括できない限り、仲間とは認められません」
「何だと! 貴様は何様のつもりだ。たかが高校生じゃないか」
「ここでは高校生も大学生もありません。主体思想を真に理解した者が正しいのです」
「それは間違っている!」
 吉本が皆を見回す。
「革命とは、国民の主体的な要求によって成されるべきだ。北朝鮮の主体思想は、北朝鮮のものであり、日本人民の要求ではない」
「それは違うな」
 柴本が鼻で笑う。
「主体思想は、共産主義革命を成し遂げるための唯一無二の思想体系です。それ以外の思想で、世界革命などできません」
「聞け」と言って吉本が柴本をにらみつける。
「北朝鮮と日本は、その置かれている歴史と伝統、国際環境、国民の気質、国民の生活水準からして違う。それを同一思想で無理にくくろうとしても、人民は付いてきてくれない」
「そんなことはない。首領様の主体思想をそのまま適用しなければ、世界同時革命は実現できず、いつまでも日本人民は米国の奴隷のままだ」
 柴本は堂々と吉本と渡り合っていた。
「お前は何様だ!」
「あんたこそ何だ。ここまで一年半も何を勉強してきたのだ!」
「何だと」
 遂に二人は摑(つか)み合いを始めた。
 それを「よせ!」と言いながら皆が止める。だが田丸は、黙って横を向いたまま何も言わない。
 ――田丸自身が吉本の言う通りだと思っているのだ。
 琢磨には、その理由が痛いほど分かる。
 ――だが、こちらでの生活や教育に不満を漏らしていた柴本が、なぜ吉本を責めるのだ。
 その時、琢磨は気づいた。
――この半年の間に、洗脳されたのか。
背筋がぞっとした。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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