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アンフィニッシュト 44-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

 寺島が島田の問いに答える。
「先に警察に飛び込んでから、警察官と一緒にコインロッカーにノートを取りに行くという手順でしょう。きっとあのノートに書かれた暗号は、何かの証拠か、赤城にとって都合の悪いことを指し示しているはずです。おそらく乱数表を肌身離さず持っていて、たとえ不慮の死を遂げても、それによって誰かが謎を解いてくれることを、中野は期待していたのではないでしょうか」
 野崎が言う。
「だが、あれだけ人の多い場所で中野を拉致や殺害するのは、極めて難しいはずだ」
「中野は、自分が狙われていることを知っていたはずです。だから簡宿のような人目に付きやすい場所に泊まっていたのかもしれません」
「待って下さい」と捜査一課の刑事が手を挙げる。
「仮説の上に仮説を積み上げても意味がありません。まずは中野健作の素性を探り、写真を入手し、あそこに泊まっていたのが彼だという証拠を探しましょう」
 県警のキャリア組らしい慎重な意見である。
「その前に、焼け死んだのが中野なのか石山なのかということも確かめねば」
「分かりました。そうしましょう」
 すぐに役割分担も決まり、皆は動き出した。
捜査本部に漂っていた沈滞ムードが一掃され、活気が戻ってきた。

 まず石山の件から洗い出しが始まったが、それは容易に片付いた。
石山が通院していた病院に、石山の血液サンプルが保管されており、最後に残された名無しの遺骸のDNAが99%以上の確率で一致したからだ。しかもその遺骸からは、相当量のアルコールが検出されていた。つまり、酔いつぶれて動けなかった可能性が高かったことになる。
 これで、あの簡宿で亡くなった全員の名が確定できた。念のため、ほかの部屋に泊まっていた客と石山の接点を洗ったが、何も出てこなかった。
 だが赤の他人でも、たまたま行き会って意気投合し、ということも考えられる。しかし焼け死んだ者の中には、石山と話が合いそうな者はおらず、部屋に招き入れて酒を飲むような間柄になるとは考えにくい。
 念のため、男色の趣味があったかどうかについても調べたが、石山が女好きだったのは、多数の証言から確実であり、その手の嗜好はないように思われた。そもそも簡宿に住むような者は高齢で金もなく、仮に石山が同性愛者だったとしても、関係を持つとは思えない。
 捜査本部は一つずつ丹念に可能性をつぶしていった。その結果、石山は知人の誰かと出会い、簡宿に行ったと考えるのが妥当という結論に達した。
 ――つまり石山は、誰かと飲んでいたが酔いつぶれてしまい、その相手は、石山を置いて逃げ出したというわけか。火の回りが早かったので、無理からぬことだが――。
 その誰かは中野健作なのか。
 続いて寺島は中野の写真を探したが、どうしても見つからない。懇意にしている新聞記者にも社内の資料室をあたってもらったが、そこにもないという。その新聞記者が、かつての担当記者に問い合わせたところ、中野健作だけは顔写真が一枚も見つけられなかったというのだ。事件発生当時、雄志院大学にも問い合わせたらしいが、生徒手帳のために撮られていたはずの写真は、遂に見つからなかったという。中野はハイジャックの中心人物でもないため、その時はそのままとなったが、担当記者は不可解な思いを抱いたという。
 当時はカメラを持っている人も少なく、スナップ写真さえないという人も多くいた。だが都会の大学に通うような者の写真が、一枚も出てこないというのは不思議である。
 ――であるならば、当時の関係者に当たるしかない。
 寺島は赤城に会うことにした。

昭和四十七年(1972)になった。
 正月の行事が終わって早々、皆を集会所に集めたユーチョルが、あらたまった調子で言った。
「この二年弱、皆さんは思想教育を十分に受けてきました。それにより朝鮮労働党は、皆さんを革命戦士と認めました。偉大なる首領様にその報告をしたところ、首領様はたいへんお喜びになり、皆さんの望む軍事訓練をお許しになられました」
 どよめきが起こり、皆の顔に笑みが浮かぶ。
 ――洗脳が終わった、ということか。
 互いの肩を叩き、握手を交わしながらも、琢磨の一部は冷めていた。
「今後、皆さんに行う教育は、軍事訓練を主体としたカリキュラムに変更されます」
「どのような内容ですか」
 田丸が問う。
「銃の扱いから実戦的な戦闘法、さらに暗号作成と解読技術、モールス信号、乱数表、電波技術、盗聴、尾行術、そして語学といったところです。中でも最も大切なのは『領導芸術』というものです」
「その『領導芸術』とは何ですか」
「相手の心を読み、相手を思うままに扱う技術です」
「そんなことができるのですか」
「できます。これこそ首領様が編み出した奥義中の奥義です」
 どうやら軍事訓練といっても、スパイ活動を主としたものらしい。
 ――俺たちをスパイに仕立て上げるつもりなのだな。
 だが、さど号ハイジャック・メンバーといえば、日本ではすでに顔が知られているはずで、日本でのスパイ活動などできるものではない。
 ――では、別の場所でやらされるわけか。
 警戒厳重な米国では難しいが、東欧や南米なら、そうした活動も不可能ではないだろう。
「ユーチョル同志」と田丸が手を挙げて問う。
「それらを学べば、われわれを日本に帰してくれるのですか」
 ユーチョルは一瞬、驚いたような顔をすると、逆に問うた。
「帰ってどうするのです」
「もちろん日本国内で革命を行います」
 それを聞いたユーチョルは、失望したように首を左右に振った。
「まだ、それは早いです。革命を成功させるには準備が必要です」
「しかしわれわれは――」
「あなたたちには、首領様のご恩に報いる気持ちはないのですか」
 ――やはり来たか。
 北朝鮮政府が日本人の学生をこれほど厚遇する裏には、何かあるとにらんでいたが、やはり自主的な活動を許さず、北朝鮮の意のままに操るつもりなのだ。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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