#自己紹介<僕のサッカーヒストリー>vol.7〜山梨学院高校編④(最終学年を向かえた夏の悲劇)〜
こんばんわ!
今日は自己紹介の続きをしていきたいと思います!
前回では高校2年生でのトップチームでの苦悩を書いていきましたので、今回はその続きの最終学年を向かえた僕の経験を綴っていきたいと思います。
前回までの記事はマガジンに全てまとめてあるので、そちらもぜひご覧下さい!
では、早速書いていきます。
僕自身、選手権に負けて新チームになる時に、必ず選手権に出て先輩方の成績を超えると思っていました。
そして、先輩方が負けた「前橋育英」には負けられないと思っていました。
前橋育英はプリンスリーグに所属していて、同じリーグだったので、必ず2回は当たることになります。
その瞬間はすぐ訪れることになりました。
プリンスリーグの第2節、ホーム開幕戦で前橋育英と対戦しました。
僕はスタートから出して頂き、積極的に仕掛けていきますが、中々点が取れませんでした。
そんな中、あっさり前橋育英に先制点を許してしまいました。
僕たちは第1節に桐光学園に後半ロスタイムに小川航基(現ジュビロ磐田)に決められ、負けていたので、ホームのこの前橋育英戦には、先輩方の借りを返すだけでなく、連敗は許されないといった状況でした。
0-1で前半を折り返し、後半。
後半始まってすぐ、僕にロングボールが来て、トラップと同時に相手を交わし、そのまま思い切り右足を振り抜きました。
そのままゴールへと飛んでいき、決まりました。
先輩方の思いや、負けられない思いを全て込めたシュートで、今でも忘れられません。
高校2年の頃、プリンスリーグにかなり多く出場させてもらいましたが、点を決められませんでした。
自分達の代での初ゴールを決めれてかなり嬉しかったです。
そこからチームはPKのチャンスを2度もらい、どちらも決め、3-1で逆転勝利できました。
とにかくチーム一丸となって勝てたこの初勝利は嬉しかったです。
ですが、チームはそこから3連敗をしてしまいました。
第3節vs三菱養和 1-3
第4節vs東京ヴェルディユース 3-4
第5節vs昌平高校 2-3
と中々苦しい試合が続きました。
あと一歩のところで勝てない試合が多くあり、それが僕らの弱さでもありました。
続く第6節。
当時負けなしで首位を独走していた浦和レッズユースでした。
3連敗の中、挑んだこの試合。
僕自身は特別な思いもありました。
1年前の全く同じ場所(埼玉スタジアム第2グラウンド)で大宮ユース相手に悔しい思いをしていたので、その思いを晴らしたかったのです。
また、浦和レッズユースは進学にも考えたことがあり、スタッフも選手もほとんどが知り合いでした。
さらに、浦和レッズユースに行けなかったことから絶対に負けられないという思いが強かったです。
そして、僕たちはこの試合、先制点を決められながらも、前田大然(現CS マリティモ=ポルトガル1部)や阿部優澄などの得点で2-1で勝つ事が出来ました。
ようやく長いトンネルから抜けたようで、嬉しかったです。
また、試合前日には、先輩方のプレーなどを見て、勉強してこの試合に臨みました。
ゲキサカにも取り上げて頂きました。
ようやく連敗から脱出した僕らは、夏のインターハイ予選に臨むことになります。
山梨県は高校数が圧倒的に少ないので、いきなり県大会から始まるのですが、その中でも山梨学院は少しシードをもらっていました。
そして、準決勝は韮崎高校。
僕はインターハイ前に、怪我をしてしまい、途中から出場しましたが、出場した時の状況は1-1の同点でした。
そこからPKをもらい、決めて、なんとか2-1で勝利する事が出来ました。
(相手キーパーはその後仲良くなり、今でも仲良しな仲山勇気くんです。笑)
(あの時止められてたら、かなり厳しかったよ、、)
そんな、韮崎の思いも背負い、僕たちは決勝戦へと臨みました。
相手は帝京第三高校。
僕たちの代は、かなり評判も良く、チームの完成度的にもかなり良いと言われていました。
(山梨学院のBチームが総体予選で0-4で負けていたこともありました)
その試合、僕たちはとんでもない結果になる事を試合前は予想だにしていませんでした。
結果は0-5。
まさに悲劇でした。
今までJクラブのユースにでさえ、そんなに大敗をした事がありませんでした。
僕は決勝も途中までベンチでその光景を見ていました。
忘れられません。
途中から出ても何もできませんでした。
この夏、僕たちはインターハイに出ることすら出来ませんでした。
正直試合が終わったあと、涙も出てきませんでした。
現実かどうかもわからず、その後もよく状況を飲み込めませんでした。
ですが、紛れもない現実で、帝京第三はインターハイに出場していました。
僕たちは、その期間長野県に行き、合宿を行い、とにかく走り続けました。
それもそれで、良い思い出ではありましたが、やはりインターハイに出たかったなと思います。
そんな高校3年性の夏の悲劇でした。
今回はここまでとします。
次は夏から選手権までにかけてを紹介していきます。
ぜひ次の自己紹介記事も読んで下さい!!
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Jun Ioroi
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