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僕が海外に行く理由

船は港に泊まっていれば安全である。しかし、それでは船の用を成さない

ウィリアム・シェッド

最近、就職試験の一次試験が終わり、次の試験の準備に向けてあたふたしているJeyです。

たいへん有難い事に昨季、今季と海外へ渡航することが増え、自分でも想像していなかったことが相次いでおります。感謝ですね。

天は全てをご存知なのか、その時その時に必要な人たちや環境を用意してくれて多くのことを教えてくれます。

思い返せば大学一年生の時、コロナの影響を受けながらも、田舎から上京して自分の夢に見ていた東京生活を実現しようと不器用ながらに動いていました.

3年前の自分は本当に何にもなかった。(今と比べて)
お金も、人脈も、魅力も何もかもありませんでした。
本当にダサかったし、メンタルも弱々しく、気がつけば理想よりも不満や不安を持ってた、そんな学生だったと思います。
ある月はポケットマネー2万5千円でやりくりした月もありました。
あの時は交通費さえ高いと感じて、安いママチャリで片道15キロを1時間半かけてサッカーをしに通ってました。練習は7:00開始なので必ず5:00ごろに家を出て、外は30度以上ある中遅れまいと必死に自転車を漕いで向かい、終わったらまた同じことをしてシャワーを浴びて急いで大学に向かっていました。(笑)

そんな生活を送っていればハングリー精神が鍛えられるのは自然なことで
求める力、理想を愚直に表現する力、ここだけをとってみるとそこら辺の21歳の人達に比べて少し厚みがあるのではないかと思います。
(人それぞれに強みがあっての上での話です)

前置きが長くなってしまいましたが、これらの力は今でも自分の行動力の基盤になっていることは確かです。
今回は自分がなぜ海外に行っているのか。そこについてお話しさせていただければと思います。
少しわがままかもしれませんが、僕自身にご理解がある前提で読んでいただけると嬉しいです。
今回も最後までお付き合いよろしくお願いします。

それではどうぞ。


・海外に行く理由

嬉しい事に最近、大学やインスタのDMなどで海外に関する事を聞かれたりすることが増えてきました。

今はどこのにいるの?と、メッセージをもらうようになり
不器用ながらにも積極的に行動してきた甲斐があったなぁと感じます。

その一方でこう言われることが増えてきたような気がします。
「何のためにやっているの?」
今回は、そのような関心を寄せてくださる方々に向けて自分の経緯を振り返ろうかなと思います。

①師範との出会い


きっかけは僕が5歳の時でした。
当時の僕は極真空手を習っており、格闘技一本のスポ根少年でした。
よく、道場の師範先生が僕たちに対してこう言ってくれていました。

夢を持って挑戦すること。そうすれば世界だって見えてくる。

師範の言葉

師範は世界大会に3度出場しており、毎月のように全国各地・世界各国へ今も赴き、世界大会の審判委員や各国の選手の指導などを務められています。

そんな師範が帰国して毎度の如く師範から海外に関する話を聞かせてもらう時間が僕にとって非常に楽しみでした。

僕が育った地元は人口3万人を切るような小さい町でした。
セブンもローソンもファミマもなく、都会の札幌市までは車で6時間もかかる田舎町でした。
そんな街から都会に、そして世界にいつか行きたいと常に希望を抱いていたのを覚えています。

飛行機に乗って、東京や大阪、そして世界へと、どこまで自分が行けるのか。
どこまで師範のように自分の力が世界に通用するのか。

そのことばかり考えていました。当時は無知過ぎたので余裕で叶うと思っていました。
小さい町で、何もない場所で育ったからこそ、広い世界に対する関心は人より強かったのかもしれません。

今思うとこれも全て今の原動力になっているしこんな田舎町で師範が来てくれたのも大きな御心だったと思う。
筆舌し難いほどの奇跡。当たり前じゃないと何度も感じさせられます。


②沢山のアンチ、ヘイターのお陰

とは言っても、周りに賛同してくれる人達は決して多くありませんでした。
小学校の時は将来の夢は世界一周をすることです!と言えば周りの同級生たちに「無理だよ〜出来る訳ないよ〜」とよく揶揄われていました。

僕の今までの21年間の人生を振り返り、どんな人生だったかと聞かれたことが最近ありました。僕は即答でこう答えました。

「僕の人生は多くの人に証明する様な人生でした」

僕の周りには常に批判しかしない人達がいました。
むしろ応援より批判される方が多かったのかな?とさえ感じます。

中学校の時にサッカー部で北海道優勝して全国行くと言った時も
「こんな田舎町だったら無理だよ、はよ負けて引退しろ」
と他部活の同級生や先生から言われ、

高校の時も当時、実質偏差値が37くらいしかない地元の私立の高校から東京の大学を目指すと言えば

「おめでたいこと言うね。いいなぁ呑気でw」と他校の人から笑われ、
もう一度サッカーで全国をこの高校から目指すと言えば
「お前らなんて全国行けるわけないし応援する気なんてさらさら無い」と先輩から言われ

近い将来、海外各国を旅するために英語を勉強していたら
「こんな田舎町でそんな高校なのに何を必死こいてやってるの?海外行くとか出来ないからw」と大人から笑われたこともありました。

そんなことを言われても僕の目標はブレませんでした。
それだけ人生を賭けてでも叶えたかったからです。
これは僕の美学でもありますが他人から無理と言われたからといって
「はいそうですか。じゃあ辞めます」とは1ミリにもなりません。
「だから何?お前は出来ないかもだけど俺はやるから」
の精神です。

むしろ他人から無理だと言われたり、笑われたりする方が良いとさえ感じています
そっちの方が俄然やる気が出るから。(少し傷つくけど、、笑)

自分の可能性を信じるだけ信じてやってみること。そこに全力を尽くすことこそが
大事だと家族は良く教えてくれましたしその通りだと実体験を持ってそう思っています。
そのため海外に行くことは本当に人生のほんの一部でしかないと僕は考えています。自分という存在がどこまで大きく行けるのか。その興味の延長上でしかありません。
なので、趣味でしかなく、誰にでもできると思います。

約束する。お前たちが全国に言ったらお前たちの人生は大きく変わる。

中学校の恩師が代表決定戦の前夜ミーティングで言ってくれた言葉

歴史を変えた奴は勇気を持って前進してきた人達だけ

吉田麻也選手がW杯ドイツ戦の円陣で言った言葉

実際に笑われたこと、自分が言い放ったこと全て叶えることが出来ました。
(今のところ、、頑張らないとだ笑)
実績だけでみるとこれらの物は世の中にごまんと居るので有象無象であるということは重々承知しています。大した者ではないことも分かっています。

ただ、結果が出るにしろ出ないにしろ自分なりの美学と真理を併せて
貫き通して行ったこの過程に大きな意味があると僕は考えています。


実際、大きく変わることが出来ました(今もその過程の最中ですが、、)
馬鹿にしてきた人たちは皆して手のひらを返して接してきたり、さらに大きな世界に出会えたりと目の前がギラギラしてる日常を送ることが今でも出来ています。

わたしは戦いを立派に戦い抜き、走るべき行程を走り尽くし、信仰を守り通した。今や、義の冠が私を待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けてくださるだろう。

テモテへの第二の手紙4:7

それほど、覚悟を決めてやり抜き通すことに大きな意味があるのだということ。
今でも言われたり笑われたりすることはよくあります。
悔しいし、不甲斐なさを感じてしまう部分が多くあるけどそんな時こそ
自分を信じていくしかないと思っています。

その中で自分を律することが出来ている人たちは本当に心から尊敬しています。
僕もまだまだ甘々な人間ですが少しづつ大きくなっていければなと思います。

③地元にいる家族・仲間のため

これが最後になります。僕が地元を離れて東京の大学に通っている理由は
自分の夢を叶えるためでもありますが、何より地元で過ごした友達などへの恩返しをすると言った意味でもあります。

「どこから来たのか。そこはどんな街なのか。家や家族、友達はどんな人たちだったのか」
海外に行くと必ず聞かれる内容です。
自分がどこから来たのか。そこにはどんなエピソードがあるのか。
夢は何か。その先に叶えたいことは何か。
そこだけは忘れない様にしています。
(たかだか一端の学生が何を言うんだと思いますが、、、)

これは現在進行形で自分が感じていることではありますが、
誰しもが人と異なる、オリジナルな自分であり個性を発揮したいと願う自分と
人と違うことを恐れ、大衆の隠れ蓑になろうとする自分の2つがあると思います。

恐らく、いや、確実にこのブログを投稿しても他者から言われることがあると思います。多くの人の前に自分の考えを述べたら賛否両論があることは避けても通れません。それでも前述したようにまずはやってみること、そこが重要なのではないかと思います。
人の目ばかりを気にしては何も出来ないし、何よりそこまで他人は気にもしていないというのが大半です。(気にしている人がいるのならその人は相当自分のことが好きか単なる暇人かのどちらかです)

言うこと。群れること。辞めることほど簡単なことはありません。
実際、自分の周りで楽に走り逃げ、自分の目標を諦めて大学を辞めて地元に帰った人達が多く居るのも事実です。
そう言う人ほど偉そうにモノを言ったり他人を評価したがり人と張り合いたがることを実体験を持って感じています。そして過去の話や空想を話したがります。

一方で、他人からなんと言われようとも自分の理想を曲げずに目の前のことにハードワークする人達が多く居るのも事実です。どんな状況でも腐らずにトレーニングして現在はプロ注目選手になった友人もいれば、誰よりもお仕事に励み、高級車を納車した友達もいます。
決して成功したいとかそう言ったことではありません。
ただ、何かに対して情熱を抱ける人ほど魅力的な人はいないと言いたいし自分もそうでありたいなと考えています。
何歳になってもやりがいを持って心と想いと命を尽くすことができる。

そんな人でありたいです。アツいですね〜

学生としていられるのも残り1年を切り、しっかりしないとなと感じさせられてます。めちゃくちゃ楽しみつつラスト1年頑張っていきたいなと思います。
失敗を怖がらず、いろんなことにチャレンジできる自分であれるよう頑張ります!

自分の考えをまとめられたかはどうかわからないけどここまで読んでくださりありがとうございました!
ブログに関することで何かありましたらインスタ又はGMailにてご連絡いただけると幸いです。引き続きご愛読の程よろしくお願いします!



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