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「ジェンダー平等」の意味を考える

 私が物心ついた時に、男性と女性が平等であるべき、という考えを表す言葉は「男女平等」というものだった。恐らく現在30代より上の人はみんなそうなのではないだろうか。ところが、近年になって、この言葉は「ジェンダー平等」という言葉に置き換わってしまった。なんとも分かりにくい気がするが、誰がこの言葉を使い始めたのだろうか。そもそも「ジェンダー Gender」という単語自体がまだ人口に膾炙しているとも思えないので、まずはジェンダーという言葉の認識から広める段階だと感じる。ジェンダーとは「男性、女性に与えられた、文化的、社会的規範」のことであり、簡単に言うと「男らしさ、女らしさ」のことである。内閣府はこう説明している。

ジェンダー(gender)はもともと英語。一般的にジェンダーは生物学的な性差(セックス)に付加された社会的・文化的性差を指します。

上記サイトより

 ここで注目しておきたいのは、Sex(身体)とGenderはそのまま同じ意味ではないということ。つまり、ジェンダー平等という言葉を使う時、男女の身体的性差を完全に平等にするという意味は含まれない。ここを誤解する人が「ジェンダー平等ならば女性も工事現場や運送などの肉体的にきつい仕事もしろ」と見当違いの事を言う。実にしばしば見かけるので、そのたびに私は反論しているので、皆様も可能ならしてもらいたい。「そういう話なら男のあなたも子どもを産んでもらおうか」と。ジェンダーは人間社会が作り上げてきた男女の性別に対する価値観に過ぎないので、これからの私たちでいくらでも変えていけるし、変えていかねばならない。なぜか。女性の権利と尊厳と自由を著しく制限するものが多く、人権思想の根幹である全ての人は平等、という概念にそぐわないからだ。世界に生きる二人に一人の権利が保障されていない状態ははっきり言っておかしい、致命的におかしい。
 
 
国連が掲げるこれからの世界の目標にSDGsがある。これは2015年に国連サミットで採択された「持続可能な開発目標 Sustainable Development Goals」の略称で、先進国から発展途上国までが目標とすべき項目が17個掲げられている。その五番目にあるのが、「ジェンダー平等」なのだ。

  見てもらえれば分かる。女性の権利向上に関するものばかりだ。これはすなわち、ジェンダーという価値観においても、女性、女児の権利が保障されていないことを意味する。本質的に女性のためのテーゼなのだ。アンチフェミニズムの男性は、男性こそが差別を受けているとか何とか言っているが、世界はそんな事には全く同意していない。

 私たちは「ジェンダー平等」という言葉を見た時は、無条件で女性の権利と尊厳と自由を保障せねばならない、と考えていい。女性に押し付けられるジェンダー規範のうち、少しでも女性の抑圧につながるもの、例えば家父長的発想、ケア要員的な圧力、結婚、子育て、家事を担うべきという性質の物はすべて拒否、否定してよい。DVなどはそれが最も暴力的な姿で現れるもので論外である。最近共同親権を実現するための法改正が国会で提出された。

これが女性の、妻の権利や尊厳がしっかり守られている国ならばさほど問題ないかもしれない。しかし……現状の日本で、妻の財力や社会的地位が弱い状態では、結局イニシアチブは夫、男性が取ることになってしまう。今年に入って、おぞましい性犯罪に関する報道が増えてきていて、これは「女性の安全、生存権」を日本社会が重んじるようになってきたことの表れだと思うので、私は善い事だと思っているが、まだまだこの最低限の段階、女性が安心して暮らせるという当たり前の事を実現していく過程なのだな、と思うとため息が出てしまう。朝起きて電車に乗って会社に向かう途中で痴漢に遭っているようでは、とても女性たちが社会でその実力を発揮するのは難しいだろう。今年はそれでもセンター試験の日に警察と鉄道会社が一大キャンペーンを張って痴漢防止に取り組んでくれた。このような動きをどんどん加速させたい。

 最後にもう一度書く。ジェンダー平等という言葉は、女性の権利と尊厳と自由を守るための概念だ。それ以外の用法で使ういかなる言説も無視してよい。例え亀の歩みであっても、ジェンダー平等がいつの日か必ず実現することを祈ってこの稿を終える。

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