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今日一日を新たに生きていく2-1

<前回のあらすじ>
自身の依存症になった背景をかいつまんでご説明。
『使うために生き、生きるために使う』そんな人生に陥った経験談である。

今回は自身のセクシャリティへの芽生え、自覚について。
ゲイとは言っても、本当に色んな人が存在している。俺の場合は自らを端っこの方へ追いやった面倒くさい奴。
そんな話をつらつらと……

性に対する違和感

男性が女性を好きになり、女性が男性に好意を抱く。
それはとても自然な流れの様に感じる。それは同時に違和感という過程を無視したり無かったりした賜物なのだとも思う。

かくいう俺も、小学生低学年の頃は女性に(女子に)好意を持った記憶がある。しかしそのことを周りに囃し立てられて非常に恥ずかしい想いをした記憶も同時に存在する。
もしかしたら俺の場合はこれが最初の性に対する違和感だったのかも知れない。

女性に好意を持ち、それを知られるといじめられる。馬鹿にされる。少しマシな表現をすれば【イジられる】。それが幼心に非常に大きな傷になり、女性を好きになる事がいけない事なのかも知れない、そう思った経験がある。

そしてもう一つ。小学校より前の幼少期の頃、自分が人へどう好意を持っていたのかを殆ど覚えていないという事。先のトラウマが少なくとも2番目に起こった経験の様に記憶されている。
今にして思えば、これを1つの違和感という過程なのかもしれない。

さらに、明確には覚えていないが、いつの間にか女性の身体に拒絶感を覚えたのだった。もう少しだけ正確に表現するならば、女性特有の身体の曲線形にひどく違和感等を感じていた。

理由は今でもよくわからない。自己の中で急速に刷り込まれた感覚だけは覚えている。

性的興奮の自覚

こういったセンシティブな内容を書く時に、どこまで書いて良いものか、または言って良いものか、物凄く迷う。
ある程度不快感を与えない努力をすることは何にしても必要だと、自覚しながら進めていこうと思う。

いつの間にか女性への性的な拒絶感が芽生え、その次に男性への性的な興味、興奮を芽生えさせる訳なのだか、こちらは今でもはっきりと覚えている。

それ程に自身の中でセンセーショナルな出来事、いや発見といった方が正しいだろう。
小学生高学年の頃、1人で当時住んでいた団地周辺を散策していた時、まぁその年ごろの子供なら誰でも興味を持つであろう所謂【エロ本】を発見したのである。

女性の身体に対する拒絶感こそあった当時の俺でも、行為的な事には非常に興味があった。一体どんなことをするのだろう。そういう興味は人並み?には持っていた。

なので、その本を手に取り読み進めていく。というよりも怖い物見たさと、若干の嫌悪感の為にページをめくるスピードは速かった。
しかし、あるページで手が止まってしまった。

体験談の文章が並び、それを囲むように文字が連なっていたので、小学生の自分にはひと際目立っていたイラスト、というか挿絵。
その挿絵は【男性が男性の男性を男性している】イラストなのであった。
(いやもう、察してくださいwww)

一応その当時の俺の常識では性行為とは<男と女>の間で行われるものであるという認識であった。今でこそ、それは社会から押し付け、刷り込まれた【固定概念】というシステムなんだろうとは思う。
だが、そんなこと小さなガキには難しい話な上に、どうでもよい事である。

何よりもその時の俺は、自身が抱いていた常識を遥に覆す非常事態に見舞われていたのである。
【センセーショナル】常識外の事実。時にそれは人を【魅了】する真実の欠片…

そのイラストに目を奪われ、それが何事なのかと、必死に情報を整理するかの如く、連なる文字列を読み込んだ記憶が脳裏に今でも焼き付いている。
これが俺の性的興奮に関する明確なきっかけであり、芽生え、目覚めの一歩なのであった。

同性愛への自覚

あのセンセーショナルな出来事、自覚の第一歩の後、すぐに『自分は男性が好きなんだ』と自覚したのかというと、そうではなかったように思う。
正直、自分はそうなのか?という苦悶や葛藤はあまりなく、当時はサルのように【男性性】に興奮し、好きとか、女性への感情やらは二の次だった。

もちろん、人並みには悩んだと思う。家族にそんなこと言えやしない事はもちろん、友達にも相談できない。それでも俺の場合は苦痛ではなく、【秘密・秘め事】を持ってることへの興奮が上回っていたのかも知れない。

その前に、単純に自身が軽いいじめの対象でもあったので、そこから逃避する絶好の材料だった、という側面も大いにある。

中学3年生までは、基本的に性興奮が勝っており、それが強まるとともに、女性への興味が薄くなることを感じていた。
(余談だが、それとは別に女友達は当時からそれなりに居て、絆も深くなっていったように記憶している)

そして、中学3年生の春…
新学期、最終学年の最後のクラス発表が終わり数日後、長年に渡り生活していた土地を離れることになる。
今にして思えば、これが俺の人生における、最初のターニングポイントだったのだろう。
【折り返し点】というよりは【分岐点】である。

                             続く……
狼蓮


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