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【未経験で広報へ】会社員だけで生きる選択をして転職しました

こんにちは!じゅんじゅんです!10月にWebマーケティング会社の広報に転職しました。

今回の転職にあたり、岐路を作ってくれたライター組合がアドベントカレンダーをしていたので、参加することに。

いまの会社に入社して3ヶ月目の今、選んだ場所は間違ってなかったと思ってます。

転職活動が上手くいった自慢のように聞こえるかと思いますが、転職するまでの腰は恐ろしいほど重くて。「今じゃなくてもいいかな?」なんて自分に言い聞かせていた時代は長かったです。あとすごい後ろ向きのパワーが強い。

帰りの電車とか、ちょっとしたすきまに、エピソード的に読んでもらえたら嬉しいです。ちなみに広報の話はあんまりないです。

自分のキャリアなんて悩める状態じゃなかった

ちょうどコロナが流行する前、お恥ずかしい話、貯金がほとんどない状態でして。まずは収入最優先でした。

そこで2年近く副業も並行して仕事をした結果、お金の心配が減りました。友人にプレゼントを気軽に贈れる。旅行先でちょっと贅沢なご飯が食べられる。

そんな状態になったのが昨年、2021年でした。

副業を伸ばすという選択はしなかった

職場は繁忙期以外はワークライフバランスを守れるところでした。

なので、17時に仕事を終えてから、副業のライティングで収入を増やしてスキルを身につけるという手もありました。

けれども、お金の心配がなくなってから気づいたことが、私切り替えがめちゃくちゃ下手でした。定時後に、ライティングでクライアントワークするとき、「お金の不安がない」状態で遊びたい欲も出てたのかもしれません

結果、多くても月1~2本書くくらいのペースに落ち着いてしまったんです。

金融系の会社では2つ業務を掛け持ちしていたのですが、逆にそちらはバランス取りながらやれていました。

ちょうど面白いプロジェクトに参画させてもらえたこともあり、そっちに注力してみようと副業をやめて振り切りました。

副業が浸透している時代に真逆の動きをしたわけです。


目まぐるしく会社の状況が変わり、「このままでいいのか?」と考える

振り切ってからは、プロジェクトの次の打ち手の提案書を書きつつ、事務の仕事もコツコツしていました。

繁忙期は土日返上で働いたりもしましたが、いっても3日程度。一種のお祭りだと思えばなんとか乗り切れました。

そんな時、一緒に事務企画をやろうと誘ってくれた部長や、プロジェクトを推進していたリーダーが相次いで会社を退職していきました。

6ヶ月で30名は退職していたと思います。人数も多くなく、退職割合が大きかった。

「あれ?このままで大丈夫かな?」

自分が振り切ったはずのプロジェクトが中断になり、一番仲の良かった同僚が次の繁忙期を終えたら辞めると連絡をくれて、このままでいいんだろうか?と悩むようになったんです。


地獄のお祭り(繁忙期)のスタート

最期になったお祭りはなかなかクレイジーでした。

今までのお祭り(繁忙期)は子どもの遊びだったのかと思うほどトラブルが重なり、22時ギリギリまで働く日が続いたんです。マスターデータの一部が不慮の事故で書きかわったという報告を朝一番に受けたときは、前日夜中の作業を悼みました。

「いやいや週末旅行予定してるんじゃん!残業代全ツッコミで楽しむぞ!!」

ドラマのOLみたいな発想に酔ってましたね。金曜の夜中に「土日働かせてくれ…!」と社畜みたいな言葉もこぼしてました。全体的にハイテンション。じゃないと自我が保てなかったんでしょう。

転機になったのは、モチベーションでもあった週末の旅行です。


最高の旅行で感じた「やだ…わたし全然可愛くない…」

友人との旅行は大変楽しかったです。ギターを教えてもらってカントリーロードを無限に演奏し、合宿みたいにカレーを作り、夜中にボードゲームをして。

ギターをならう私(Photo by つぼにい)

まさに青春。

そんななか、現状の不満と転職をほのかに考え出していたこともあり、相談をさせてもらいました。

友人たちは忙しいながらもやりたい仕事をしていたり、はたまた「困ったら仕事を変えるよ〜」と言えるだけのスキルを持っている。人の相談にも乗れる安定感もある。

対して仕事が忙しいって文句言ってる私、スキルもそうない。やだ…全然可愛くない…

この友人たちにもう少し誇れる自分がいいなあ

いまの仕事では実現できる未来を描けない。副業で頑張るのは辞めた。であれば、転職活動頑張るしかない。

友人たちに相談させてもらったことで、転職のスタートラインに立てたわけです。


1人じゃできないので周りの人に頼る

自己分析や職務経歴書の作成をすると、高確率で精神が落ちました。自分に何があるのか分からなかったし、パッとみた経歴もめちゃくちゃだったからです。

  • 新卒で勘定系システムのSE

  • フリーでライターやら事務サポートやら

  • 金融の事務職しながらライター

1人ではムリだ!!ごめんなさい!甘えさせてください!!

旅行でお世話になったメンバーの何人かに声をかけ、自己理解のために集まってもらって「私による私のための自己理解相談会」も開催しました。

申し訳なさとありがたさが混在する

お願いしたからには頑張らなきゃ!と『勝てるデザイン』の自分史を眺めながらスプレッドシートに起こして、ストレングス・ファインダーも何でもかんでも全部開示しました。

自分の話をするのが得意じゃないんですが、もうそんなこと言ってられなかったです。

この時、「コーポレート側で会社の人に関われる自分になりたい」「好きって言える会社がいい」などいくつかワードが出て、ライターしていたことからもおぼろげに広報という選択肢が浮かび上がってきました。

今回転職する会社の面接前、夜中にアドバイスをくれた人もいました。こんなこと言ってもらえたら頑張るしかないじゃんね。

人のために動ける友人

ちなみに前職の先輩からなぜか「あんたは早く辞めていい会社入ってバリバリ働きなさい。ここは違う。」と背中を押されました。


転職エージェントくんにも頼る

転職エージェントは6社ほど面接させてもらいました。譲れないラインは以下2点でした。特に年収は、その会社1本にするためには譲れなかったですね。

  • 事務職からの転職(営業やエンジニアではないもの)

  • 年収を極端に下げない

自分では転職経験者に何人か話を聞いて、「若干厳しいが、マッチングは可能」というラインのつもりでしたが、エージェントからは厳しい言葉が。

「営業かエンジニアじゃなきゃその年収はムリ」「成功しないと思った方がいい」「フリーランス経験、嫌がる企業多いですよ」

そう話したエージェントの気持ちも分かります。めっちゃ分かります。自分でもそう考えたからです。

ただ、初めから頭ごなしにムリという人や、気持ちが落ち込む言葉を使う人と一緒に転職活動は乗り切れる気がしませんでした。

「難しいが不可能ではない」「見せ方によってはこの経歴は生きるから、最低ラインは死守できそう」と話してくれた2社と最終的に一緒に転職活動を歩むことに。(せめてもの誠意で、他の4社は利用しないと決めたタイミングですぐにお断りを入れました)


それでもダメなことはプロに頼る

ここまで来ても、まだ悩んでいました。そう、職務経歴書です。作ったものの、通過率があんまり良くなかったんですよね。

勘定系システムのSE、ライター、事務職とバラエティに富んだ職業の上に、副業もしていたので時系列がぐちゃぐちゃという状態。

要素はありそうだけど、一貫性のないキャリアをどう見せたらいいか、自分でも分からない。

ここで前述の「周りの人を頼る」が効きました。10人くらい相談していたうちの1人が、ぴったりのサービスを持ったプロをお薦めしてくれてたんです。

それが森数美保さんの「勝てる職歴書の作り方」という職務経歴書の添削サービスです。

こちらで添削してもらってから、明らかに書類選考の通過率がUPしました。

面接時にも話す内容がクリアになって、転職の工程すべてで活躍してくれるすぐれものでした。

この値段で提供してるの本当!?って感じだったので、経歴書で悩む同士には本当におすすめしたいです!森数さん自体がエネルギッシュでパワーをもらえる人で最高です。


転職面接時の思い出

面接、1つ話すとすれば、実際に就職した今の会社は、私からすると偏差値高くて入れない大学みたいなイメージでした。

2次面接で今の上司に「自分を見くびらないこと」みたいなことを言われるようなひどいパフォーマンスだったので、最終面接は受かるビジョンは全然なくて。

玉砕すれば次出会う企業に前向きになる。せめて自分の気持ちはちゃんと伝えようと、自己PRや熱意を込めて4000字くらいの記事を1本こしらえました。いま見返しても後ろ向きな理由ですね。

書いた記事に載せた画像一部抜粋

担当エージェントくんに「待ってください。一度企業担当と確認させてください」とストップをかけられた奇行だったという自覚はあります。この記事が選考に生きたかどうかは確認するつもりもありませんが、「これでダメなら縁がなかった!」と思えるまで行動しておいて良かったなと思います。


現職は最高の環境だと思う

転職して3ヶ月。これは各所で言っていますが、私史上最高の上司と先輩です。知識の幅が広くてそれを相手に合わせて調整できて実行力が高い上司と、明るくて柔軟で後天的にスキルを身につけながら子育てもしている、すごい先輩なんですよ。

友人たちにたびたび言われる言葉があります。

「じゅんじゅんの未来を信じてくれた上司や先輩を信じてただ求められることを頑張ったらいいよ」

メッセージ一つとっても先輩にフォローさせる人見知りとコミュニケーション下手を発揮しまくってるし、なんかもう伸びしろしかない。かと思えばそんな自分が悔しくて涙が出てくる日もあります。

でも、半年前と比べたら、なんて幸せなんでしょうね。調整いれながら、少しずつ進歩したいですなあ。

ちなみに、弊社内でアドベントカレンダー企画が進行していることも、個人で参加するきっかけでした。弊社のみんな、すごいんですよ。普段アウトプットしてない人たちが書いてくれる。さらに、社内チェックもらうために前日までにはきちんと記事に仕上げてくれてるんです。実体験からくる熱量がこもった記事ばかりで、追体験して涙ぐむこともあります。

チェックしている私はこのnoteの締め文を必死に21時とかに書いてるので、みんな天才ばかりだと思います(白目)


余談:広報って何してるの?

プレスリリース書いたり、オウンドメディアの記事のインタビューや記事の執筆・編集をしたりみたいな、ライター文脈の仕事もやっていたりします。ちなみに撮影も加工も全部やります。

リスク観点で、社外秘の情報かどうかを覚えたり、CEOや取締役、事業部長への適切なコミュニケーションであったり、社内情報のキャッチアップだったり、はたまた外部記者さんとのやり取りであったり、書く以外のお仕事もたくさんあります。

上場会社の場合、IR観点で情報の出すタイミングはかなり連携とって握らないといけません。

わたしは書くことを人生でずっとやってきたわけですが、好きな人やものにスポットライトが当たるときが嬉しいと感じるようで。

覚えること、知ること、知ったことを生かすこと。まだ私は入口に立ったに過ぎません。

おわりに

広報は文字にかかわるお仕事が多いので、ライターをやっていなければとてもじゃないですが絶対に就けなかったと思います。その意味でもライターのきっかけになったゴウ先生をはじめ、ライ組には感謝してます。

いまはライターを辞めて、副業も辞めて、SNSも全ツイート削除したし、1年呟かなかったし、この2年近く色んなことをやめました。

こんな記事を書いたらいまの会社を道半ばでやめた時きっとnoteを爆散させて山ごもりしたい気持ちになると思うので、すねにかじりつくくらいの根性は待ち合わせます。

さて、タイトルは釣りみたいに作りました。

フリーランスがいいとか副業がいいとか論ずる界隈をのぞくこともあったので言えますが、どこでどんな経験を積むかだと思います。

わたしの場合は、「会社員として経験積むのが性に合いそうだし、できそう。」という気づきが身体に染みこむまでに、3年はかかりました。

少しだけ大人になれてるかな。そうだったら嬉しいですね。







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