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良い部分悪い部分も公平に。

日本ではさほど感じられないかもしれないが、海外の人々と接していると、一部に良い部分だけを見てポジティブになろうとしている人々を見かける。

これは自身の心のバランスを整えるには大変便利なシステムだが、世の中の物事を公平に見られなくする作用がある。

我々が世の中を見渡すとき、良い部分と悪い部分、ビジネスでいうメリットとデメリットを見ることを意識するだろう。

しかしながら国外へ出てみると、大部分の日本人の英語が苦手という理由以外で、海外の一部の人々もまた議論ができないという一面がある。

一言で表すと自分が信じたものが唯一無二であると思い込みやすいのである。そのため、他人の言う事実に基づいた正論を受け入れない人々が多々いる。

ビジネスの場面では少ないかもしれないが、ビジネスとインフォーマルの境界線のような場合、意外にこういう場面が多いように感じる。

では良い部分だけを見つめるとどのようなデメリットがあるのかというと、良い部分がどのようにして成り立っているかを盲目にさせることがある。

世の中の良いとされる部分は大抵、裏のデメリットで成り立っていることが多い。言ってみれば、都会の夜景が綺麗に見えるのは残業せざるを得ない状況に置かれている人々によって成り立っている。東南アジアの某近代都市は、理不尽な条件で雇われた労働者たちの血と汗の労働により成り立っている。

上記のように、良い部分だけを見つめるという行為は、その良い部分が成り立つために犠牲になった人々の存在を否定するかのような傾向にも捉えられる。

逆に、現在の日本は悪い部分だけを見つめすぎているようにも伺えるので、良い部分を適度に見ることによって、上手くバランスを取ることが出来るようになるのではないだろうか。

そんなことをつい最近の気づきから捉えた次第である。