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ポエジイという感情


西脇順三郎氏の「詩学」に次のような言葉がある。

新しい関係を発見することが詩作の目的である。ポエジイということは新しい関係を発見するよろこびの感情である。このよろこびの感情のことを快感とも昔からよんでいる。また美といったり、神秘といったり、驚きといっている。いずれにしても詩作者は自分の頭の中にそうした感情を起こすように詩作する。読者もそうしたポエジイという感情を感じるように読まなければならない。

西脇順三郎 「詩学」より引用


私の好きな俳人の田中裕明氏もポエジー(詩情)というものをとても大切に
されている。

「ゆう」の創刊にあたって、詩情を大切にしたいということを書きました。
(中略)
あらためて、俳句における詩情とは何かを考えました。雰囲気や感情に流されるのではなく、季語がひろげる世界を具体的に描き出すこと

ゆうの言葉より引用


俳句の論理は散文のそれとは少し違っています。散文の論理は多くの人が常識で納得することが可能ですが。俳句の場合は理屈でもって理解することができません。そこにポエジーが生まれます。逆に理屈でわかる句というのは詩としての次元がひくいと思われます。

ゆうの言葉より引用


田中裕明氏の今の季節の俳句から七句を紹介します。

みづうみのみなとのなつのみじかけれ
夏至の子の寝息にまじる鳥の声
汗の子に大きなオムライスをつくる
平凡に子を育てけり箱庭に
泳ぐことベッドのうへでかんがへる
ふらんすはあまりにとほしかたつむり
胸あきし白服をわが汀とす



写真においてもポエジーを感じるものには、見たものに物語性を感じさせる
余白が存在する。
理屈ではなく、余白を物語を感じさせるものは、私においては意図的というよりも偶然の産物として生まれることの方が多いように思う。
そういう意味でも俳句にしても写真にしても多作多捨する中で残されていくものが結果として詩情を含んでいるように思う。




スケッチは赤き街角みなみ風

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