影との戦い
河合隼雄氏(以下、河合氏)がユングと重ねて絶賛していたゲド戦記Ⅰ(ル・グウィン著)を読んだ。
河合氏も語っておられたが、ゲドの影とはまさに私たちひとりひとりの無意識領域に働く月の存在であると思った。
魔法使いの道に進んでゲドも己の力を過信して触れてはいけない一線を越えてしまう。自分のみならず他者も巻き込んでしまった出来事をきっかけに彼の内側に絶えず影の存在が忍びよる。
月はまさにこの忍びよるという表現がふさわしい。
月の呪縛に囚われてしまうとエネルギーが奪われ、自分自身をどんどん痛めつけてしまう。
私たちの内側でやっていることをまさにゲドも出合う人々との関係性の中で演じてくれている。
ゲドはその影に追われ、やがてはその影を追って消そうとするが、それはまたゲドの分身として忍びよることの繰り返される。
やがて、ゲドは分身である影と統合していくことで静寂さ、安らぎを得ていくのであるが、そのことはまさに私たちが自分の月星座を意識することで太陽星座を輝かせ、月星座とうまく折り合いをつけて穏やかに暮らしていくことにつながる。
ゲド戦記はヤングアダルト向けに45年も前に翻訳されたものである。
私の10代では出合うことはなく、還暦を過ぎて読んだが、マドモアゼル愛先生の月星座と重ねて読むと実に味わい深く、河合氏が絶賛されたということもとても共感することができた。
また、ゲド戦記の著者ル・グウィンの「いまファンタジーにできること」という本にも出合うべくして出合えた。
ル・グウィン氏が現在のファンタジーの世界が現実逃避や願望、しいてはみせかけの愛国心などへの思想に若者を導きつつあることを嘆いている。
ル・グウィンの次の言葉は、私が物語を通して普遍的なものが伝わっていくことに関心を強めた背景を適格に表現してくれている。
上記の「物語にふさわしい言語で」という部分は、そうではない知識や説明としての言語では真実が普遍的なものが伝わっていかないということを意味している。
最近、読んだ「荘子の哲学」にも荘子が何故、寓話という形式で思想を残したのかが難解な部分もあるが、とても核心的に考証されている。
言葉では真実が伝わらないから易の卦に代表される象徴的な言語を用いた。
言葉にして語ってしまうとその恒常性を失うし、名づけるとその真から離れる。聖人は言葉で語ることを重要だとは考えないので恒常性と違うことはしないし、名づけることを常としないので真から離れない。
この箇所で言及されている言葉では真実が伝わらない、だから象徴的な言語を用いるというのはホロスコープでのサビアンシンボルにも通じる。
12サイン×30度の360度の1度毎にそのサイン、度数を象徴する比喩的な言語が残されている。
松村潔先生のディグリー占星術においても語られているが、360度の象徴的な表現に囚われるのではなく、ある度数としての働き、そしてその度数と180度反転するサインの意味合いと左右90度に位置する同じ度数の意味合いとを重ねて理解をしていくことが必要のようである。
サビアンのあるサインの度数のエネルギーの働き方を言葉ではなく、比喩として象徴として残されているという事実は、上記のゲド戦記や荘子とも重なっており興味深い。
さらに言及すれば、このエネルギーの働きを物理として適切に表現できる言葉が存在していればこの比喩は不要だともいえるかもしれない。
スコッチの樽に年号南風吹く
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