見出し画像

全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ【2022下半期BEST5】

みなさん、わたしのnoteをご覧いただきまして、ありがとうございます😀

2022年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。キャリア部門の第1位は――。(初公開日:2022年9月15日)1998年、千葉大学は全国初となる「飛び入学」を実施した。合格した3人は「17歳の大学生」となり、研究者としての将来を嘱望されていた。その後、どんな人生を歩んだのか。読売新聞の人物企画「

あれから」をまとめた書籍『人生はそれでも続く』(新潮新書)より、佐藤和俊さんのケースを紹介する――。

トレーラー運転手として働く佐藤さん

千葉大学が全国で初めて導入した「飛び入学制度」

1998年1月、佐藤和俊さんの人生は、一変した。

「飛び入学 3人合格」

当時、高校2年生だった佐藤さんには、新聞の見出しが面はゆかった。

「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。「高校に2年以上在籍した特に優れた資質を持つ17歳以上の生徒」に大学の入学資格を認めるもので、中央教育審議会がこの前年6月に制度化を答申していた。

合格者3人のうちの1人に選ばれた佐藤さんは、17歳の春、「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐった。

あれから22年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手となって、夜明けの街を疾走している。

普通の入試では、千葉大に合格できそうにない

あれは高校2年の、夏の朝のこと。私立成田高校(千葉県)の担任教師が、「千葉大学が『飛び入学』を始めるそうだ。誰か挑戦してみないか」と教室で呼びかけた。

「これは、やるしかないな」。佐藤さんはすぐに思った。

中学の時、「いま見えている星は、もう存在していない可能性がある」と授業で聞いてびっくりした。

光は一定の速さで動いていて、伝わるのに時間がかかる。だから宇宙で光っているように見える星も、何百年、何千年かけて光が地球に届く間に、星自体が消滅しているかもしれないというのだ。

「光に速さがあるなんて!」

それまでは野球部の練習でくたくたに疲れて家に帰って、すぐ寝ていた。でも、辞典で一つの用語を調べると、そこにある別の用語の意味を知りたくなる。知りたい世界がどんどん広がった。物理を理解するために、数学にものめり込んだ。

ただ一つ、問題があった。

物理と数学には自信があったが、国語や社会では赤点を取ることもしばしば。両親からは「進学するなら地元国立大の千葉大に」と言われていたが、すべての科目で高得点が求められる普通の入試は、自分は突破できそうにない。

高卒で就職かも……。そんな考えも頭をよぎっていた頃、〈物理のスペシャリスト〉を求める飛び入学のチャンスが、飛び込んできた。

3人には「専用の自習室」が用意された

「われわれには、飛び入学で日本の受験制度に風穴を開けたい、という気持ちがあった。従来の発想にとらわれない『とんがった学生』がほしくて、佐藤君はまさにそういうところがあった」。大学で指導した山本和貫准教授は、そう振り返る。

全国初の飛び入学試験。第1問は、〈火星の水が失われた原因を論理的に述べよ〉。火星に水がない原因には諸説あり、いわゆる正解がない問題だった。

「手応えは分からなかった」という佐藤さんだが、見事に最初の合格者3人のうちの1人に選ばれた。

飛び入学で入った3人は、いわば「特別待遇」だった。

専用の自習室が用意され、担当の大学院生がついて、個別に学業や生活の相談に乗ってくれた。夏には米国の大学で1カ月間の研修も。世間の関心は高く、海外研修ではメディアの同行取材も受けた。

それでも、浮かれた気持ちは起きなかった。「存分に勉強できて、ただうれしかった」と佐藤さんは言う。

宮城県にある財団法人の研究機関に職を得たが…

大学院にも進み、光の伝わり方を制御できる「フォトニック結晶」を研究テーマに論文を書いて、修士号を得た。

「佐藤君は好奇心旺盛で、疑問を持つと、しつこく突き詰めていくタイプ。特に光へのこだわりはすごくて、研究者に向いていると思った」

飛び入学への扉を開いた高校時代の担任教師、関川雅英さん(現・成田高付属中学教頭)はそう語る。

大学院を出ると、宮城県にある財団法人の研究機関に職を得た。働きながら論文を書いて、博士号も取りたいな。科学者への道は前途洋々――かと思われた。

研究者としては「食べていけない」現実

しかし、初任給を受け取った佐藤さんは目を疑う。

「え、手取りが15万円?」

就職した前の年、中学の同級生だった妻・裕子さんとの間に長女が生まれていた。

学生時代の奨学金の返済に加え、郊外に借りたアパートの家賃や通勤のための車の維持費もかかる。

ご飯と、おかずは1品にして食費を切り詰めた。月に1回、千葉の実家から米やレトルト食品を送ってもらうだけでは足りず、知人に野菜を分けてもらったり、カップラーメンで済ませたり。ギリギリの生活だった。

仕事はやりがいがあった。専門知識を生かしてベンチャー企業と偏光カメラも開発した。だが、「食べていけない」現実はつらかった。

この時、佐藤さん25歳。企業の研究職で良さそうな求人を見つけても、面接に行くための新幹線代すら工面できない。家族で実家に戻り、古巣の千葉大に非常勤講師などのポストを分けてもらいながら、予備校の講師もかけもちした。

1年、また1年と契約更新を続ける日々。「来年も契約してもらえるだろうか」という不安は年ごとに募った。もっと安定した研究職はないか、社会保険を心配せずに暮らせないか――。

「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」

30歳を超えて2年が過ぎた時、千葉大の仕事が切れた。ここで佐藤さんは、周囲が驚く決断をする。

「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」

学生時代、車好きが高じてアルバイトとしてトレーラーの運転手をやっていた。大型免許とけん引免許は持っている。現実を受け入れよう。

2013年の春、研究者の道に見切りをつけ、運送会社に就職した。

「もう少し踏ん張れば、道が開けたかもしれないのに」。大学の指導教員だった山本さんは、惜しくてならない。しかしその一方で、こんな思いも抱えている。

「今の日本では、1年2年という、先の見える小さな実験で結果を出さなければ研究職に就けない。佐藤君はもっと大きなところ、『海のものとも山のものとも分からない』という世界に興味を持っていた」

大きな視点ゆえに科学者になれないとしたら、何という皮肉だろう。

「研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好き」

トレーラー運転手の仕事に専念してから、今年で8年目。

佐藤さんは正社員として家族3人が暮らせる給料をもらい、4年前に千葉県内に一軒家を購入した。週末には、ささやかながら外食もできる。妻の裕子さんは「好きなことができていればいい」と温かく見守る。

研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好きで、教えるのも好きだ。だから今も、知り合いの子供の家庭教師を引き受けている。

2月中旬。中2の男子生徒の家で理科の勉強をみた。学習書には電気抵抗の公式が載っているが、「ぶっちゃけ、この公式なくても解けるよ」と伝える。

「頭を整理すれば、知っている計算で解けるんだよ」とアドバイスすると、生徒は自分で計算を進め、正解を導き出した。「すごいセンスあるね」とほめると、「ぼくも天才になれるかな」と照れ笑いが返ってきた。

もし研究の仕事があれば、たぶん続けていたと思う。でも考えても仕方がない。今は、与えられた積み荷をしっかりと目的地に運ぼう。

「ブレーキは『パスカルの原理』とか、車の運転って結構、物理に関係あるんですよ」。朗らかに笑って、佐藤さんは今日も大きくハンドルを切る。

「飛び入学」した初代合格者3人のその後

千葉大の飛び入学では昨年までに76人が卒業した。卒業後の進路は、大学教員や研究機関の研究員が12人。民間企業への就職は43人で、佐藤さんもここに含まれる。

佐藤さんと同じく初代合格者となった梶田晴司さんは豊田中央研究所に入った。トヨタとともに自動車部品の材料開発に向けた研究などを進めている。

梶田さんは、学生時代に佐藤さんが「物理屋になれなかったら、トラックの運ちゃんになる」と話していたのを今も覚えている。

「ポストや生活が安定せず、研究を諦める人は多い。自分も大学では厳しいと感じ、民間の研究機関に入った。このままだと日本の科学技術はどうなるのかという思いはある」と梶田さんは語った。

もう1人の初代合格者、松尾圭さんは大学で宇宙物理学を専攻していたが、大学院時代に千葉県の政策提案に関わったことで社会科学分野に転向。現在は、千葉市の生活自立・仕事相談センターで相談支援員として働いている。


読後の感想


自分は千葉県民ですので、モノ申します。

千葉に住む人にとっては、千葉大学は目標とする大学でありました。

勉強の出来る子供は、この大学を目指して必死にやってましたね。

わたしも高校へ入学したときには、成績上位者でしたから、

「千葉大と早慶を目標に!」と担任や学年主任に指示されていて、やる気を起こさせるために大学の下見にまで行かされていました。

千葉市の一等地にありながら、広大な敷地に驚いたものです。

結局、学力が足りずに断念しましたが、「行かなくて100%正解」でした。

結果論ですけどね。

こちらの佐藤さんは、なんですか、院卒で研究職の「手取り15万」てヒドすぎますよね。。。。

佐藤さん含めたお三方。気の毒にもホドがある。
これだけ諸研究分野での勉強を頑張った人たちへの仕打ちがむごすぎる。

「日本学術会議」とかいう老害連中はなんとかしたほうがいい。

ノーベル物理学賞受賞者の方々も、研究費などの工面で大変苦労されています。その心労や苦悩は慮(おもんばか)って余りあるものでしょう。

国益のためにならないことばかりしないで、若い才能への投資をきちんとしなくては、日本は他国にますます遅れを取ってしまいます。

「理系に冷たい日本の制度」

文高理低ですよね。

たいがい日本社会の支配者階級は、文系出身族。
官民問わず、文系が頭の良い理系をコキ使う仕組みが昔から成り立っているようです。
オウム真理教などのカルト集団がまさにそれでした。
理系の学生は洗脳しやすいとも言われていたりします。

わたしなんて、千葉大より偏差値が10以上低い文系大卒ですが、当時の佐藤さんと同じ年齢で、24~25歳でしょうか。
営業職ですが、手取りで「30万」。妻と合算して、手取りは「50万以上」もらってました。ただ、事務職だと、手取りは「20万」切ったかも。
いくらバブル期とはいえ、結婚している東京住みの友人らはそんなものです。
というかそのくらいないと生活できませんよ。
15万で家族3人とか考えられない。

だいたい、博士になってもいいことあるんですかね??
大学教授や医学博士の医師なども、いつも、「お金ない、お金ない」と言ってますよ。生まれや育ちに恵まれていた人は除く。
ポスドクなんて、中卒並みの収入じゃないですか。
夢もクソもない。

「勉強」は大切ですが、「稼ぐ能力」。

これが社会では絶対視されます。

そして、「お金持ちを説得して、支援してもらう能力」

これも学ぶべき事柄でしょう。

どんなに学問を積んでも、お金を稼げなければ、学士も修士も博士の証書も、ただの紙切れ、いや、お尻を拭く紙にすらならないかも知れません。


せっかくですから、シンプルに関東の名門・千葉大学に入学して成功している人を紹介します。
面倒なので、3人だけに絞ります。

「稼げる高学歴・稼げる千葉大レベル」の人のサンプルをご参考までに。

1人目 
同級生の女性 50代 
県立船橋高校学年上位→千葉大学医学部卒
推定年収 数1000万 夫は数億円

女医になって以後、大富豪と結婚。子供と孫がいます。
両親が高学歴で子供のころからお金持ち。高身長美人。
スクールカースト上位者で人気者。気が強く口論では負けない。
スポーツ万能のオール5。陸上・ビアノ・ダンス・美術も得意。
万年学級委員の生徒会長。
つまり万能女子。

2人目 
いとこの男子。50代 
都立進学校→千葉大ほか3大学を蹴って中央大学法学部へ入学。
三鷹市在住だったために、一番近い中央大学へ入学。
推定年収 数1000万 妻は専業主婦

現在は誰もが知る大企業の役員さんです。丸の内にいます。
名前が「博之(西村ひろゆき氏と字も同じ)」なので、
よく「中大卒のひろゆきさん、論破してー」と、周囲にからかわれて困ると言ってます。
お茶の水女子大学卒の妻と子供二人。孫二人。
両親が高学歴で子供のころからお金持ち。
子供のころから、「陽キャ」でひとなつこく人気者でした。
いたずら、わんぱくのヤンチャ小僧。遊んでばかりの勉強嫌い。

今も大富豪で、世界旅行に親族と行ったりします。

3人目 
直木賞作家の辻村美月さん 43歳 
千葉大学教員学部卒 ミステリー研究会に所属

夫と子供2人。
推定年収 調査中

辻村さんは、めちゃくちゃ人気の女流作家。
説明は不要ですよね。

これからの佐藤さんを応援したい!! 



現在、運転手さんということですが、ご家族が健康で幸せならば、それが天職。いいじゃないですか。人生なにがあっても、人の幸せの価値などは本人が決めるものですから。

お写真の優しそうな表情からして、よいお父さんという印象ですしね。
学問と同じくらいの貴重なご体験もされているので、まだまだ長い人生を謳歌出来る希望があると思います。

一念発起して、その貴重なご体験を文献化したり、これからの学術分野に貢献することも可能でしょう。

勉強したことには一切の無駄もないし、後悔はないと考えてらっしゃると思うのです。

「光の速度」に興味を持たれたということですが、光速は、秒速30万キロでしたかね?
わたしも、それを小学生のときにやはり興味を覚えました。
でも、この先「物理学や天文学を勉強しても、稼げないだろう」と子供ながら直感で分かりました。そこが、佐藤さんとわたしの違いだったかも知れません。

勉強を追求するにも大変なお金がかかります。
また、どんなに勉強しても、稼げない分野の業種や職種があります。

わたしの年上の部下の筑波大の院卒は、製薬会社エーザイの研究職でしたが、うつ病で自殺未遂。営業職に転じて成果が出ずに自主退職。
その後は時給800円の立ち仕事の工場バイトを還暦過ぎまで
やっていましたが先だって病死しました。生涯独身です。
一人っ子だから天涯孤独でした。
残酷過ぎませんか?? これが高学歴の末路かとみんな嘆いてました。。。


お金持ちに生まれなかった才能ある学生さんには奨学金などは免除して、
自由に学ぶ機関や、一定の収入の保証をしてあげて然りでしょう。
政府や文科省の今後の支援や取り組みに期待したいところです。


わたしのような「無学無能」が偉そうなことも言えないのですが、
「若い才能の芽を摘んでしまう世の中」だけは、お辞め頂きたい。

以上、わたしの「ただの感想です」。

最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉




この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?