【バブル世代】大学へ行く意味はあったのか?『ふぞろいの林檎たち』を観る
皆さん、わたしのnoteにご興味をいただき、ありがとうございます💁
もう、かなりいい歳になるバブル世代の人間ですが、こんにち、
とくと考えさせられる思いがあります。
それは、学歴です。
何をこの年で、今さら? と思われるかと存じますが。
このnoteで、学歴ネタへのアクセスが多く、スキも沢山頂き、みなさんの「学歴」への関心度が伺われます。
わたしの時代、すなわち、青春期を1980年代に過ごした者たち。
ひょっとして、若い人なら、わたしは、
親御さんの世代に該当するかも知れませんね。
この時代は、日本が好景気で、中卒や高卒でも仕事がありました。
ですから、偏差値がそこそこの高校では、そのまま就職したり、専門学校か、女子は短大に進むのが普通でした。
クラスメイトたちからは「大学なんて行ってどうするの? 金はかかるし、これ以上勉強しても意味ないじゃん」なんて言われる始末。
彼らは、10代で就職して(ガテン系が殆どでしたが)、車を買い、早々に結婚するのが定番でした。だから、結婚率が高かったのです。そして、すぐに子供も生まれていた。
大学へ進学するのは一部の男子。女子は4年制大学へ行くと何かと不利だという刷り込みがあり、それを恐れて短大へ行きます。
女性で4年制へ進学するのは一部の富裕層の娘か、成績優秀者のみ。
令和4年の統計では、男女ともに大学進学率は5割を超えていますが、
バブル世代は、約その半分に過ぎません。
通信制や夜学を除く、いわゆるキャンパスライフや合コンを体験したものは、わずか2割であったという報告を最近知りました。
ですから、わたしのような偏差値の低い大学生でも、極端に言えば、
エリート扱い。よほどの大企業でない限りは、どこへでも就職できたのです。
ろくに就活ですらせずに引く手あまた。数百社から、お声がかかっていたのも事実です。
さらに、著名な大学でしたら、具体的には、MARCH、早慶クラスですと、有名企業から、接待まで受けるようなありさまで、それだけ、売り手市場が極まっていたということです。
勉強嫌いのわたしが、大学へ行った理由それは。
・10代で働きたくない
・なるべく社会に出たくない
・まだまだ学生でいたい
・将来、肉体労働はしたくない
・うんとなまけて遊びたい
というもので、勉学に励みたいなどと言う理由は皆無でした。
まさにモラトリアムの享受だけを祈願していたものです。
こんな自分ですから、今の若い人たちは「ニートとかだらしない」
なんて言えた義理じゃないんです。
わたしたちの世代にも、怠け者や、たわけ者は沢山いました。
さすがは、私立文系クソ大学だなーと、志の低さに自分自身も呆れていましたね。
とはいえ、子供が多く、受験戦争が極まっていたこの時代。
Fランなる大学はほとんどなく、大学の数は今より全然少なかった。
私が望んだMARCHのひとつや日大の受験倍率は17倍。
なんとか合格した大学ですら4倍という実質倍率でした。
落ちた連中は合格発表日に泣き崩れていましたよ。。。。
だって下手すれば、高卒ですからね。
そういえば、こんな事件もありましたね。。。恐ろしい。
東大卒の父親と、母親を金属バットで撲殺した二浪の予備校生の社会問題となった重大事件でした。犯人の名は伏せられていますが、一柳展也ということは誰しも同世代なら知っています。
さて、わたしの通う凡庸な高校では、学年首位ですら、立教、青学。
かなり勉強をしていたレベルでも、東洋や東海にとどまり、
その他大勢は全員、不合格で浪人となる結果。
大学受験の厳しさを思い知らされました。
もちろん、偏差値が70を超えるような高校の友人らは、
千葉大や早慶へ進んでいましたし、
東大やお茶大へ一浪で入るものもいました。
大学の入学式。。。。
どんよりとしたムード。
それはそうです。
第一志望で、この大学へ来た人なんて皆無なのですから。。。
しかも、その半数は浪人生でした。
地方から来た人も沢山で、方言が飛び交っていました。
もう、みんなは分かっていたのです。
この大学へ来たということは、一流企業へは行けない。
その道は閉ざされたという覚悟をするしかなかった。
どんなに努力をしたところで、無理なものは無理。
この時代でも「学歴フィルター」はしっかりとあり、
就職も結婚も不利益になることしかないのだと。
それは全てが自己責任であり、勉強をまともにしてこなかった自分が悪いのだと。。。。
そんな状況下に放送されていたのが、早稲田大学出身の作家、
山田太一によるドラマ「ふぞろいの林檎たち」でした。
このドラマもかなり話題を呼びました。
テーマは三流大学出身者に未来はあるのか?
ご興味があれば、当時の社会情勢を知る上でも参考となりますので、
どうぞ。
東大医学部、慶應医学部、順天堂、津田塾、一橋、東洋など、
実名で大学名が出てきて、学歴厨が昭和の大学事情を知る材料にもなるかと。
以下、続きます。。。。
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