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フライボードとコールセンター #13

ある夏。フライボードという遊びがレジャー界隈を賑わせた。足にジェットのついたブーツを履き、その噴射を利用して空を飛ぶウォータースポーツである。とあるCMでフライボードの映像が流れたのがきっかけで、人気が爆発した。

レジャー会社に入社したわたしは最初、ライティング業務ではなくコールセンター業務を任された。お客さんからの電話を受け、レジャー体験の予約を受け付けるのが主な業務である。

会社には朝から晩までフライボードの予約電話が鳴り続けた。もしもし、フライボードの予約をしたいんですが。もしもし、8月のフライボードの空き状況が知りたいんですが、もしもし、ネットでフライボードを見て電話したんですが……

頭がおかしくなりそうだった。通話を終えて電話を切ると、また次の電話が鳴る。問い合わせや予約がどんどん溜まっていき、頭がパンクしそうになる。だんだん電話のベルの音が怖くなってくる。

わたしは何度もミスをしては、会社の人にもお客さんにも怒られた。辛いときは会社のトイレでこっそり泣いた。

さらにタイミングの悪いことに、その時のわたしは親知らずの抜歯手術を終えたばかりだった。横向きに生えた親知らずを抜くための大掛かりな切開手術を受け、左の頬がぷっくりと腫れていたのだ。
頬が腫れているのでうまくしゃべれず、電話をかけた人には「ふぁい、もひもひ?」という間の抜けた声が聞こえたことだろう。

それでもわたしはなんとか繁忙期を乗り切った。

8月が終わる頃には、わたしの動作は完全にフライボード向けに最適化されていた。ベルが鳴った瞬間に受話器を取る。フライボードの予約ですね、ありがとうございます。体験希望日をヒアリングし、お客さんの情報を記入する。あとはそれの繰り返し。

半年後、わたしはコールセンター業務を卒業した。もう電話がかかってきても受話器を取る必要がないのだ!

しかししばらくの間、わたしは社内で「フライボード」という単語を耳にするだけで拒否反応が出た。繁忙期の目の回るような忙しさが蘇り、そわそわと落ち着かない気持ちになるのだ。

2年後。夏の訪れを感じたわたしは、そろそろフライボードをやってみようかなという気持ちになった。

今ではすっかり人気が落ち着いたフライボードだが、以前は一日中電話が鳴り止まないほど人々を熱狂させたのだ。その面白さを自分で体験してみたいと思った。

わたしが向かったのは鎌倉のビーチにある水上バイク専門店。水上バイクのレンタル・販売のほか、フライボード体験を開催しているという。

更衣室で水着とウェットスーツに着替えると、インストラクターと一緒に海へ向かった。

海に入るとブーツを装着する。ブーツは水上バイクにつながっており、アクセルを引くと足元からジェットが噴射される仕組みだ。

そしてフライトのスタート。インストラクターがアクセルを引くと、ブーツがうなりを上げて水を吐き出す。そしてその勢いに乗って、わたしの体が空へと上昇していく。まるで「足元から間欠泉が噴射して、空へふっ飛ばされた」ようなイメージだ。

フライト中はグラグラと不安定な足場に立っているような感覚だ。わたしは両手を広げたまま上体を動かさず、下半身に神経を集中させて姿勢を維持した。その恰好はどことなく組体操を思わせる。

インストラクターはジェット噴射を強くし、わたしをさらに上空へと飛ばす。高さ2mはあるだろうか、けっこう怖い。

海で空を飛ぶのは奇妙だが愉快な体験だった。見晴らしはいいし、お腹がふわふわするような浮遊感も心地よい。水上バイクのブンブンうなるモーター音も気分を高めてくれる。

空からビーチを見回すと、海水浴客たちが物珍しそうにこちらを見ている。少し恥ずかしいが、悪い気持ちはしなかった。

そんなことを考えていたら、バランスを崩して海に落ちてしまった。全身が水面に打ち付けられ、あざができるかと思うほど痛かった。

「大丈夫ですか?」

「まだいけます!」

ということで、再び空を飛んだ。また落ちた。また飛んだ。

落水するたびに全身が水に打ち付けられるが、フライト時間は15分しかないので痛がっている暇はない。わたしは何度も立ち上がってはフライトに挑んだ。

最後のフライトでは高さ2.5mを維持したまま、ぐるりと輪を描いて飛べるまでに上達した。

たった15分のフライトだったが、店を出る頃にはくたくただった。全身でバランスを取るので体中の筋肉が張り詰めているし、神経もすり切れた状態だ。

わたしは鎌倉駅に戻ると、周辺を少しだけ観光して帰宅した。

帰りの電車内でわたしはこんなことを考えた。

コールセンター業務をしていた頃は、フライボードなんて軟派な遊びなんだろうなと思っていた。ただ水面でボーっと立っていれば空を飛べると思っていたのだ。

しかし実際はもっと硬派なレジャーだった。何度落水しても這い上がる、ど根性にあふれた体験だったのだ。

「そういえば昔、『フライボードって何が面白いんですか?』なんていう問い合わせがあったな。あとは『フライボードの体験時間が15分って短いので、2回分予約してもいいですか?』なんて無茶をいうお客さんもいたな」

わたしはお客さんから受けた質問を思い返した。当時はなんと答えたらいいかわからなかったけれど、フライボードを体験した今なら、ああいった質問にもうまく答えることができる気がした。

フライボードはすっかり夏定番のレジャーとして定着し、全国の海や湖で開催されている。もし興味を持った人は、レジャー会社に電話をせずとも、パソコンやスマホで予約すればよい。そして15分間の男らしさに満ちたフライトを満喫するのだ。

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