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脳は快感を感じるために意思決定をしている

この言葉はソフトバンクの孫正義の言葉なのですが、
何かに没頭している人の意思決定は、基本的に脳の快感に忠実に従ったなのかもしれません。

「脳の快感」=「幸福」だとしたら、
私たちがどんな時に「脳の快感」を感じるかを追求することが、
「幸福」への近道かもしれません。

私の経験から言うと、経営者とか何かのリーダーとかって
社会的に貢献して、「褒められる」「お金がもらえる」という脳の快感に酔いしれてる人が多い気がします。

もちろん脳の快感は人それぞれですが、あくまでも肌感覚でそう感じます。
そして、多くの人は「幸福」を感じているor演じている。

私の先輩の経営者と話しているときに、途中で
「あ〜なるほど、確かにそうですよね」みたいにレスポンスをしようとすると、
「あっ、今俺が喋ってるんだけど」と私の話はすぐにシャットダウンされます(笑)。

終わってから私が話し始めても、おそらくあまり聞いていません(笑)。
まさに「コミュニケーションは一方的」という前回の記事で述べた通り、お互いが「脳の快感」を感じていれば、コミュニケーションなんて一方的の方がいいのかもしれません。
お互いが気持ち良くなれば、「理解」は後回し。
本当に理解したければ、質問をしますよね。


また、数年前に東北の復興のために、福島のいわき市のボランティアに参加した際に、そのプロジェクトリーダーの方が、すごく熱くて魅力的だったのですが、プロジェクトに参加する女性をナンパをする癖があり、私生活はあまり人に言えたものではありませんでした。
でも本人は、周りから感謝されるという「脳の快感」と「性欲」に忠実に従って、プロジェクトを成功に導いていました。(おそらく)
プロジェクトの成功と性欲の両方を満たされるならば、至極の幸福ですね。


「完璧な人格」なんて形成されるわけがなく、大人になるにつれて、「人格」演じるのが上手くなるんだと思います。

教育の大きな目的として、「人格形成」がありますが、正確には「人格演者の育成」だと思っています。
少なくとも、私は人格を育成できるほどの教育者ではありません。
むしろ、「脳の快感」による意思決定をする機会を多く設ける方が、私にとってはやりやすいです。


皆さんの脳の快感はなんですか?

「脳の快感」に忠実な人間は、魅力的に感じるときがあります。

大人になりきると、もしかしたら潜在意識の中にさえ「脳の快感」がなくなって、忘れてしまっているのかもしれません。

本当にもったいないなと思います。


自分と向き合って、挑戦する中で見つけてきた「脳の快感」を
何かを言い訳にして、忘れようとするのが私たち大人です。

そして、それを追求してきたわがままな人間には、人生の充足感というご褒美でついてきます。

私自身も、今できることをやらないと、うまく生き抜く術だけ身について、「脳の快感」からくる意思決定避けてしまうという危機感を持ちながら、日々を大切にいきていきたいと思います。

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