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市川春子「宝石の国」完結!~感想考察


  もともと承認要求強めのフォスフォフィライトに極楽浄土の七宝(金、白金、貝殻とアゲート、ラピスラズリ、真珠、水銀)、バラバラにされて200年間幽閉されたことへの復讐心が合わさって人間っぽいものができてしまいました。人間形態のフォスは醜く、仲間たちを犠牲にしてでも自分の望みを叶えようとします。「もうつかれた」と金剛に祈りを求めてすがるフォスは、誰にも理解されない状態があまりにも長く続く生から逃れたいと思うようになっていました。

  祈りにより輪廻転生から解脱させる力は金剛が持っていたものであり、かつては月人たちを少しずつ無に帰していたようですが、その長い仕事の先には完全な孤独が待っているはずでした。それで金剛は自分以外を無に帰してひとりぼっちになるより、石の生命体を自分に似た姿につくりかえて共に生活することにしました。それが宝石たちです。金剛の身勝手な行動は読者に批判されることが多いですが、金剛はアユム博士の血が注がれたゴブレット、SUSHIクリームチップスによりアユム博士から洗礼を受けています。機械であっても血を分けた息子、という契約を結んでいるのです。これにより金剛は自分が独りきりになるまで残された魂の分解をするという機械としての役目より、自分と似た生命体と生活を楽しみたいという人間的な欲望をかなえる方向にいってしまったのです。これは機械としては壊れた、といえます。僧侶の格好もただの規則衣であり、金剛はしょせん人間の末裔でしかなかったので、仏にはなれなかったわけです。金剛に「いつか金剛を解放する者が現れる」と予言したのがエクメアです。

  エクメアは元はクメラ地方の保健福祉局地域健康推進担当室長という肩書きの非正規雇用者で本名はエンマ、というだけあり地獄の王です。祈りを得られなかった月人は犯罪者などレベルの低い魂の集まりであり、エクメアが来るまえは永遠に再生する体を裂き合うだけのまさに地獄のようなありさまでした。エクメアが王子として君臨することで、街は整えられ、月人の生活は文明的なものとなりましたが、長く終わりのない生に月人はみな飽き、無へと消えてしまいたいと考えるようになっていました。不老不死で永遠に生きるというのは現在の人類の夢のひとつではありますが、いざそれが実現し何百年も何万年も終わることなく生活が続くというのも地獄なのかもしれません。エクメアの策略によりフォスフォフィライトは人間になり、金剛の右目を埋め込むことで金剛の持つ人間の情報や月人たちを分解する力を引き継ぎます。そして人間を祖とするものたちを極楽浄土へ導くのです。金剛は自分以外を無に帰してひとりぼっちになるという事態にならずにすみ、魂の元素となってかつての宝石たちと別の宇宙へ吸い込まれて永遠の無、安寧の世界にいくことになりました。

  タイトルの宝石の国ですが、単に宝石たちの話、というわけではないと思います。死のない宝石たちはわれわれ人間とは少し違う倫理観をもっていますが、おのおの意思があり欲望や嫉妬、執着といった人間らしい感情をもつ人間の末裔です。「宝石の国」というのは人間の末裔たちの戦いが終わり、何万年も過ぎてから、かつてフォスフォフィライトだったものと兄機(繁栄していた人間に噓の隕石情報を流すことで人間滅亡のきっかけをつくった人工知能)、新たに生まれる岩石生命体との世界、つまりは99話以降を示すと思われます。ここでの素朴な対話、シンプルな線で描かれる優しい世界観は星の王子様を思わせる哲学的な美しいお話となっています。金剛をつくったアユム博士は「渡ったら橋は燃やして」と人間の末裔を地上から消したあとは、フォスの中にわずかに残る人間由来のインクルージョン(宝石たちの体内にいる微小生物)も消すために太陽と共に燃えてなくなることをフォスに指示していました。ですがその仕打ちは何万年もの孤独に耐えたフォスにとってあまりにもかわいそうなものです。フォスのためにできることはないか、と考えたユークレース、金剛、エクメアにより地球からの脱出ポットが用意されており、フォスのなかの人間成分が含まれていない無機的な部分だけは滅びゆく地球から旅立つことができました。


  

  人間は何万年という時間をかけてつくられた無機物、つまりは石炭を燃やすことで産業革命を達成し、繁栄し、文明を築き、他の種に悪影響を及ぼし、同種でいがみあい殺しあっています。地球環境を破壊し、その恩恵を受けている人間が滅亡したあとは、人間に利用された側、無機物の時代がやってくるという予言が「宝石の国」なのです。

  


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