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「心理的安全性」を高めると、アットホームな職場じゃなくなる

どうも、エンジニアのgamiです。

最近、『左ききのエレン』を読みました。主人公が広告代理店のデザイナーとして働く様子が、闇深い部分まで描かれている漫画です。『左ききのエレン』には様々なタイプのリーダーが登場します。たとえば柳というリーダーは、チームメンバーを兵隊と呼んで、独裁的にチームを作ろうとします。柳チームのメンバーは、「上司に逆らうと自分の立場が危うくなる」と感じており、自己主張が十分にできない状態に追い込まれています。

僕は新卒で某日系大手IT企業に入社しました。その会社にいたときも、上司に対して意見を言うというのは、相当の覚悟が必要なことでした。「〇〇部長」という役職がつく人は「殿上人」であり、その権威に逆らうことは会社に逆らうことと同義にみえました。

今は転職してスタートアップ企業で働いています。そこでの上下関係というのは全く様相が違っていて、転職当初はかなりのカルチャーショックを受けました。会社やチームのためを思ってのことであれば、相手が肩書きとして上の人であっても積極的に主張することが推奨されます。(そもそも、肩書きがあまり意識されていません。)

こうした組織文化の作り方の違いについて、ここ数年は「心理的安全性」という言葉を使って説明されることが多いようです。そこで今回は、大企業とスタートアップを経験した体験も踏まえつつ、「心理的安全性」の使いどころや誤解について考えます。


心理的に安全でも、「心理的安全性」が高いとは限らない

僕が心理的安全性という言葉について考えたいとき、いつもこの記事を読んでいます。

心理的安全性の定義について、この記事では次のように書かれています。

つまるところ、心理的安全性が高いとは、「些細な問題であっても提起される」「多く問題に対して自己主張がなされる」という観測可能なチームの状態を意味しています
心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察) - Qiita

この記事の定義では、「多く問題に対して自己主張がなされる状態」のことを「心理的安全性が高い状態」と捉えています。逆に、「こんなこと言ったら怒られるかも......」と予想して問題を隠す人が増えてくると、「心理的安全性が低い状態」といえます。

チームには、様々な問題が発生します。ある作業の進捗が止まっている、メンバーが体調不良になった、新規メンバーのキャッチアップが遅い、今進んでいる方向が間違っているリスクがある、などなど。こうした問題のすべてを一人のチームリーダーが全て独力で把握するというのは不可能です。一方、チームメンバー全員が自発的に問題や懸念や意見を表明するようになれば、チームの状態把握がグッと楽になります。先程の定義では、この状態を「観測可能なチームの状態」という言葉で表現しています。

理解が難しいのは、「心理的に安全である状態」でも前述の定義に則ると「心理的安全性が高い」とは言えないようなケースがある、ということです。たとえば、「何も自分の意見を言わず言われたことだけやっていれば、上司から怒られることもない」という状態は、心は安らかかもしれませんが「多く問題に対して自己主張がなされる」状態ではありません。「心理的安全性」という言葉には、「誰もが自己主張をすべき」という暗黙の前提があります。「誰もが自己主張をすべきという前提を守るとしても心理的な安全さが保たれるかどうか」を気にしているわけです。

もし、「心理的」に「安全」だとあなたが思っていたとしても、自己主張を誰もしない状態であれば、それは「心理的安全」の意味するところとは違うと考えられるべきなのでしょう。
心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察) - Qiita

「心理的安全性」は常に必要か?

「心理的安全性」という言葉が広まったのは、Googleが「心理的安全性が高いチームは生産性も高い」という旨の検証結果を発表したのがきっかけと言われています。

心理的安全性がここ数年で高い注目を浴びているのは、グーグル社が2012年から約4年もの年月をかけて実施した大規模労働改革プロジェクト、プロジェクトアリストテレス(Project Aristotle)により発見された「チームを成功へと導く5つの鍵」に関連しています。
そのうちの1つが「心理的安全性」です。同時に『心理的安全性はその他の4つの力を支える土台であり、チームの成功に最も重要な要素』であると綴られていたことから、高い注目を集めることとなりました。
心理的安全性が職場にもたらす効果と高め方、測定方法まで徹底解説 | BizHint

この手の「〇〇をすれば生産性アップ!」みたいな話は、単純でわかりやすいため無思考に受け入れられてしまいがちです。「心理的安全性」の話に限らず、「AI」でも「リモートワーク」でも同じことです。一方で、実際にはそんな単純な話ではなく、どんな目的や場面でも有効な銀の弾丸はありません。ある手段が良いと聞いたら、それに批判的な目を向けつつ、「それは誰がどんな目的で使うと有効なのか?」を把握し適切に使い分けることが重要です。

実際問題として、少なくとも今の日本には心理的安全性が低いチームや会社というのが多く存在します。その中の一部は十分に市場で成功を収めています。たとえば日本の大企業は、「心理的安全性が高い」というイメージはあまり無いですが、成長を続けてきた結果として大企業になったはずです。仮に心理的安全性が低いほど生産性も低いのであれば、なぜ日本の大企業は成長できたのでしょうか?

1つあるのは、企業内の心理的安全性はその企業の規模が大きくなるほど下がりがちになる、という仮説です。これは実際にあると思っていて、僕が1社目に入った大企業でも「こんな大きな組織に対して疑問を主張しても何も変わらない」という無力感がありました。もちろんチームのレベルで自己主張をすることはできましたが、変化を生もうとしたときどこかで見えない壁にぶつかる感覚があったのは事実です。

もう1つの仮説は、心理的安全性が低い状態が有利に働く局面が存在する、というものです。「多く問題に対して自己主張がなされるわけではない状態」の方が都合がいいケースというのはあるのでしょうか?この点について少し深堀りしてみましょう。

心理的安全性が高い状態が有効なのは、特に不確実性が高いようなケースです。たとえばもともと変化の大きいスタートアップ界隈では、心理的安全性の重要性がかなり浸透している印象です。

心理的安全性が低いチームにおいては、現場で発生した問題や課題はしばしば隠蔽され、意思決定者の耳目に入らなくなります。何が起きているかがどんどんと見えなくなります。
明確に嘘とは言えなくても、小さな嘘のようなものが組織中に蔓延するようになります。
そうすると、経営者はまるで五感を遮断して歩くような危険な状態になります。知っている道をただ走るならそれでも構いませんが、不確実性の時代において、これは自殺行為です。言い換えるなら、「心理的安全性」は、下から上への情報の透明性とも言えます。
心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察) - Qiita

逆にいえば、正解が十分に明確でこれまでにやったことがあるようなプロセスを実行するだけであれば、心理的安全性が低くても問題が起きない可能性はあります。むしろ多くの自己主張に対処する時間が減るので、決定スピードは上がるかもしれません。

しかしながら、短期的には問題が起きていないと思っていても、長期的な問題が裏で密かに肥大化している可能性もあります。特にいまは「不確実性の時代」であり、多くの組織に長期を見据えたDXが求められる時代になってきました。

こうした背景の中で、これまで心理的安全性が低くても問題なかった組織であっても、それを重視する合理性が高まってきたといえます。

心理的安全性を高めると、アットホームな職場じゃなくなる

「心理的安全性」という言葉は、抽象的であるがゆえに、言葉の印象から間違った解釈がされるケースが多々あります。それは前述の記事でも指摘されている通りです。

心理的安全性という言葉はともすれば、ただ快適で居心地のよい職場という意味にも聞こえます。そのため、ぬるま湯で緊張感のない関係性のことを「心理的安全性が高い」と言うのではないかと考えても不思議はありません。
心理的安全性ガイドライン(あるいは権威勾配に関する一考察) - Qiita

一方、「多く問題に対して自己主張がなされる状態」という定義をリアルに想像すると、ぬるま湯感は全くありません。仮に軍隊じみた上司部下の緊張関係がある組織が心理的安全性を新たに醸成するとしても、それは緊張感を手放すということではなく、別の種類の緊張関係を受け入れるということに他なりません。誰もが他の誰かに忌憚なくフィードバックできる状態というのは、肩書きで自分を守ることが許されない厳しい世界ともいえます。

「今の時代は心理的安全性が低い職場だと優秀な人が辞める。だから心理的安全性を高めるべき」という主張をよく目にします。一方で、「優秀な人が辞めない」というのはあくまでも結果であって、心理的安全性を高めることの第一目的として不適切に感じます。「心理的安全性を高める」という選択肢はあくまでも不確実性に戦うための合理的な戦略として採用されるものであり、それが結果的に、合理的な意思決定ができる職場で働きたい優秀な人をつなぎとめることになるわけです。

心理的安全性とのトレードオフ

以上が今回の記事で言いたいことでした。

最後にマガジン購読者の方に向けて、実際に僕が目にした事例を元に心理的安全性と衝突しがちな価値について考えたことを書きます。

ここで取り上げるのは、「わからないことはすぐに質問をした方がいいか、十分に調べてから質問した方がいいか」というよくあるトピックです。

最近、とある企業の新卒社員と話す機会がありました。

その人は、上司に「わからないことがあってもすぐに質問せず、まず社内ドキュメント等を調べよう」というアドバイスを受けたようでした。その新卒の方の話を聞いていると、そのアドバイスを守った結果、上司に質問することが苦手になっているのではないかと感じました。

人は、質問をする中で無意識に問題を主張していることがあります。たとえば新卒メンバーが「〇〇がわからない」という質問を上司にすることで、その上司は「新卒メンバーが〇〇を知らない」という問題を知ることができます。「些細なことでもちゃんと質問をする」ということは、しばしば「問題を主張するトレーニング」として機能します。逆に、質問を抑圧することは、本人が気付いた問題に対するアラートを挙げにくくすることにつながります。言い換えれば、心理的安全性を下げる可能性があります。

もちろん、そこにはトレードオフがあります。すぐに質問をせず自分で調べる習慣が身に付けば、独力での問題解決が得意になったり、質問対応に割く上司の時間が減ったり、良いこともたくさんあります。

このように実際には、心理的安全性がどんなに大事でも、それを高めるためには余計なコストをかけたり別の価値の優先度を下げたりする必要があります。結局は、心理的安全性を上げるコストに対してその価値が見合うかどうかを判断するしかない、ということになるわけです。

ただし、やっかいなのは心理的安全性の価値には即効性があまり無いということです。短期的なコストカットや意思決定スピードを重視すれば、心理的安全性など無い方がいいという判断になりがちです。それでも不確実性に対処するための組織変革を長期の目線で進めていく上で心理的安全性が重要だとすれば、組織全体のVALUEとして掲げて優先度を上げるしかないような気がします。心理的安全性自体はボトムアップを推奨するものですが、その浸透にはある程度のトップダウン性が必要というのも難しいポイントかもしれません。

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